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幽霊さん。今日もお話聞かせてください  作者: 栗須帳(くりす・とばり)
第3章 生者の闇、死者の闇

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027 欲望と羞恥

 


「え……」


「おい兼本! お前、夕子さんになんてことを!」


 唖然とする夕子。

 兼本は唇を舐め、下品な笑みを浮かべた。


「ヤリたいんすよ、夕子と。なあ夕子、いいだろ?」


「ひっ……」


 夕子の胸に兼本の手が伸びる。

 しかし勿論、触れることはできない。すり抜けていった。

 しかし夕子は、その仕草に恐怖した。思わず後退り、その場に尻餅をついた。

 触れられてはいない。しかし夕子の心は今、男に胸を弄ばれたという嫌悪感に蝕まれていた。


 それからの幽霊たちの動きは速かった。一斉に兼本に飛び掛かり、抑えつけた。


「お前……ふざけんなよ!」


 憎しみのこもった眼差しで、兼本を罵倒する。野球のユニフォーム姿の石川だった。


「夕子さんはなあ、夕子さんはなあっ! こんな俺たちの為、毎日心を砕いて接してくれているんだぞ! 分かってるのか? 俺たちは死者なんだぞ? それなのに夕子さん、夕子さんは……そんな人にお前、なんて物言いを!」


 彼には生前、愛する妻がいた。その妻は今でも、彼の命日になると事故現場に花を供え、手を合わせている。

 そんな妻のことを、いつも石川は幸せそうに語っていた。彼にとって、妻はかけがえのない存在だった。

 彼はいつも言っていた。


「僕は妻がいるから頑張れたんです。と言うか、これは世の男たち全員に言えることじゃないでしょうか。女性の温もり、包容力があるからこそ、男は頑張れる。だから僕たち男には、そんな女性を守っていく義務があるんです」


 兼本はその女性に対し、ある意味一番非礼な言葉と行為を投げつけてきた。それは石川にとって、とても許せることではなかったのだ。

 今にも殴りそうな勢いの石川に、夕子が慌てて声を上げる。


「い、石川さん、どうかそれぐらいで。私、大丈夫ですから」


 そう言って、自分の声が震えていることに気づいた。

 自分が思っている以上に、兼本の行動に恐怖している。そのことを自覚した。


「いいえ夕子さん、こんなこと見逃せる訳がありません! こいつは今、一線を越えたんです。絶対に許せません!」


 そう叫び、兼本の頭を押さえつけた。


「だってよおっ!」


 兼本が負けじと叫ぶ。


「俺はヤリたいんだ、仕方ないだろ! あんたらだってそうだろ! 男として生まれた以上、女とヤリたいのは当たり前だろうがっ!」


「お前、いい加減その口を閉じろ!」


 荒々しく髪をつかみ、顔を床に擦りつける。


「謝れ! 今すぐ夕子さんに謝れ!」


「謝んねえよ! なんだよお前ら、揃いも揃っていい子ちゃんぶりやがって! 本当は今すぐにでもヤリたい癖に、格好つけてんじゃねえぞ!」


 後で品沢から聞いた。この男、兼本は生前、何人もの女性を無理やり犯していた、いわゆるレイプ魔だった。

 己の欲望を最優先し、女性の尊厳を踏みにじってきた鬼畜。

 その最後は、被害女性の父親に追い詰められ、刺殺されたというものだった。

 そんな兼本はまだヤリ足りない、もっと女を犯したい。そんな歪んだ未練を胸に、この世界にとどまっていたのだった。


「ヤリたいもんはヤリたいんだよ! なのになんだよ、この世界は! こんな姿になってまで戻ってきたのに、ここには女がいない! こんなことなら、俺は戻りたくなんかなかったんだ!」


 その言葉を聞いて。

 思わず夕子が奈緒と百合子を見つめた。

 よかった。幽霊たちの世界は、男女で完全に分かれている。お互いに認識できず、存在しないものになっている。

 一時は理不尽な世界だと思った。しかし兼本の言動に、世界の摂理がこれでよかったと思ってしまった。

 奈緒はまだ、あどけなさの残る高校生。彼女が兼本の欲望の()け口になる姿など、想像したくもなかった。


「なあ夕子、あんた今、誰とも付き合ってないんだろ? こんな家で一人、若い肉体(からだ)を持て余して、夜な夜な自分を慰めてるんだろ? だったら俺がシてやるよ。お前が知らない快楽の世界、叩き込んでやるからヤらせろよ!」


「黙れ!」


 怒りを抑えきれない石川が、兼本を起き上がらせて殴り飛ばした。

 しかし兼本は動じることなく、口元の血を(ぬぐ)って続けた。


「お前が供えてくれれば、俺はお前に触れることができるんだ。だからな、俺にこう言ってくれよ。『どうぞ私をお納めください』ってな」


 どんな生き方をすれば、そんなことを思いつくのだろう。

 日々、品沢たちに煙草やコーヒーを供えている自分を思い浮かべ、そんな発想ができる兼本に身震いがした。


「お前だってご無沙汰なんだろ? それともその反応、まさかお前、男とヤったことがないのか?」


 その言葉に、夕子は羞恥と怒りで身を震わせた。




 ――そして同時に。罰ゲームで告白してきた彼、國澤の顔が思い出された。




 気が付けば夕子の目から、大粒の涙があふれていた。


「お嬢ちゃん……」


 そんな夕子に、品沢が複雑な表情を浮かべた。


「……少々の暴言なら、酒の席の話だと目をつむるつもりだった。だが兼本、お前はわしらにとって大切な友人、お嬢ちゃんの尊厳を踏みにじった。好意をないがしろにした。だからわしは、お前を許さない」


 品沢がそう言うと、石川たちは兼本を無理やり立たせ、夕子に向かい強引に頭を下げさせた。


「お嬢ちゃん、こんなことになってしまって申し訳ない。折角お嬢ちゃんが準備してくれて、そのおかげで下村が成仏までしたというのに……本当にすまない」


 そう言って頭を下げると、他の幽霊たちも揃って頭を下げた。


「こんな形で言うのもなんだが、今日はこれでお開きにさせてもらうよ。そして……お嬢ちゃんが許してくれるなら、また喫茶『ゆめ』で会ってほしい」


 品沢の言葉が終わると、幽霊たちが部屋を後にしていく。

 皆、沈痛な面持ちでうつむいていた。


「なんだよ! 離せ、離せって! なあ夕子、ヤらせてくれよ!」


 兼本は最後まで悪びれることなく、叫び続けていた。





「……」


 静まり返ったリビング。夕子は床を見つめ、小さく息を吐いた。


 楽しかったな。初めて他人を家に入れて、あんなに喜んでもらって。

 それなのに、最後にこんなことになるなんて。

 やっぱり私は、何も求めてはいけなかったのかな。


 そう思い、自虐的な笑みを浮かべた。


「あ、あの……」


 声に我に返り、顔を上げる。

 そこには奈緒と百合子が立っていた。

 うなだれる夕子を、心配そうに見つめながら。


「あ、ああ……ごめんなさい。今ね、男の幽霊さんたちが帰っていったの。まだお一人、品沢さんって方は残ってくれてるんだけど……よかったら仕切り直して、パーティーの続きします?」


 青ざめた表情で夕子が微笑む。

 その顔を見て。百合子が静かに首を振った。


「私たちも、そろそろ帰ろうと思います。私たちと違って、夕子さんには明日も仕事があります。こんな私たちの為に心を配ってくださって、本当に感謝してます。

 夕子さん、今日は本当にありがとうございました。これからもどうか、よろしくお願いします」


 そう言って微笑んだ。

 何が起こっていたのか。男の幽霊を認識できない百合子には、知る由もない。しかし夕子の言動、表情に。なんとなくではあるが、状況が理解できた気がしていた。

 だから今日はこれ以上、深入りしない方がいい。そう思い、奈緒の手を引いて部屋を後にした。

 奈緒は最後まで複雑な表情を浮かべていたが、最後には笑顔を向け、


「じゃあ夕子さん、また」


 そう言って手を振った。





「大丈夫かい、お嬢ちゃん」


 品沢の声がリビング響く。


「あ、はい……品沢さん、今日は本当にありがとうございました」


「いや、それはこちらのセリフなんだが……こんなに散らかしてすまない。皿やグラスは触れるから、せめて片付けだけでも」


「いえいえ、品沢さんにそんなこと、お願いできませんよ。大丈夫、これくらいすぐに終わりますから」


 そう言って皿を重ねていく。


「……さっき品沢さん、言ってくれましたよね。また『ゆめ』で会おうって」


「ああ……確かに言ったね。でも」


「私こそ、よろしくお願いします」


 その笑顔に、品沢は夕子の強さを見た気がした。

 恐らく彼女は今、混乱と動揺、羞恥と怒り。様々な感情に支配されている。

 信じていた幽霊に尊厳を踏みにじられ、辱めを受けた。

 それなのに彼女は、これからも関係を続けていきたいと言った。

 その思いに感謝し、今日はこれ以上関わらないでおこう、そう思った。


「分かった。じゃあ……また『ゆめ』で」


「はい。『ゆめ』で」


 品沢は微笑み、部屋から去っていった。

 これからどうしたものか。そしてまず、兼本をどうするべきか。

 そう思いながら。





「……」


 品沢の気配が消えると同時に、夕子はその場に膝をつき、うなだれた。

 また涙があふれてきた。

 最高の一日になる筈だったのに。

 どうしてこんなことになったんだろう。

 兼本の顔を、声を。

 思い出すたびに身震いがした。

 彼が残した言葉。


「お前、男とヤったことがないのか?」


 その言葉に涙した。絶望した。

 そして。





 また、國澤の顔が浮かんだ。




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