016 真面目という名の鎖
高坂の件以降。
夕子の中に、これまで感じたことのなかった感覚が生まれていた。
――私は変わるべきなのだろうか。
異能の力を自覚したあの日から、他人と距離を取る生き方を貫いていた。
どうせ傷つくだけだ。
そんなネガティブな感情を抱き続けていた。
しかし高坂の家を訪れた時、思った。
高坂は自分に、全てを託してくれた。
自分を信じてくれた。
だからこそ未練を晴らし、輪廻の世界に戻ることができたのだ。
あの時に感じた、不思議な感覚。
人を信じ、関わるという生き方。実はそれは、居心地のいいものなのではないか。そう思った。
勿論、生者に心を許すのは怖い。
心を許すとは即ち、心に秘めたものをさらけ出すということだ。
そしてそれを拒絶してる以上、友達と呼べる存在ができることはない。
彼女はそう思い、これまで孤独に生きてきた。
それが品沢たちと出会ったことで。自分にしかできないことがあると自覚して。
葛藤した。
死者となら、心を通わせることができるのではないか。
そう思うと、自分の生き方自体、見つめなおすべきなんだろうか、そう自問した。
そんな夕子に、ある時品沢が言った。
「お嬢ちゃんは、なんと言うか……ははっ、本当に真面目だね。自分が信じる正しい生き方、それを貫いている。いや、縛られてると言うべきか」
「どういうことですか?」
「もっと気楽でいいということだよ。お嬢ちゃんは言ったね。隠しごとをしてる時点で、その人を信じてないのと同じなんだと。でもね、お嬢ちゃん。そんな清廉潔白な生き方をしてるやつが、この世界にどれだけいると思う? 少なくとも、わしはそんなやつに出会ったことがない」
「……」
「もっと肩の力を抜いて、適当に生きることを覚えた方がいいと思う。まあ、それが若さってものなのかもしれないがね」
「隠しごとをしたままで、信頼関係が成立するんでしょうか」
「親兄弟、夫婦。友人、恋人。どんな関係にだって隠しごとのひとつやふたつ、あると思うよ」
「……それでいいんでしょうか」
「じゃあお嬢ちゃんは人に聞かれたら、昨日何回おならをしたか正直に教えられるのかい?」
「なっ……」
品沢の言葉に、夕子が顔を真っ赤にして狼狽えた。
「はははっ、そういうことだよ」
「それは……少し例えが変な気もしますが……ああでも、なんだか納得してしまいました」
「だろ? 隠しごとを全てなくすってのは、極論だがそういうことなんだ」
そう言って笑った品沢に、夕子もつられて微笑んだ。
「それからお嬢ちゃん、あとひとつ言っておきたいんだが」
「何でしょうか」
「真面目すぎることは、自分自身を壊すことでもある。そのことは理解しておいた方がいい」
「……」
「お嬢ちゃんは今、介護の仕事をしている。それを例えにした方が分かりやすいかな。この仕事、真面目なやつから潰れていく。適当にガス抜きして、深く考えないやつの方が長続きする」
そう言われ、これまでの介護生活を振り返り思った。
確かにそうだ。優しく誠実で、いつも利用者に真正面から向き合う人。そういう人から辞めていっている。
「何事も適当でいいんだよ。お嬢ちゃんは納得いかないかもしれないが、適当であるからこそ、心に空きができる。余裕が生まれる。それは決して、悪いことではないんだ」
「そういうもの……なんでしょうか」
「まあ、これはわしの意見だ。従う必要もない。お嬢ちゃんはお嬢ちゃんの経験の中で、これだという生き方を見つければいい」
「そう……ですよね」
「お嬢ちゃんは今、葛藤している。高坂のことが、そのきっかけになったんだろう。そしてお嬢ちゃんはあの日、決意した。わしらの成仏、その手助けをしてみたいと」
「具体的にどうするべきか、全然考えてないんですけどね」
「それでいいんだよ。そして、その決意に縛られる必要もない。いつ辞めたってかまわないんだ」
「……」
「だからね、お嬢ちゃん。お嬢ちゃんは今、変わるべきか悩んでる」
「はい」
「変わればいいんじゃないか? 自分がそう思ったのなら、その気持ちに正直になればいい」
「変わるべきと言うか、変わりたいんです、私は」
その瞳の力に微笑む。
「その一歩として、人との関わり方を変えていくべきか、お嬢ちゃんは悩んでる。わしからすれば、そう悩むだけでもう、それは変化だと思う。成長だと思うよ」
「でも、どうすればいいのか分からなくて」
「お嬢ちゃんはひとつのことを成そうとする時、自分でたくさんの縛りを作ってる。まるで、できなかった時の言い訳をあらかじめ作ってるみたいにね」
その言葉にはっとした。そう思ったことなどなかった。しかしそれは、核心を突かれているように感じた。
「……少し意地悪な言い方だったね。すまない」
「……」
「誰だって、新しい一歩を踏み出すのは怖い。だから人は、その前に色々とできない理由を探す。こうだから自分はできないんだ、こうだったらできるのに。自分のせいじゃない、できない環境が悪いんだと」
品沢の言葉に、自分の胸の内を見透かされているような気持ちになった。
羞恥で顔が熱くなる。
「だから最初に言ったんだ。真面目すぎるってね」
「でもそれ、誉め言葉じゃないですよね」
「誉め言葉にするかどうかは、お嬢ちゃんが決めればいい。とにかくだ。お嬢ちゃんは今、変わろうとしてる。そしてそれは、そう思うだけで尊いってことだ」
ははっと笑い、品沢が煙草を口にした。
自分の中で、何かが変わろうとしている。
そしてそのきっかけが、目の前の品沢さんたち、幽霊さんなんだ。
そう思うと、自分でもおかしくなった。
笑えてきた。
そして笑った時、少し肩の力が抜けたような気がした。
言葉の力ってすごいんだな。言霊、だったっけ。
品沢さんの言葉ひとつで、心がこんなに軽くなるんだ。そう思い、嬉しくなった。
変わろうと決意したその日から、世界の景色が変わった。
口にする言葉ひとつ、瞳に宿る光。そのどれもが力強かった。
そんな夕子の変化に、あの頭を悩ませている利用者、安城カスミですら動揺しているように思えた。
「あ……初めて見る人だ」
出勤前。
施設に入ろうとした夕子の目に、一人の女子高生の姿が映った。
力なく路を歩く、制服姿の少女。
彼女もまた、幽霊だった。




