5.運命の人(5)
「この探偵事務所のヒト?」動じずにカナタがいう。
「そうだ」男は不機嫌そうに眉をよせた。「お前らは……客ってわけじゃないだろ」
「客じゃない」
「なら、帰れ。邪魔だ」男は優子とカナタを押しのけ、中に入っていった。
優子はふぅと息を吐いてから、カナタの腕をつかみ、階段を降りだした。
家に着いたのは八時を過ぎていた。
「遅かったのね。カナタちゃんと何か食べてきたの?」優子の母がいった。
「ううん。食べてない」優子はいいながら二階に上がり、自分の部屋に入った。部屋着に着替えながら、「今日は疲れた」とぼやく。
優子はあの後のカナタの態度を思いだした。いつもはただただ騒がしいだけなのに、恋する乙女が物思いにふけるかのように、ぼーっとしながら、ため息を繰り返していた。さらに、「野口……野口……」とつぶやきだしたときにはギョッとした。
まさか、あの男に恋でもしたというのか? たしかに、男の顔の造りは悪くなかった。身なりを整えればイケメンの部類に入るだろう。そして、歳相応の男臭さと、危険な香りがあった。
「お姉ちゃんは今日遅いから、先にご飯にしよう!」母が一階から大きな声をだした。
優子には大学生の姉がいて、父親と母親の四人で暮らしている。会社役員の父の帰りは遅く、休日出勤も多い。会話することは少ないが、それでも父はいるのだ。
父親か……。母子家庭で育ったカナタには、ファザコン気質があるのだろうか? 二回りほど離れた男だからこそ、恋に落ちることがあるのかもしれない……。
母親がもう一度、優子の名を呼んだ。はあい、と答えて部屋から出た。
お嬢様育ちの母の趣味は料理で、今日はフランス料理だった。スープと前菜から始まり、メインの肉料理はお得意の一品、ラムの香草焼きだ。普段はありがたみも感じず漫然と食べているが、今日は感慨深いものがあった。N駅ですれ違ったヒトたちは、こんな料理にお目にかかることはないのだろう。野口という男も、きっとそのはずだ。
優子は行儀悪くゲップしたのを母親に咎められたが無視して二階へ上がり、ベッドに転がった。そのまま長く呆けているとスマホが震えた。カナタからの電話だ。心を整えるためにコールを五回見送ってから、電話にでた。
「なに?」尖った声で返す。
「今からあの探偵事務所に行く。一緒に来てよ」
「はあ? 今何時だと思ってるの!?」
「十時」
「そんな時間に、あんな治安の悪いとこ、うろうろできるわけないでしょ!」
「でも私は……もう一度、アイツに会わないといけないんだ」
カナタの声は微かに震えている。優子はしばらく沈黙してから、ため息を落とした。
「わかったから……せめて明日にしようよ。ねっ?」
「だめ、今から!」
「ひとりで行け、バカ!」かっとなって優子は怒鳴ったが、すでに電話は切れていた。
十分後に再びスマホが震えた。カナタからだ。電話にでると、こちらが罵る隙もなく、「家の前にいる」とだけ残して切れた。
「ふざけんなよ!」ジーパンに足を押し込み、パーカーを羽織って階段を降りた。
カナタと頬を張りあうような喧嘩は、高校生になってからはやってない。でも、今日は限界だ。
あのバカをおもいっきりひっぱたいてやる! そう意気込み、外に出た。
「よっ」と手を上げたカナタを見て、ビンタをくれてやると意気込んでいたのに、言葉を失ってしまった。あのカナタが化粧をのせて、胸元が開いたピンクのワンピースなんてものを着ているのだ。男を意識した格好をしているカナタなど、初めて見た。
「なに? なんなの? まさか、あの男を……好きになっちゃったの?」
「そうじゃない。でも私は、もう一度会わないといけない」
「どうしてよっ!?」
「運命の人だからだ」
「意味わかんない! カナタに振り回されてばっかり! こっちの身にもなってよ!」
「迷惑かけて、ごめん」カナタは真っ直ぐこちらを見た。「今回で最後にする。でも、最後に一回だけ、私はアイツに会いたい。会わなきゃいけないの!」
「そう」優子は大きくため息をついた。「わかった。じゃあ、これで最後よ。あと、タクシーで行くからね」
「……占いで二万使ったから、もう金がない」
「お金は私がだす」
「いいの?」カナタが不思議そうに眉を上げる。
「自分の身を守るためよ! 夜ふけにあんな場所、うろうろしたくない」
「そう、ありがとう。じゃあ、まずは駅まで行こう。未來もそろそろ着いてるだろうから」
「あんたのバカに、未來も巻き込んだの!?」
「仲間はずれは良くないじゃん」カナタはいい、駅への道を進みだした。




