012 動揺
「それでですね、その……自分で言っておいてなんなのですが、くだらないお願いですので、不快に感じられるかもしれません。その時は聞き流していただいて結構ですので」
高坂が恐縮気味にそうつぶやく。
そんな高坂に、この人は本当に誠実だな、そう思った。
「高坂さん、気を使っていただいてありがとうございます。でもどうか、頭を上げてください。心残りがあってこの世界にとどまっている高坂さんのお話、不快になんて思うことはありませんので」
「……ありがとうございます」
夕子の言葉に感謝と安堵の表情を浮かべ、高坂が話を続けた。
「実は私、息子の為にタンス預金なるものをしてたんです」
「タンス預金、ですか」
「ええ。まあ、大した額じゃないんですけどね。息子が生まれた時から、独身時代の貯金と併せて、月々の小遣いの中から少しずつ貯めるようにしてたんです。それを20歳の誕生日に渡そうと思って。
私が死んだのは7年前。息子が中学に入ってすぐのことでした。なので13年分の蓄えになるのですが……来週、息子が20歳の誕生日を迎えるんです。できればその時、息子に渡してやりたいと思いまして」
「既に見つけられている、ということはないのですか?」
「もしそうならよかったのですが、今のところ見つけられた形跡はありません。それにこのことは、妻にも話してませんでしたので」
「ひょっとして、その……高坂さんがこの世界にとどまられている理由は、息子さんにその預金をお渡ししたいから、ということなんでしょうか」
「は、はい、そうなんです……ちっぽけな理由で、お恥ずかしい限りです」
「いえ、そういう意味では」
「いやいや、他の方のお話を伺ってると、なんて些細な理由なんだと情けなくなります」
「そんなこと」
夕子が声を上げて否定した。
「大切な息子さんの為に、毎日少しずつお金を残されていた。高坂さんにとって、息子さんの存在がどれだけ大切だったのか分かります。それに、心残りに優劣なんてないと思います」
「……ありがとうございます」
「亡くなってからも、息子さんを思いこの世界にとどまっている。そんな高坂さんを否定する人なんて、いないと思います」
「さすがお嬢ちゃんだ。だから言っただろ、高坂。お嬢ちゃんなら大丈夫だって」
品沢の言葉に、高坂は嬉しそうに微笑んだ。
「それでなんですけど、その……夕子さん。どうか息子に、そのことを伝えていただけませんでしょうか」
「え……」
高坂の言葉に、一瞬夕子が固まった。
そうだった。この話は、死者の依頼を請け負うというものだった。
高坂さんの話を聞いて、親としての美しい思いに心が震えた。その思いが息子さんに届いてほしい、そう切に願った。
しかし幽霊である高坂さんには、それを伝える手段がない。息子さんに自分のような異能があれば別だが、高坂さんの話からもそれはないと思えた。
高坂さんの依頼。それは即ち、自分が彼の家を訪れ、奥さんと息子さんに会い、話をするということだったのだ。
考えてみれば、当然の流れだった。そしてそこに思いを辿らせた瞬間、夕子の中にどうしようもない恐れ、不安が生まれた。
自分にしか認識できない世界がある。そう自覚したあの時から、人との接触を避けて生きてきた。関係を構築する努力を一切してこなかった。
その自分が、会ったこともない高坂の家族の元を訪れ、しかも死者から聞いた話を伝える?
どう考えてもできるとは思えなかった。
現に今、高坂の家族に会うと考えた瞬間から、指先が冷たくなっていくのが分かった。息が苦しくなってきた。
そんな夕子に気づいた高坂が、慌てて口を開く。
「だ、大丈夫ですか」
「あ、いえその……大丈夫です」
冷たくなったコーヒーを飲み干し、煙草に火をつける。
品沢は白い息を吐きながら、そんな夕子を穏やかに見つめていた。
「すいませんでした、夕子さん……やはりこんなこと、お話するべきじゃなかったですね。
ですが……ありがとうございました。話を聞いていただけたことで、少し心が軽くなった気がします。貯金のことは、いつか気づいてくれることでしょう。その時が息子にとって必要だった時、そう思うようにします」
そう言って力なく笑い、頭を掻いた。
そんな高坂に、夕子は動揺した。
視線を移すと、品沢は何も語らず、白い息を吐いている。
その二人を見て。
夕子の心は大きく揺れた。
高坂の依頼を受けなかったとしても、特に問題はない。
むしろ、受けることで自分が背負うデメリットの方が大きい。
それにこれを断ることで、品沢たちとの関係が揺らぐとは思えない。
現に高坂自身、これが無茶な依頼だと自覚している。
断ってしまえばいい。
あの日の絶望を背負う必要なんて、どこにもない筈だ。
――誰にも理解されない、異能の力。
それを知られた時の、高坂の家族から受けるであろう、奇異に満ちた視線。
それか、頭のおかしい女と蔑まれる冷たい視線。
そんな思いをするのはごめんだ。
何より、会ったこともない他人と無駄に接触するのが怖い。
そう思い、断ろうとした。
しかし。
その時彼女の中に、それを否定する声が響いた。
――本当にそれでいいの?
自分には異能の力がある。
そのおかげでこれまで、誰にも心を開けなかった。
こんな能力、欲しくはなかった。
そう思い、何度も涙で枕を濡らした。
でも。
その力のおかげで、こうして品沢たちと出会うことができた。
初めてできた、心を許せる人。
彼らが見えることで、自分は孤独になった。
そして彼らのおかげで、その孤独から抜け出せた。
分かっている。矛盾だと。
しかし夕子は彼らに対し、感謝以上の感情を持っていた。
様々な心残りを胸に、この世界にとどまり続けている死者たち。
私は彼らのことが好きだ。
彼らと出会ったことで、どれだけ自分が救われたことか。
私はいつも、彼らに助けられている。
それなのに、私は彼らに何も返せていない。
それはフェアじゃない。
対等な関係。それは、お互いに助けあってこそ生まれるものだ。
高坂は死者であり、望みを叶えることができない。
でも、自分にならできる。
ならば彼の為、彼らの為。勇気をもって行動するべきじゃないのだろうか。
大きな大きな挑戦だ。でもこの一歩を踏み出すことで、自分自身も変わることができるかもしれない。
断るのは簡単だ。ここで断れば、二度とこういう話を持ちかけられることはないだろう。
今までと変わらない、穏やかな日常を送ることができる。
でもそれは、立ち止まることと同義だ。
事実自分は、彼らが見えると認識したあの日から、ずっと同じ場所にいる。
本当にそれでいいの?
思考が巡り、頭の中がぐちゃぐちゃになってきた。
その時。
休憩時間の終わりを告げる、スマホのアラームが鳴った。
「仕事、頑張るんだよ」
品沢が穏やかな笑みを向ける。高坂も恐縮気味に微笑んだ。
「……」
煙草をもみ消し、大きく息を吐く。
「……夕子さん?」
夕子が表情を引き締め、高坂を見つめた。
「息子さんの誕生日、いつでしょう。高坂さんのご依頼、受けようと思います」




