7.運命の人(7)
その男、野口は真っ青だった。確かに身震いするような、怨念の籠った言葉だ。だが優子は、はて? と疑問に思う。カナタの母親は唐竹を割ったような性格だ。そんな怨みごとを娘に刷り込むような真似をするだろうか?
「信じてはくれないのかもしれないが、俺の話も聞いてくれ」
「なによ」
「彩に『出ていけ』といわれた日のことだ。その日の彩は、しつこく初恋だった子の名前を聞いてきた。たしか、小学校低学年のころは、カナという子が好きだった。そんな幼いころの記憶なんて曖昧で、カナを漢字でどう書くかなんて覚えているわけがない。それでも、初恋の子の記憶があやふやなことを、彩は気にくわなかったみたいだ。『もし子供ができたらカナ太郎にする』と怒りだしたんだ。『女の子だったらその名前はない』そう反論すると、『じゃあ両方でも大丈夫な、カナタにする』と、怒りはおさまらなかった。子供ができたなんて報告もなかったし、ちょっとヒステリックになっているだけだと思った。だから、好きにすればいいと、なげやりに答えた。そうしたら、部屋を追いだされた」
「ふーん」と興味なさげに応じるカナタとは対照的に、自称父親の野口はすがるように、「今、何歳だ? 教えてくれ」といった。
「一週間前、十八になった」
「それなら、俺と彩が暮らしていた時期とは一致するが……本当に俺の……娘なのか?」
カナタはその問いには答えず、踵を返して扉に手をかけた。「じゃあね、もう会うこともないでしょう」
「まっ、待ってくれ!」野口は慌てた様子で立ち上がる。
「……なに」ゆっくりとカナタは振り返る。
「当時、彩が浮気してたかどうか、知らないか!?」
なんとバカな質問だと、優子は思った。案の定、カナタはすこぶる機嫌を悪くしたようで、枯れた観葉植物の鉢を持ち上げ、「知るか、ボケッ!」と投げつける。中身がぶちまかれ、野口やソファーは土まみれになった。
呆然となっている野口を一瞥して、カナタはさっさと部屋を出た。優子と未來も後に続く。早歩きでタクシーに戻り、「D駅に戻って下さい」と優子が告げた。
「いつ、あのヒトが父親だと気づいたの? 今日の夕方に会ってすぐ?」タクシーが発進してすぐに、優子は問うた。
「あの時はまだ、半信半疑だったんだけどね。家に帰って写真を見て、確信に変わった」カナタは窓の外に顔を向けた。「私が小学生のころ、父親を知りたがったことがあったの。ハハは少し苦い顔をしたけど、写真を見せてくれたわ。その時に、私の名前の由来も教えてくれた」
「名前の話だけど、あの彩さんがそんな恨みごとをいったの? 捨てられたとか、父親の初恋相手の名前をもじってつけたとか、一緒に怨みましょうとか」
「父親の初恋相手の名をもじったエピソードは、ただの笑い話になってた。結局ハハは、カナタという響きが気にいっちゃったんだってさ」カナタは普段どおりの表情で肩をすくめた。「チチと別れたことは、一応謝ってくれたわ。でも、チチのことは顔がタイプだっただけで、同棲しているころから一緒には暮らせないと、結論をだしてたんだって。『だから結婚しても、どうせすぐに離婚してた。ごめんね』って、反省してない顔でいってたわ」
「ふーん。じゃあ、あの探偵さんも、ちょっと気の毒ね」
「まあ、知らなかったとはいえ、養育費も払わずにノウノウと生きてたんだから、このくらいのバチはいいんじゃない? 最初に会ったときも、なんかえらそうで嫌な奴だったし」カナタはこちらを向き、笑った。
「そうね」優子もつられて笑ってから、声を低めた。「彩さんは……このこと知ってるの?」
「いってないし、いうつもりもない」
「そっか」と頷いた優子は、それ以上は言葉が見つからず、窓の外に視線をやった。
あれから二週間ほど経つにもかかわらず、石油王の進路を覆さないカナタは、毎日ではなくなったものの、未だにサッキーに呼びだされていた。今日の放課後もさんざん待たせたくせに、カナタの態度からは反省も負い目も感じられない。
「ほんと、いい加減にしてくんない!」優子が声を尖らせた。
「そう怒んなよ、ファミレス奢ってあげるからさ」
「はぁ!?」優子は力いっぱいカナタを睨みつけ、さらに怒りの言葉をぶちまけてやろうとしたが、カナタの思いがけない言葉で唖然となった。
「チチに小遣い貰ったから、今日の私はリッチマンなのさ」
「……えっ。あのヒトと会ってるの!?」
「たまーにね」
「ほぉ」優子は眉を上げた。「やっぱりカナタも父親がいるとわかれば、恋しいものなの?」
「ちがうちがう、そんなんじゃないって。チチとお茶してあげる代わりに、小遣い貰ってるだけだよ。これって、なんていうんだっけ……パパ活?」
「それは意味が違うと思います」未來が小さな声でいいながら、大きく首をふった。




