003 嘘つき
夕子が幽霊の存在を自覚したのは、小学4年の時だった。
授業中、見知らぬ大人が教室にいることに違和感を覚え、
「先生、あの人誰ですか?」
そう言って指を差した。
しかし教師は怪訝な表情を浮かべ、
「朝霧さん? 誰もいないけど、どうしたのかな」
そう言って夕子が指差す方向を見つめた。
生徒たちもざわつきながら、同じ方向を見つめ首を傾げる。
その時彼女は、自分にしか見えていないものがあるんだと理解した。
「夕子ちゃん……ちょっと怖いよ。何言ってるの?」
隣の女子にそう言われて教室内を見回すと、皆の視線を感じた。
「お前、幽霊でも見えてるんじゃないか?」
男子が放った言葉に、あちこちから悲鳴が上がった。
「ちょっと男子ー、そういうの本当やめてよねー」
「何でだよ。言い出したのは朝霧だろ」
気が付けば、教室内が騒然としていた。耳を塞ぐ者、悲鳴を上げる者。大笑いする者もいた。
その騒ぎの中、夕子に見えていた女性が困惑の表情を浮かべ、教室から出ていった。
その方向を、夕子が無言で見つめる。その様子がまた、生徒たちの不安を煽った。
「こらこら、まだ授業中ですよ。朝霧さんも、変なことを言ってみんなを怖がらせないように。はいみんな、前を向いて」
騒動を収めるべく教師がそう言って、ようやく教室内が静かになる。
しかし生徒たちは夕子の方を見て、ヒソヒソと話をして笑っていた。
その光景に夕子は、自分がここにいてはいけないような感覚を覚え、唇を噛んだのだった。
その日の騒動が書かれた連絡帳を見て、両親も困惑の表情を浮かべた。
両親なら分かってくれるはず。そう信じていた夕子は、嘘をついてないと必死に訴えた。
しかし両親は夕子の言葉を遮り、「あまり先生を困らせない様に」そう諫めたのだった。
泣きながら布団にもぐった夕子はその日、なかなか寝付くことが出来なかった。
私は嘘をついていない。でも、誰も信じてくれない。
確かにあの時、教室に大人の人がいた。綺麗な女の人で、一人のクラスメイトの後ろで微笑んでいた。
そして思い出した。
その生徒、多田くんは去年、母親を病気で亡くしていた。
ひょっとしたらあの人、多田くんのお母さんだったんじゃないの?
と言うことは、あの人は幽霊?
その頃の夕子はまだ、幽霊がどういう存在なのかを理解してなかった。
テレビの心霊特集で知っている程度のもの。
既に死んでいる、怖い存在。
でも夕子はあの女性に対し、恐怖を感じてなかった。
そしてそれが、彼女の眼差しが慈愛に満ちたものだったからなんだと思った。
「そうか……あの人はお母さんで、多田くんに会いに来たんだ」
そう思うと、彼女が邪悪なものだとは思えなかった。
そして、そのことを多田くんに教えてあげたい、そう思ったのだった。
夕子は布団から飛び起き、両親に伝えようと部屋に向かった。
しかし。
扉の向こうから聞こえてきた会話に、心が冷えていくのを感じた。
「……虚言癖ってこと?」
「ああ。夕子、小さい頃からよく言ってただろ? 何もないところを指差して、『この人誰?』って」
「そうね……」
「夕子ぐらいの歳の子供は、どうにかして大人の気を引こうとする。わざと心配させようとしたり、悪さをしたり。夕子の場合、それが嘘をつくということになったんじゃないかな」
「そんな……あの子、今まで特に手のかからない子だったのに」
「俺たちのせいだな。知らない内に、あの子に寂しい思いをさせていたのかもしれない。改めないと」
「そうね……いくら気を引きたいからと言って、こんな嘘ばかりつく子になったら大変だもんね」
「ああ。だからこれからは、もう少し親身になってあの子に寄り添ってやろう」
「治るかしら」
「きっと大丈夫だ。夕子のこと、信用してあげよう」
「……」
夕子は無言で部屋に戻った。
気が付けば、涙が頬を伝っていた。
難しいことは分からなかった。でも二人は確かに、自分のことを嘘つきだと思っていた。
そのことがショックだった。
確かに自分は、自分のことを気にしてほしいと思っている。認めてほしいと思っている。
でも、だからと言って、嘘なんかついたことはない。
だけど両親は。そして学校のみんなも、自分のことを嘘つきだと思っている。
そう思うと、どうしようもなく孤独に思えてきた。
間違ったことは言ってない。あの時確かに、教室に多田くんのお母さんがいた。
そのことを明日、多田くんに教えてあげよう、そう思っていた。でも。
やめた。
言ったところで、誰も信じてくれない。
多田くんだって、信じてくれないだろう。ひょっとしたら、怒られるかもしれない。
そう思い、自問した。
私には、誰にも見えない何かが見えてるの?
幽霊って何?
考えてみれば、これまでにも違和感があった。
そしてそれを今日、親以外に初めて伝えた。
その結果がこれだ。
だったらもう、伝えるのをやめよう。
言ったところで、嘘つきと言われるだけだ。
幽霊が何なのか。それは今でも分からない。
でも。自分に害をなさない限り、彼らのことを口にするのはやめよう。そう思った。
そしてそれは彼女の人格形成において、大きな影響を及ぼすことになっていった。
本意を伝えない。言ってみればそれは、誰のことも信用しないというのと同義だった。
その日からこれまで、心に大きな壁を作った彼女は、心を許せる人に巡り合うことなく、孤独に生きてきたのだった。




