34.本物ではなかった私たちが目にした輝きは(3)
紫のタイツは私を見つめたまま、なにもいいません。
しばらくそれが続き、怖くなってきたところで、彼は歩きだしました。私はカナタさんを抱きしめる力を強めながら、彼の動向に注目しました。
彼はすたすたと壁に向かって進んでいます。
「あっ、ぶつかる!」と声がでた瞬間、彼はなんなく壁の中に足を突っ込みました。
壁は彼の半身を呑み込み、液体のように大きな波紋をたてます。
銀の壁は水銀でできているのでしょうか? トプンと小さな水柱を上げて、彼の身体は消えました。
あそこから外に出られるのでしょうか……。けど、この銀の部屋から出たとして、外で何が待っているかは、わかりません。元の世界に戻れる保証など、どこにもないのです。
ともあれ、カナタさんが目覚めないことには、何も始まりません。私は、カナタさんの顔を覗き込みました。顔色は悪くありません。すうすうと呼吸にあわせて胸が上下する様子は、ただ居眠りしているかのようです。
「カナタさん、カナタさん」と呼び掛けながら肩を揺すっていると、ふと薄暗くなった気がして顔を上げました。三メートルはゆうに超えようという巨躯のバケモノがこちらを見据えています。
二足で歩く蜘蛛のような体型に、派手な警告色の肌。頭には鮫に似た冷酷な眼と、顔を分断するかのような大きい口。その口がニチャリと音をたてながら開いていくと、ヤツメウナギのように奥までびっしりと歯が並んでいます。
あまりにもな光景に、私はパニックになって無我夢中で駆けだしていました。
それでも奇跡的に、全身タイツのヒトが壁をすり抜けたのを思いだし、その方向に走ります。途中で振り向くと、バケモノは私を追っていました。
怖い、助けて! でも、壁まであと少し! あと少しで助かる!
「間に合った!」と声をあげながら、壁に飛び込みました。
けれども、壁は見た目どおりの金属となっており、勢いよく衝突した私は、もんどりうって倒れます。
「どうして!? ねえ! 出してよっ!」
一心不乱に壁を叩きましたが、一向に先には進めそうにありません。それでもあきらめずに叩き続けます。
でもついに、バケモノに捕まりました。バケモノは私の胴体をつかみ、顔の近くに掲げました。
バケモノの口が薄く開き、ぎっちりと並ぶ大量の歯が、ヨダレのような液体でぬらりとひかりました。
「お願い……はなして……食べないで……」
気を失いかけながらも、なんとかそういいました。
「放せ! このやろうっ!」
カナタさんの声が聞こえ、私はハッとしました。カナタさんはバケモノの脚を殴りつけ、頭突きをくりだしているのです。
私は恥ずかしくて死にたくなりました。
パニックになっていたとはいえ、気絶しているカナタさんを放りだして自分だけ逃げようとしていたのです。しかも、そのカナタさんは今、命懸けで私を救おうとしています。
泣きながらカナタさんの名前を呼びました。そして、私にかまわず逃げるように叫びました。それでも、恐怖や混乱に羞恥、色んな感情が渦巻いて、うまく言葉にはなりませんでした。
バケモノがキューッと鳴き、口が大きく開きました。いよいよ私は食べられるのでしょう。
「カナタさん、逃げてください」
もう一度いってから、目を閉じました……。
けれども、痛みはすぐにやってこず、私は薄く目を開きます。バケモノはどこからだしたのか、タオルのようなモノを手にしており、涙と鼻水で汚れた私の顔を優しく拭ったのです。
私は言葉を失いました。バケモノは私を静かに降ろすと、キューともう一度鳴いてから、壁を抜けて出て行きました。
「未來っ! 大丈夫!?」
「えっ、はあ」
放心状態でその場に崩れ落ちました。そんな私をカナタさんは優しく抱きしめてくれます。そこでやっと正気に戻り、「カナタさん、ごめんなさい」といいました。
「謝ることなんてないじゃない。それより大丈夫?」
緊張の糸がぷっつり切れました。私は嗚咽を漏らしながらも、合間をぬって何度も謝りました。その間ずっと、カナタさんは私の背中をさすってくれました。
「カナタさん! ひっくっ!」嗚咽はおおかた治まったので、経緯もふまえてちゃんと謝ろうとしたのですが、今度はしゃっくりが始まりました。カナタさんがケタケタと笑いだし、つられて私もしゃっくり混じりで笑いました。けれどもそれは、数秒しか続きませんでした。部屋の中心にまたもや人影が現れたのです。
私は驚きのあまり息を吸ったまま固まりました。そんななか、カナタさんの声が響きます。
「あれっ? サッキー!?」
私も眼を疑いましたが、どう見ても斉藤先生です。先生は私たちの前まで歩みより、肩をすくめました。
「世間様からは宇宙人と呼ばれる女子高校生も、本物の前ではかたなしね」




