032 報いと掟
「120年……」
その途方もない長さに、夕子が息を飲んだ。
「ああ。わしら幽霊の寿命、それは120年だ」
「どうして分かるんですか」
「それはわしが、寿命が尽きて消えたやつらを見てきたからだよ」
「……」
品沢は今、消えたと言った。成仏とは言わなかった。
それはつまり、高坂や下村とは違う現象だったということなんだろうか。
寿命を迎えた幽霊たちは、別の場所に向かうということなのだろうか。そう思った。
そんな夕子の思いに気づいたのか、品沢が続けた。
「それからやつらがどうなるのか、それはわしにも分からない。ただ高坂や下村が成仏した時のような、光に包まれて消えていくようなことはなかった。と言うか、そういう風に見えたのはやつらが初めてだった。
まあ、あの光の粒が、やつの未練が晴れたということなのかも知れないし、そうでなかったやつらも、行く先は同じなのかも知れない。それはわしも、消えてからでないと分からない」
そう言って微笑み、もう一本煙草をくわえた。
「その奈緒ちゃんは、つい最近戻ってきたみたいだね。これから本当に長い日々を送ることになる。でもまあ、それも仕方ないんじゃないかな。それが幽霊という存在なんだからね。はははっ」
その笑みを直視できなかった。
「……品沢さんは今、何年目なんですか」
うつむき、唇を噛み。夕子が震える声で聞いた。
その問いに一瞬驚く。しかしすぐに微笑み、静かに答えた。
「50年だよ。何事もなければわしも、あと70年この姿で存在することになる」
夕子は震える手を握りしめ、息を吐いた。
「品沢さん」
顔を上げ、品沢をまっすぐ見つめる。
「不躾なことは承知してます。でも……聞かせてもらえませんか。品沢さんがとどまろうと思った理由を」
その強い視線に、品沢は圧倒された。
寿命で存在が消える幽霊たちは、成仏とは違う世界に行くのかもしれない。確証はない。しかし、そう思うとこのままにしたくない。何としても成仏の手助けがしたい。
そんな夕子の強い思いを感じた。
やがて品沢は微笑み、首を振った。
「ありがとう、お嬢ちゃん。昨日あれだけのことがあって、正直どの面さげて会えばいいのかと思い、悩んでた。お嬢ちゃんの信頼を裏切ってしまった訳だからね。
それなのにお嬢ちゃんは、そんなわしの力になろうとしてくれる。本当に感謝してるよ」
静かに頭を下げ、微笑んだ。
「だけどね、お嬢ちゃん。わしはその奈緒ちゃんと同じなんだ。成仏することは叶わない」
「……」
「お嬢ちゃんは50年前、この辺りで起きた震災を知っているかい?」
そう聞かれ、社会の時間に習ったことを思い出した。
この街を含め辺り一帯、壊滅的な被害を出した悪夢。夕子がうなずいた。
「わしはその時死んだ一人なんだよ」
「……」
目の前に、最早歴史となった震災で亡くなった人がいる。そう思うと、やるせない気持ちになった。
「その時にね、わしは思ってしまったんだ。呪いと言ってもいいのかもしれない。何の落ち度もないたくさんの人間が、一瞬にしてこの世界からはじき出された。こんな理不尽、あっていい訳がないってね」
「まさか品沢さん、それって」
「許せない、屈したくない。こんな理不尽、叩き壊してやる。そう願ってしまったんだよ」
「……」
「だからね、お嬢ちゃん。わしが未練を晴らすべき相手は、この世界に存在する理不尽そのものなんだ。そんなもの、どうしようもないだろう?」
そう言って笑った。
笑うと同時に、皺が深く刻まれたように感じた。
この世界には、たくさんの幽霊が存在している。
皆、それぞれの未練を胸に存在している。
下村のように、気の合う仲間と酒が飲みたい、そんなささやかな未練を持つ者もいる。
そうであれば、これからも彼らの為、力になりたいと思った。
しかし。
どうすることもできない現実もあったのだ。
生き続けることを願った奈緒。
世界の理不尽を潰したいと願った品沢。
彼らは与えられた寿命が尽きるその日まで、この世界を彷徨うことしかできないのだ。
品沢と同じことを思ってしまった。
なんて理不尽なんだ、この世界は。
そう思い、唇を噛み。
肩を震わせた。
そんな夕子を穏やかに見つめ、品沢はまた、静かに白い息を吐いた。
「それでお嬢ちゃん。今更なんだが昨日のこと、本当にすまなかった」
話が一区切りついたところで、品沢が改めてそう言った。
「いえそんな。品沢さん、頭を上げてください」
「言い訳のしようもない。お嬢ちゃんはわしらの為、いつも心を砕いてくれている。現にこれまで高坂に下村、二人の仲間を成仏へと導いてくれた。みんな、お嬢ちゃんには本当に感謝してるんだ。
それなのにわしらは昨日、そんなお嬢ちゃんの恩を仇で返してしまった。本当にすまない」
「……確かに昨日、色々と考えたのは事実です。ですが今でも、品沢さんたちに対する気持ちは何も変わってません。これからもお付き合いしていただければ、そう思ってます」
「……ありがとう、お嬢ちゃん」
「それで、その……兼本さんはあれから」
「やつのことは任せてほしい。わしらにはわしらの掟がある。勿論、お嬢ちゃんが心配するようなことじゃないから、安心してほしい。まあ確かに、少しばかり痛い目にはあってるんだけどね」
品沢の苦笑が少し怖く感じた。
「正直、あそこまで殴られるとは思ってなかったよ。みんながお嬢ちゃんをどれだけ大切に思っているか、改めて感じたよ」
「その……兼本さん、大丈夫なんですか」
「ははっ、お嬢ちゃんは本当に優しいね。あんなことをされたのに、やつのことを心配してくれる。大丈夫だよ。わしら幽霊は、どれだけ殴られても死んだりしない。もう死んでる訳だからね、はははっ」
それ、笑えないんですけど。そう思った。
「せいぜい、その時に痛い思いをしただけだ。後は怖いという感情かな。まあやつも、しばらくは大人しくなるだろう。それに少しばかり、寂しい思いをすることになる」
「どういうことですか」
「わしら幽霊にとって、一番の苦痛は退屈なことなんだ。だからわしらはコミュニティを作り、依存しあいながら存在している。
兼本のやつはしばらく、そのコミュニティから外されたんだ」
「……どれくらいの期間なんですか」
「ははっ、お嬢ちゃんは誤魔化せないかな。一年だよ」
「一年間、誰とも話せないってことですか」
「ああ。とは言え、この街から出ることもできない訳だし、彷徨っていれば顔を合わすこともあるだろう。だが、誰も兼本とは関わらない。口も利くことはない。言ってみれば、村八分にされるってことだよ」
「……」
淡々と語る品沢。その言葉に、夕子は身震いを覚えた。
確かにどれだけルールから逸脱したとしても、彼らの世界では裁ける手段が存在しない。
しかし彼らにとって、他者との関りを絶たれるということは、ある意味何よりも重い罰だ。
これから一年、兼本は誰とも関わることを許されず、孤独に存在していくことになるのだ。
長命な幽霊にとって、一年という時間は短いのかもしれない。
でも、それでも。
その罰は何よりも重く、彼の肩に圧し掛かっていくことだろう。
そう思い、夕子はもう一本、煙草をくわえ火をつけた。
とりあえず兼本の件は、自分の中でも終わりにしよう。
そして。
今日知った新たな事実。
成仏することの叶わない品沢や奈緒の為、何ができるか。
そのことを考えていこう、そう思うのだった。




