023 嗜好の呪い
「よし、準備できた」
テーブルに並べられたグラスに酒、料理。
間もなく訪れるゲストの反応を想像し、夕子が微笑んだ。
「お酒……ですか?」
ある夜勤の休憩時間。
品沢が連れてきたのは、よれよれのハンチング帽をかぶった老人、下村正治だった。
下村は照れ臭そうにうなずき、品沢に促されるがままに言葉を続けた。
「ああ、そうなんじゃ。わしはその、とにかく酒が好きでな。生きてた頃は、暇さえあれば飲んでたんじゃ」
「は、はあ……」
小動物のような目で懇願する下村に、夕子が苦笑する。
品沢は下村の後ろから手を合わせ、「面倒な話ですまん」そんな声が聞こえてきそうな表情を向けていた。
「それでその、お酒をお供えしてほしいと」
夕子の言葉に、下村が大袈裟にうなずく。
そこで品沢が咳払いし、口を挟んだ。
「今回の下村の頼みは、成仏に関係ないことだ。だから正直、こんな頼みは論外だと思ってる。ただ、お嬢ちゃんはわしらの力になりたいと言ってくれた。そしてどんなことでも構わない、要望があれば聞かせてほしいと言ってくれた。だから申し訳ないと思ったが、こいつを連れてきた。
しかし今回の依頼は、お嬢ちゃんに金銭的な負担を強いるものでもある。だからお嬢ちゃん、無理なら無理とはっきり言ってほしい。その時は文句を言わせたりしないので、安心してほしい」
品沢がそう言うと、下村も承知のことだとうなずいた。
「お金のことは大丈夫ですよ。私、無駄遣いとかもしませんし、貯金もそこそこありますので。でもその、コーヒーならここで出せますけど、職場でお酒は流石に」
夕子の言葉に品沢が、「確かにそうだね……」と納得の表情を浮かべる。下村も無念そうにうなだれ、ため息をついた。
そんな二人を見て。
夕子はこの話題、これだけで終わらせてはいけないような気がした。
幽霊は未練を晴らす為、輪廻の輪から外れこの世界に戻ってきた。
しかしそこにあるのは残酷な現実で、望みを叶えることは不可能に近い。
幽霊は無力で、世界に何の影響も与えられないからだ。
そんな彼らと出会った夕子は、自分になら手伝えることがあると知った。
そして自らの意思で、彼らの力になることを誓ったのだ。
あの、子供に遺産を託したいと言った高坂が成仏した時に。
確かに今回の依頼は、成仏とは関係のないことだ。
でも、それでも。
日々ただ彷徨うだけの彼らにとって、生前の嗜好に対する欲求が強いことは理解していた。
現に品沢は煙草が吸いたい、それだけの理由で自分に声をかけてきた。
コーヒーだってそうだ。彼らは皆、嬉しそうに飲んでくれる。
それが生前、大好きだった酒ともなれば尚更だろう。
ある意味幽霊にとって、生前の嗜好は呪いのようなものだ。
生者たちが楽しむのを、恨めしそうに眺めることしかできないのだから。
今、年の頃80の老人下村は、その大好きな酒が飲みたい、それだけの理由でこんな小娘に頭を下げているのだ。
僅かな希望にすがる思いで。
無下にはできない、そう思った。
「それでその……下村さんが飲みたいお酒って、どういう銘柄なんでしょうか。実は私、お酒を飲む習慣がないんです。だからその、あまり詳しくなくて」
夕子の言葉に、うなだれていた下村が勢いよく顔を上げた。
「ゆ、夕子ちゃん! それってその、わしに供えてくれるってことかいな!」
必死の形相に、夕子が圧倒される。
「は、はい……その、流石にここでは無理なんですけど、どこか別の場所でしたら」
「本当か! ああ、ありがとう、ありがとう」
下村が夕子に手を合わせる。
「あ、いえその……下村さん? 私に拝んでもご利益はありませんので」
「いやいや、もう十分にご利益をもらっとる! 夕子ちゃんがいつも出してくれるコーヒーに煙草、それだけでもわしらにとっては希望なんじゃ! その上酒を飲ませてくれるとなれば、わしにとって夕子ちゃんは、神にも等しい存在なんじゃ!」
興奮気味にまくしたてる下村に、夕子が苦笑する。品沢も呆れ顔で、やれやれと首を振った。
そんな二人に微笑みながら、夕子が思いついたように手を叩いた。
「そうだ。品沢さん、せっかくの機会なので、他の幽霊さんたちにも声をかけてみませんか? ここだと時間も、入れる幽霊さんたちも限られてしまいます。でも別の時間、別の場所であれば、その問題も解決できますし」
「確かにそれはありがたい申し出だが、お嬢ちゃんは大丈夫なのかい?」
「ええ、問題ないですよ。それにほら、お酒が飲みたい幽霊さん、下村さん以外にもいると思うんです。品沢さんだって、飲めるなら飲みたいって思いませんか?」
「わ、わしか?」
夕子の放った流れ弾に、品沢が照れ臭そうに頭を掻いた。
「まいったね……お嬢ちゃん、わしらの心が覗けるんじゃないかい?」
そんな品沢に微笑み、夕子がうなずいた。
「じゃあそういうことで。日程と場所は追って報告しますね。ちなみに幽霊さん、何人ぐらい集まりそうですか」
夕子にそう聞かれ、品沢は少し考え込んだ。
「そうだね……お嬢ちゃんがよければだけど、10人ぐらいは集まると思うよ」
「10人ですね、分かりました。じゃあ折角ですし、奈緒ちゃんたちも呼んでいいですか」
「ああ、あの女の子ね。わしらには見えないけど、いいんじゃないかな」
「分かりました。じゃあ下村さん。そういうことで、欲しいお酒のリスト、教えてもらえますか」
そう言ってメモを用意した。
「みんなでパーティー、やっちゃいましょう!」




