036 力になりたい
「ここ、なんだね……」
家から車で二時間。高層マンションを見上げ、夕子がつぶやいた。
「じゃあ行こうか。ちょうど約束の時間だし」
そう言って、國澤が車のエンジンを止めた。
あれからすぐ、夕子は國澤の事務所に向かった。
ビルの3階。入る時、かなり緊張した。
受付の女性は夕子を見て微笑み、応接室へと通してくれた。中はこじんまりとしていたが、清潔感があり好感が持てた。
「お待たせしました」
國澤が入ってくると、緊張がさらに大きくなった。口の中がからからに乾くのが分かった。
慌てて立ち上がり、
「あ、その……急にごめんなさい」
そう言って頭を下げた。
そんな夕子に苦笑しながら、國澤が座るよう促す。
震える手でコーヒーを飲み、小さく息を吐く。口の中に苦みと甘味が同時に広がった。
「じゃあとりあえず、依頼内容から聞いてもいいかな」
國澤の言葉に、夕子は小さくうなずいた。
「依頼というか、その、相談なんだけど……でも私、こういうところ初めてだし、どれだけお金がかかるのかも分からなくて……だからまず、話を聞いてもらえないかと思って」
「はははっ」
強張った表情の夕子に、國澤が思わず笑い声を上げた。
「わ、笑うことないじゃない……」
「ごめんごめん。なんて言うか、俺の知ってる朝霧って感じじゃなくて、ちょっとおかしくなったから」
「何よそれ……」
「悪かったって。でも本当、そんなに緊張しなくていいからさ。朝霧は弁護士の俺に会いに来たって言ったけど、俺は同窓生の朝霧に会ってるって思ってるから。
とにかくほら、一度深呼吸して。肩の力抜いてみなよ」
視線を向けると、爽やかな笑顔が目に入った。
あの頃と同じ、優しい瞳だ。そう思い、口元が緩んだ。
「そうそう、そんな感じ。俺の知ってる朝霧ってそれだから」
「何言ってるのよ、バカ」
赤面し、もう一度うつむく。
「ははははっ、ごめんごめん。でも本当、懐かしいよな。朝霧とまたこうして話せるなんて、思いもしなかったよ」
「私だって……」
「弁護士と話してるからって、いつも料金がかかる訳じゃない。それに俺たち、クラスメイトじゃないか。たとえ仕事として請け負ったとしても、法外な金額を要求したりしないから安心してくれ」
その言葉にまた、夕子の口元がほころんだ。
ほんと、変わってないんだな。どんなことにも真摯に向き合う。だからこの人のこと、嫌いになれないのかもね。そう思った。
「実は人探しで行き詰まってて。自分だけではどうしようもなくて、助言してもらえたらと思って連絡したの」
「人探しか。分かった、いいよ。そういうのって、一般の人には難しいだろうからね。でも俺たちには、それを可能にする色んな伝手があるから」
「探偵さんとか?」
「勿論、興信所を使うこともあるよ。仕事柄、そっちの方にも顔が利くから」
「そうなんだ。なんだかほんと、弁護士って感じだね」
「おいおい、ちゃんとした弁護士だって。こう見えても俺、同期の中でも出世頭なんだぞ? この年で独立してるやつなんて、そうそういないんだからな」
そう言って爽やかに笑う。自慢なのに嫌味がない、そう思い微笑み、依頼内容を話し出した。
それから数日後、國澤から連絡が入った。
「山中ひとみさんの住所、分かったよ」
「え? こんなに早く?」
「ああ。別に失踪してた訳でもないし、結構簡単に分かったよ」
「探偵さんを使ったの?」
夕子の脳裏に、いくらかかったんだろうと不安がよぎる。
「いやいや、それに頼るまでもなかったよ。俺一人で難なく見つけられた」
「ほんとに? 弁護士さんって、そんなに優秀なの?」
「これぐらい普通だって。役所に申請して辿っていくだけだったからな」
「でも、私ならこんな簡単に」
「まあそうだな。今の時代、個人情報とかの問題もあるし、一般の人には難しいと思う。でも仕事柄、役所の人たちとの付き合いもあるし、問題なかったよ」
「そうなんだ……國澤くん、ほんとにすごい人なんだね」
「いやいや、この程度で感心されても困るから。それでどうする? 先方にアポイントメント、取っておこうか?」
そう言われ、夕子は躊躇した。
ここから先は私の仕事。先方に連絡を取り、会って話をする。逃げる訳にはいかない。
一人で行くのは怖い。でも、これ以上彼に頼る訳にはいかない。それに説明するのも怖かった。
幽霊から依頼されたという、荒唐無稽な事実を。
「……なあ、朝霧」
そんな夕子の思いを察し、國澤が口を開いた。
「朝霧が何を考えてるか、なんとなく分かるよ。これ以上頼りたくないってのも理解できる」
「そんなこと」
「いや、あんなことがあったんだ。本当なら二度と関わりたくない筈だ」
「……」
「あの時のこと、言い訳するつもりはないよ。理由はどうあれ、俺は朝霧を傷つけた。そしてその……謝罪もせず逃げたんだからな。
だから正直、連絡してくれるなんて思ってもなかった。頼みごとがあるとしても、別の弁護士を頼ることだってできた訳だからな。それなのに俺に連絡してくれた。だから……
朝霧。俺に手伝わせてくれないか?」
その言葉に嘘はない、そう思った。
そして。
その誠実さに私は惹かれたんだと、過去の感情を嚙みしめた。
「……ありがとう、國澤くん。それから、その……お願い、聞いてくれるかな」
「ああ。なんでも言ってくれ」
「その山中ひとみさんに、なんだけど」
「朝霧。その人なんだけど、今は杉山ひとみさんになってるんだ」
「……」
再婚、したのかな。一瞬、胸が締めつけられる思いがした。
山中さんが幽霊になってもなお、想いを募らせている人。もしかしたら、旧姓に戻っただけなのかもしれない。でもそれでも、山中さんにとっては辛い事実だろう。
このことは伏せておこう、そう思った。
「その杉山ひとみさんになんだけど、かつてのご主人、山中敏明さんからのメッセージをお伝えしたい、そう言ってほしいの」
「分かった、伝えるよ。朝霧の言い方だと、直接会うってことだよな」
「う、うん。そのつもり」
「いつなら都合がいい? 何日か候補を教えてもらえるかな」
シフト表を見て、都合を伝える。
「……分かった。じゃあ一度連絡してみるよ。それから当日、俺も同伴するから」
「そんな、悪いよ」
「さっきも言っただろ、俺が手伝いたいんだ。それに今回の依頼、よく分からないけど朝霧の優しさを感じるんだ。だから付き合うよ」
「……ありがとう。じゃあ、お願います」
「ああ、任せとけ」
電話を切り、夕子は小さく息を吐いた。
事態が大きく動いた。そしてそれは、決して自分だけでは成し遂げられなかった。
その上、この先も協力してもらうことになった。
本当にこれでよかったのだろうか。
そう思う気持ちと同時に、妙な安心感が全身を包んだ。
「國澤くん、か……ほんと、変わらないな……」




