002 憩のひと時
「いやいや本当、邪魔してすまない」
そう言って、品沢が頭を掻く。
「コーヒー淹れますね」
「いつもすまんね」
「いえ、これぐらい手間じゃありませんので」
インスタントコーヒーを作り、夕子が品沢の前に置く。
そして手を合わせ、つぶやいた。
「……どうぞお納めください」
その言葉に頭を下げ、品沢がカップを手にした。
「……うん、美味しいよ。お嬢ちゃんの淹れてくれるコーヒーは本当、最高だね」
「褒めてもそれしか出ませんよ。と言うか、品沢さんにコーヒー淹れるのは私ぐらいじゃないですか」
「はははっ、確かにそうだね。何しろわしら幽霊は、こうしてお供えしてもらわなければ、触れることすら出来ん。かと言って、お嬢ちゃんのようにわしらが見える人間は滅多にいない。仮に見えたとしても、気味悪がって近寄ろうとしない。そういう意味でも、お嬢ちゃんには感謝してるよ」
「気味悪いとかそういうの、私にはないですよ。子供の頃から見えてますし、これが普通ですから。
でも確かに、品沢さんのように声をかけてきた幽霊さんは初めてでしたから、最初は戸惑いましたね」
その時のことを思い出し、品沢が懐かしそうに微笑む。
「いやあ、わしもどうしたものかと迷ったんだけどね。この施設には、オープン当初からお邪魔してた。何と言うか、わしら幽霊にとってこの世界は、どちらかと言えば息苦しい場所だ。ここは生者の世界で、わしらはある意味異物な訳だからね」
「品沢さん、そういう言い方はしないでください。例え偶然の出会いだとしても、知り合いがそういう風に自虐的なことを言うのは、聞いてて辛いです」
「はははっ、そうだったね。お嬢ちゃんは本当、優しいいい子だ」
「そんなこと……」
「そんな息苦しい世界な訳だが、唯一例外的な場所がある。それがここのような、死に近い場所だ」
「いえ、その……間違ってないんでしょうけど、そこで勤めてる私に向かって、それをしたり顔で言われても」
「はははっ、すまんすまん。で、わしらはよく息抜きに、こうしてここに遊びにくる訳だ。でもまさか、そこでわしらが見える女の子に出会えるとは、思ってもなかったよ」
「女の子って……私、こう見えても26歳ですよ」
「わしから見れば立派な女の子だ。そしてそれは、ここにいる利用者にしても同じはずだ」
「……」
そう言われ、夕子が伏し目がちに息を吐く。そんな夕子に微笑み、品沢が続けた。
「どれだけ頑張っても、一人前として見てもらえない。何をしても認めてくれない。そんなところかな、お嬢ちゃんが考えてることは」
「……分かりますか」
「また嫌味を言われた、そんな顔をしてるからね」
「……」
「年寄りにとってはね、若人は未熟な子供に見えるものなんだ」
「……確かに利用者さんからすれば、私なんてまだまだ子供なんでしょうけど」
「それと、嫉妬の心もある」
「嫉妬……ですか?」
「ああ。若さに対する嫉妬だ。自分たちもそういう時期を謳歌してきたにも関わらず、その真っ只中の人間に対し、無駄に嫉妬する。今の自分がどれだけ望んでも手に入らないもの、それをこいつは持っている。憎い、潰れてしまえってね」
「……」
品沢の言葉を頭の中で何度も反復し、夕子が複雑な表情を浮かべた。
「とにかくだな、わしが言いたいのはこれだけだ。お嬢ちゃんはよくやってるよ」
その言葉に、心が温かくなる。
介護をする者にとって、自分を認めてもらえることは最大の喜び。疲弊していた心が癒される気がした。
そんな夕子が何かを思い出したように、意地悪そうな笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、品沢さん。それでですね……それはそれとして、言いたいこと、他にもあるんじゃないですか?」
その言葉に、品沢が照れくさそうに頭を掻いた。
「ああいや、その……なんだ、はははっ」
「笑って誤魔化さないでください。ほら、そうしてる内に休憩時間、終わっちゃいますよ?」
「いやいや、それは困る。次に会えるのは二日後じゃないか」
「そうですよ。だからほら、ちゃんと言って下さいよ」
そう言ってポーチを手に立ち上がり、施設の外、庭へと向かった。
3月とはいえ、この時間はまだまだ冷える。ジャケットをはおった夕子が白い息を吐き、椅子に座った。
「それで品沢さん、どうしてほしいんですか?」
夕子の言葉に、品沢が困り顔でつぶやく。
「その、なんだ……お嬢ちゃん、あれをもらえないだろうか」
「あれ、じゃ分かりませんよ。はっきり言って下さい」
そう言ってポーチから煙草を取り出し、口にくわえて火をつけた。
「それ、それだよそれ」
「それってなんですか? ほらほら時間、なくなっちゃいますよ?」
「お嬢ちゃん……あんまり年寄りをいじめないでくれよ。煙草だよ、煙草」
「ふふっ、すいません……そうやって品沢さんが困る顔、見てると楽しいので。じゃあはい、お納めください」
そう言ってもう一本煙草を取り出し、ライターと共に品沢に差し出し手を合わせた。
「ふううっ……ああ、最高だ……」
煙草に火をつけた品沢が、満足気にそうつぶやく。
「ふふっ。品沢さん、本当に美味しそうに吸いますよね」
「わしは元々ヘビースモーカーだったからね。幽霊になって、一番不便したのがこれなんだ」
「どれくらい吸ってたんですか?」
「一日にかい? そうだな、二箱は吸ってたね」
「それは……吸い過ぎですね」
「しかしね。わしらが見えて、わしらのことを怖がらない。そのことにも驚いたんだが、それ以上にわしは、お嬢ちゃんみたいな子が煙草を吸ってることに驚いたよ」
「まあ、品沢さんからしたらそうかもしれませんね。煙草を吸う女性も、あまりいなかったでしょうし」
「ちなみにお嬢ちゃんは、一日にどれくらい吸ってるんだい?」
「5~6本ですね。習慣でもありませんし、仮に吸えなくなったとしても、特に困らないって感じです」
「なんとまあ……それなら吸わなくてもいいんじゃないか?」
「それだとこうしてお供え出来ませんけど、それでもいいんですか?」
「ああいや、それは困る」
「でしょ? ふふっ」
「習慣という訳でもない。吸えなければ、それはそれで構わない。じゃあお嬢ちゃんみたいな女の子が、どうして吸い始めようと思ったんだい?」
そう聞かれ、夕子が自嘲気味に笑った。
「この仕事って、ストレスを感じることが多いですから。そんな時、先輩に勧められたのがきっかけでした」
「……」
ストレス。
その言葉に、品沢が複雑な視線を向けた。
「ああごめんなさい、変なこと言っちゃって。今の忘れてください」
視線を感じた夕子が慌ててそう言い、煙草を揉み消した。
「じゃあ私、そろそろ時間ですので」
「ああそうだね。朝まで頑張るんだよ」
「はい。品沢さんはそれが吸い終わるまで、ここでゆっくりしていってください。ああでも、火の後始末はしっかりお願いしますね。品沢さんは幽霊さんですけど、その煙草は実在してるものなんですから」
「ははっ、そうだね。気をつけるよ」
「じゃあ品沢さん、これで失礼します。今夜も話し相手になってくれてありがとうございました」
夕子が施設の中に入ると、品沢は白い息を吐きながら、静かにつぶやいた。
「……頑張るんだよ、お嬢ちゃん」
朝霧夕子。26歳介護職員。
生まれつき幽霊が見える彼女は、このグループホーム「ゆめ」で彼、品沢と出会った。
それは彼女にとって、忘れられない出会いとなるのであった。




