017 東城奈緒
その幽霊は、夕子に気づくとその場に立ちすくんだ。
目には動揺、恐怖が見てとれる。
死者と目を合わせる生者。そのことに混乱しているようだった。
「……」
夕子が会釈する。そのことにまた、その幽霊が動揺する。
認識できるだけでなく、挨拶してくる生者。女子高生は辺りを見渡し、やはり自分にされたのだと理解し、慌てて頭を下げた後、走り去っていった。
「嘘……」
夕子が驚きの声を漏らす。
それは、女子高生の行動に対してではなかった。自分に対してのものだった。
自分から幽霊と接触した。
認識できると理解したあの日以来、絶対しないと決めていた、ある意味朝霧夕子という存在を認める上での不文律。それを今、私は破ったのだ。
そう思った時、自分が思っている以上に変わりつつあることを自覚した。
そしてその瞬間、体の中に熱い何かがみなぎってくるのを感じた。
――心地いい感覚。
夕子が施設の扉に手をかける。
「あの子……また会えたらいいのにな」
そうつぶやき、微笑んだ。
その日の休憩時間。
一階に降りると、背後から声がした。
「あ、あの……すいません、少しいいでしょうか」
声に振り返ると、そこには落ち着かない様子で立っている、あの女子高生の姿があった。
「あなた、さっきの」
「やっぱり……私のこと、見えるんですね」
「ええ、ちゃんと見えてますよ。ようこそ喫茶『ゆめ』へ、可愛い女子高生さん」
そう言って微笑むと、女子高生は安堵の息を吐き、頭を下げた。
「はじめまして。東城奈緒です」
「はじめまして、朝霧夕子です。よろしくお願いします」
休憩室に入ると、既に品沢が来ていた。
夕子に気づくと穏やかな笑みを浮かべ、手を上げる。
「こんばんは、お嬢ちゃん」
「品沢さん、こんばんは。今日はお一人なんですね」
「ああ、そうなんだ。最近、なかなかお嬢ちゃんと二人きりになる機会がないんでね。たまにはわしに譲れ、そう言って遠慮させたんだ」
「ふふっ、なんですかそれ。でも品沢さん、残念ですけど、今夜はもう一人お客さんが来てるんですよ」
「そうなのか? わしの頼みが聞けんとは、どこの無礼者だ」
そう言って笑い、夕子の後ろに視線を移す。
「可愛いお客様ですよ」
夕子が一歩右に動くと、後ろに隠れていた奈緒が現れた。
「どうです品沢さん。可愛いでしょ?」
そう言って、意地悪そうな笑みを浮かべる。
しかし、品沢の反応は夕子の予想と違っていた。
「……お嬢ちゃん。どこにいるんだい?」
「え……? 何言ってるんです品沢さん、ここにいるじゃないですか」
ふざけているように見えない品沢に、夕子が首を傾げる。そんな夕子に奈緒が尋ねた。
「あの、その……夕子さん、ここに誰かいるんですか?」
「え……」
品沢と奈緒が、互いを認識できず空を見つめている。
夕子は混乱した。
これって……どういうこと?
「……」
品沢と奈緒、二人にコーヒーを淹れ、「どうぞお納めください」そうつぶやく。
そして椅子に座り、自分もコーヒーに口をつけた。
「おいしい……私、この姿になって初めて何かを口にできました。夕子さん、ありがとうございます」
奈緒が満足そうに微笑む。
そんな奈緒に困惑の表情を浮かべ、品沢に視線を移す。
「要するに……今その場所に、わしに認識できない幽霊がいるんだね」
「は、はい……品沢さん、本当に見えないんですよね」
「ああ、間違いない。こんなこと初めてで、わしも少し混乱してるよ」
「私もです……」
状況が理解できず、夕子がため息をつく。そんな夕子に奈緒の表情から笑みが消え、申し訳なさそうに肩をすくめた。
「すいません、夕子さん……なんだか私、ややこしい状況を持ち込んだみたいですね」
「ああいえ、奈緒ちゃんが落ち込むことはないんだよ。ただ……どうしてこんなことになってるのか、理解が追い付かないというか」
「お嬢ちゃん。そこにいる、その……奈緒ちゃん、だったね。彼女に確認したいことがあるんだが、聞いてもらってもいいかな」
品沢が真面目な顔でそう言い、咳払いをした。
「分かりました、私が伝えます。奈緒ちゃん、今そこにいる幽霊さん、品沢さんがね、奈緒ちゃんに聞きたいことがあるみたいなの。いいかな」
「は、はい、大丈夫です」
「かまわないそうですよ、品沢さん」
「ありがとう。じゃあ聞いてもらえるかな。奈緒ちゃんはこれまで、他の幽霊に会ったことはあるのかな」
「奈緒ちゃん。奈緒ちゃんは他の幽霊さんに会ったことはある?」
「あ、はい。この姿になってまだ半年ほどですけど、何人かと交流させてもらってます」
「あるそうですよ。何人か懇意にしてる人もいるそうです」
「それは……女性かな」
「奈緒ちゃんのお友達って、女の人?」
「はい、そうです」
* * *
「この街に女の幽霊は、結構いるのかな」
「そうですね。お友達は何人かいますけど、それ以外にも結構いますね」
「男はどうだろう。会ったことはあるかい?」
「そう言えば……まだお会いしたことはありませんね。この街に男性はいないのかなって、最初の頃はよく思ってました。品沢さんの言い方だと、男の人もいるんですか?」
「ああ。結構な数の男、いるよ」
「ええっ、そうなんですか? じゃあどうして私、会ったことがないんだろう」
「女性だけのコミュニティがあって、君もそこで暮らしているとか」
「そんなことはないですよ。基本自由にしてますし、半年でこの街は、隅々まで足を踏み入れたと思います」
「なるほどね……」
* * *
「ありがとう、お嬢ちゃん。色々腑に落ちたよ」
「あの、結局どういうことなんでしょう。品沢さんと奈緒ちゃんは、互いに認識できてません。それがどういうことなのか、分かったということですか」
「ああ。ある意味、長年の疑問が解消された気がするよ」
「それってどういう」
小さく息を吐き、品沢が静かに口を開いた。
「お嬢ちゃん。どうやらわしら幽霊は、異性を認識できないようだ」




