043 新たな一歩
「それからのことは、まあ朝霧の知ってる通りだ」
夕子も煙草に火をつけ、白い息を吐く。
「あいつら、俺が本気になったのが気に入らなかったみたいだ。俺が女子に振られるのを見て笑う、それがそもそもの目的だったんだからな。だから俺が話した次の日、それをぶち壊す行動に出た」
「……」
黒板に貼られた、二人で下校する写真。図書館で、喫茶店で笑ってる姿。そして手を握り、肩を並べて歩く写真。
夕子の脳裏に、あの時のことが鮮明に蘇ってきた。
「俺は朝霧のことを、一人の女性として好きになった。でもそれは、嘘から始まったものだ。だから……許してもらえるか分からない、でもきちんと謝罪して、その上で改めて告白したかった」
灰皿に灰を落とし、自虐的に唇を歪める。
「でもそれは、俺の勝手な弁解だ。事実あのことがあってから、朝霧は以前より他人に心を閉ざしてしまった訳だからな。本当にすまない」
そう言って頭を下げる。
夕子は目をつむり、今の話を巡らせていた。
自分が解釈していた通り、あれが罰ゲームから始まった交際だったというのは間違いない。
しかしその裏には、色んな思いが絡み合っていたんだと知り、困惑した。
何よりあの時、國澤が本当に好意を寄せていたという告白。それは夕子にとって、想定していなかった真実だった。
「だから何度も言ってる通り、言い訳する気はない。許してもらおうとも思ってない。俺は朝霧の心を踏みにじり、嘲笑う原因を作ってしまったんだからな」
車が静かに止まる。
顔を上げると、そこは夕子のマンションだった。
「今日は朝霧と久しぶりに会って、色々話せて。楽しかったよ」
煙草を揉み消し笑顔を向ける。
「心配してるかもしれないから言っておくけど、幽霊が見える秘密、誰にも言うつもりはないから安心してくれ。それと今後も、俺から接触するつもりはないから」
「……」
夕子は無言で煙草を消し、そして息を吐いた。
「國澤くん、その……」
國澤は何も言わず、夕子を見つめる。
「どこまでも私を気にかけてくれる、そんな國澤くんのこと、私はすごいと思ってる。あなたはね、あなたが思ってる以上に素晴らしい人だよ。だから自分のこと、そんなに嫌いにならないでほしい」
「ははっ、ありがとう」
「それから……今日は本当にありがとう。幽霊からのメッセージを伝える、そんなバカみたいな話を信じてくれて、協力してくれて。本当に嬉しかった。それから助かりました、ありがとう」
「ああ」
「あとね、その……私、あの時だって國澤くんのこと、嫌いになんてならなかったよ」
「……」
「確かに傷ついた、辛かった。怒ったのも事実。でもそれは、私を貶めようとした男子に対して感じたものだった。どうしてかは分からないけど、私は國澤くんにそういう感情を持ったことがないの」
「……そうか」
「ただ、その……気まずくて、どう接していいのか分からなくて。それと、これは國澤くんと一緒かな。私もね、自分のことが好きじゃないんだ。こんな自分に好意を持ってくれる人がいるなんて、絶対ないって思ってたから」
「……」
「でもね、それでも私、あの時あなたと過ごした時間が好きだった。あんな楽しい気持ちにさせてくれた國澤くんに、今でも感謝してる」
「……ありがとう」
「だから國澤くん。謝るとか私が許すとか、そういうのはもうやめにしない? 私、折角の楽しかった思い出を、いつまでも後悔の色に染めておきたくないの」
「朝霧は……それでいいのか」
「うん……それにね、今の國澤くんの話を聞いて私、思ったの。やっぱりこの人、私が思った通りの人だったって」
「……」
「國澤くんが言ってくれたから、私も正直に伝えるね。私もね、あの時國澤くんのこと、一人の男子として好きになってたと思う」
拳を握り、耳まで赤く染めて夕子がつぶやく。
「結果的にああいうことになってしまったけど、それでも私、あなたと過ごした時間のこと、これからも大切にしていきたいって思ってる」
「ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいよ」
「うん……」
ドアに手をやり、もう一度息を吐いた。
「じゃあ……今日は本当にありがとうございました。弁護士先生を無料でこき使って、その上交通費とかまで出してもらって。だから、その……近いうちに何かお礼を持って、事務所にお邪魔させてもらいます」
そう言ってドアを開けた夕子の背に、國澤が声をかけた。
「朝霧」
「……うん」
「ありがとう。あんな酷いことをしたのに、水に流すようなことを言ってくれて」
「だから、ふふっ……もう謝るの、なしにしよう?」
振り返り夕子がそう言うと、國澤が照れくさそうに笑った。
その笑顔を見て。
ああそうだ。私が好きになったこの人は、いつも私にこの笑顔を向けてくれていたんだ。そう思った。
「それで、なんだけど……朝霧は今、一人暮らしなんだよな」
「うん、そうだよ」
「そして夜勤専従で、介護施設で働いて」
「うん」
「毎晩、幽霊たちの話に付き合ってる」
「ふふっ。改めて聞いたら、なんなんだって笑っちゃうよね。私の生活」
「いや、そんなことは……それでなんだけど、朝霧に今、個人的に親しくしてる人はいるのかなって思って。幽霊以外で」
その問いに首を傾げ、意図を探ろうと考える。そして小さく首を振った。
「ううん、特にいないかな。今日話した通り、こんな秘密を持ってる私なんだから。まあ、職場の先輩で一人、お世話になってる人はいるけど」
スタッフリーダー、千花の顔を思い浮かべる。
「それは男……なのか?」
「ううん、女の人だよ」
「そ、そうか……」
口ごもる國澤を、訝し気に見つめる。
やがて國澤は息を吐き、真顔で夕子を見つめた。
「……あんなことをしてしまった俺が、図々しいことを考えてると思う。でも、こうしてまた朝霧と再会して、色んな話ができて……正直楽しかった。やっぱり俺、朝霧とこうしてると楽しいんだって思った」
「私もだよ」
その無垢な笑みに動揺する。
「だからその、朝霧さえよければ、なんだけど……改めて俺と、友達になってくれないか」
「え……」
そこまで言われて、ようやく國澤の意図を理解した。
そして困惑した。
あれから数年の時を経て。この場所で。
もう一度あの時の関係をやり直したい、そう告白されている。
夕子は頬を染め、狼狽えた。
「そ、それって、その……」
しかし。思った。
今の私たちはもう、あの時とは違う。
お互い、何の隠しごともしていない。
全てを打ち明けあった状態で、互いに向きあっている。
夕子にとって、生まれて初めてできた、全てをさらけ出した相手。
事実今、自分は肩に力を入れることなく、自然体で彼と話している。
それはあの頃にも感じることのなかった、心地よい感覚だった。
そして。
仄かに灯りつつある、彼に対する不思議な感情。
そう思うと、この関係をここで断ち切ることが躊躇われた。
ひょっとしたら私自身、それを望んでいたの?
そんな声が聞こえてきそうだった。
やがて困惑は消え、心に温かい何かが生まれるのを感じた。
夕子は微笑み、國澤に手を差し出した。
「こんな私でよければ……よろしくお願いします、國澤くん」
そう言って微笑んだ。
その笑顔に國澤は安堵し、その手を優しく握りしめた。
「ありがとう、朝霧。こちらこそ……これからよろしく」




