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幽霊さん。今日もお話聞かせてください  作者: 栗須帳(くりす・とばり)
第3章 生者の闇、死者の闇

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028 待ち伏せ

 


 翌日。

 9時に目覚めた夕子は、大きくため息をついた。


「……」


 いつもならすぐに起きて身支度を済ませ、出勤時間まで読書を楽しんでいた。それが彼女のルーティーンだった。

 しかし今朝は、体が動かなかった。指一本動かしたくなかった。

 そしてそれが、昨日この場所で起きたことが原因だと思い出し、再びため息を吐いた。


「……なんか……行きたくないな、仕事……」


 そうつぶやき、気だるそうに起き上がる。そしてテーブルの前に座ると、煙草をくわえた。


「……」


 兼本のあの言葉が蘇る。


『お前、男とヤったことがないのか?』


 全身を舐めまわすような視線。胸を揉みしだこうとした手の動き。そのひとつひとつが不快で、夕子は身を震わせた。


 そして。


 またしても國澤の顔が浮かんだ。


 学生時代、罰ゲームと称して告白してきた國澤。あの日以来、夕子は男に対し壁を作っていた。

 男なんていなくても、自分は生きていける。まして自分は、人に理解されない特異な能力を持っている。だからこれでいい、そう思っていた。


「そうだよ……男の人と関係なんて、持ったことないよ」


 自虐的な笑みを浮かべ、そうつぶやく。


「でも……あれ、なんでだろう……」


 兼本の顔を浮かべると、嫌悪に身が震えた。しかし國澤のことを思い出しても、そういう感情が芽生えてこない。その事実に困惑した。


 夕子にとって兼本という存在は、ある意味男そのものだった。彼女が男を嫌悪する理由、全てが詰まっているとも言えた。

 勿論、品沢たちに対してそういう感情を持ったことはない。彼らは友人であり、彼女の中で男というカテゴリーに入っていなかったからだ。

 だが、國澤は彼女にとって男だった。夕子を女として意識し、告白してきた男だった。

 そして彼のおかげで、夕子は心に大きな傷を残したのだ。

 それなのに夕子は、國澤のことを思い出しても嫌悪感を抱かなかった。それが不思議だった。

 そしてその理由が、彼の自分に対する言動のせいかもしれない、そんな思いにたどり着き、妙に納得してしまった。


「考えてみたら最後、と言うかオチは最悪だったけど、國澤くんは私のこと、いつも大切にしてくれていたよね」


 國澤からは、不快に感じることを一度としてされた記憶がない。彼はいつも自分を尊重し、見守ってくれていた。


「まあ……それも嘘、だったんだけどね」


 そう言って唇を歪め、煙草をもみ消した。





「今日は本当、休みたかったな……」


 施設に向かう道中、夕子がそう何度もつぶやいた。


 こういう施設では、体調不良があれば報告する義務がある。発熱があれば即休みとなる施設も多い。

 夕子は家で、何度も体温を測った。もし熱があれば、堂々と休むことができる。そう思い、祈るような思いで測った。

 しかし何度測っても、平熱以上を示すことはなかった。

 夕子は観念し、支度を始めたのだった。


「品沢さん、今日は絶対来るよね……どんな顔で会えばいいんだろう……」


 そんなことを考えながら歩いていた時、背後から声がした。


「あの……夕子さん」


 声に振り返る。そこにいたのは女子高生の幽霊、奈緒だった。


「奈緒ちゃん……こ、こんにちは」


「こんにちは、夕子さん。その……こんなところで声をかけてごめんなさい。と言うか、白状すると待ち伏せしてました」


 そう言って頭を下げる。夕子は慌てて駆け寄り、首を振った。


「ううん、いいんだよ奈緒ちゃん。周りに誰もいないし、そこまで気にしなくても大丈夫だから。

 それよりどうしたのかな。急な用事でもあった?」


 夕子の言葉に安堵の息を吐き、奈緒が顔を上げる。


「その……少しだけお時間、いただいてもいいでしょうか」


「え? あ、うん、大丈夫だよ。出勤時間はまだ先だから。と言うか、休憩時間じゃ駄目だったの?」


「今夜も多分、品沢さんたちが来られますよね。できれば夕子さんと、その……二人で話せればと思ったので」


 申し訳なさそうにそうつぶやく奈緒に、夕子が微笑んだ。


「いいよ、分かった。じゃあ、ちょっと歩こうか。この先に土手があるから、そこで話そうよ。あそこならそんなに人もいないし」


「あ、ありがとうございます!」


 奈緒がそう言って、嬉しそうに笑った。





「それで? 話ってなんだろう」


 土手に並んで座った二人。夕子にそう聞かれた奈緒は、供えられたオレンジジュースを口にし、話し出した。


「夕子さん、あれから大丈夫だったかなって思って」


 その言葉に驚いた。

 昨日のことは、自分と男の幽霊のトラブル。奈緒に認識することはできない筈だ。

 彼女の目に映っていたもの、聞こえていたもの。それは自分の言動だけだったからだ。

 奈緒ちゃん、私を見て何か感じたの? そう思うと、意外と彼女、人のことをよく見てるのかな、そう思った。

 そんな夕子を察したのか、奈緒が続ける。


「勿論何が起こっていたのか、詳しいことは分かりません。でもあの時の夕子さんの表情が、昔の私と似てたかもって思ったから」


 あの時の表情。恐らくそれは、兼本に言い寄られ怯えていた時のものだ。

 そして彼女は今、同じような顔をしたことがあると言った。それは即ち、奈緒自身が男性に言い寄られ、怖い思いをしたということじゃないのだろうか。

 まだあどけなさの残る少女が、あんな怖い思いをした。そう思うと、哀しみに身が震えそうになった。

 そんな夕子の様子に、奈緒が慌てて弁解する。


「ああでも、そんな大変なことになってないので大丈夫ですよ。それにその……あの後、百合子さんからも色々聞いたので、少し心配になったものですから」


 夕子の脳裏に、緒方百合子の顔が浮かぶ。

 少し大人びた感じのする、笑顔の素敵な女性。

 彼女にまで気を使わせてしまった。そう思うと申し訳ない気持ちになった。


「夕子さん、間違ってたならごめんなさい。昨日、その……夕子さん、男の人に言い寄られていたんですよね。それもその、結構露骨な言い方で」


 そう聞かれ、夕子は誤魔化せそうにないな、そう思った。




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