32.本物ではなかった私たちが目にした輝きは(1)
テーブルに無造作におかれてあったカナタさんのスマホが鳴りだしました。お父さんからの電話のようですが、カナタさんはでようとはしません。
「鳴ってる」
優子さんが咎めるような口調でいいましたが、カナタさんは口を尖らせながら、アイコンを拒否にスライドさせます。
「いいんですか?」おそるおそる私は訊きました。
「チチだったし、これでいいの。エラルドを奪おうとしたから、罰として当分は無視してやるんだ! それよりさぁ、聞いてよ、未來。エラルドに石油王にしてってお願いしてるのに、うんともすんともいわないの!」
カナタさんは真剣な表情でいいました。
ここ数日、何度も聞かされたセリフですが、私ではなんともしようがなく、答えに窮するばかりです。代わりに応じてくれたのは、やはり優子さんです。
「だから返品すれば! ピンク屋も売値で買い取るっていってんだから」
「やだ! エラルドに出会って私はビビっときたの! きっと凄い力があるはず。今はまだ、その力を引きだせないだけ!」
「まあ、別にいいけど。あんたのバカは今に始まったことじゃないし」
「優子の性根が腐ってるのもねっ!」
「脳ミソ自体が腐ってる人にいわれたくないわぁー」
スマホをいじりながらも、カナタさんと優子さんは軽快に罵り合っています。その会話にはまだ入っていくことはできないのですが、放課後にクラスメートとファミレスにいることですら、以前の私では考えられないことなのです。
孤独と絶望の中でさまよっていたあの頃とは、まったく違うのです。
顔に卑猥な落書きをされることもなければ、頭からバケツで水を掛けられることもなければ、お金を取られることもないのですから。
でも、最近すごく不安になる瞬間があります。
カナタさんと優子さんは、どうしてちっぽけで矮小な私なんかと友達でいてくれるのだろう? そのうち飽きて棄てられはしないか?
ついつい、そんなことを考えてしまうのです。
そもそも、友達になったきっかけは、趣味の話で盛りあがったわけでもなく、学校のイベントで同じグループになったわけでもありません。
それは、私にとって理解不能で衝撃的なものでした。
高三のクラス替えでアノ人たちと別れることができ、私にも平穏な日々が訪れたと思っていたのですが、そんなものは数日しか続きませんでした。
放課後、下駄箱の前でアノ人たちが待ちかまえていたのです。脳の奥底が冷えていくのを感じながら、私はただただうつむいて、動くことができませんでした。
「なんでお前、私たちに毎朝挨拶にこないの? 由佳理は二組、私と恵那は一組なんだけどぉ?」
「ごめんなさい……」
私はすぐに謝ったのですが、反省が足りないとのことでした。
髪をつかまれ数歩引きずられたところで、カナタさんがズカズカと肩で風を切ってこちらに向かってきました。
そして、アノ人たちを押しのけ、私の前に立ちます。
アノ人たちは戸惑いながらも、「はぁ? なによ、お前」と威嚇します。カナタさんは無視して、私の顔面を殴りました。
その衝撃と痛みで私は思わず腰を落としてカナタさんを見上げます。口の中が切れたのでしょう、血の味がします。少し遅れて鼻血も出てきました。
「別のクラスの奴に挨拶しなかったのを謝るなら、同じクラスの私に挨拶していないのを、まずは謝れ!」
カナタさんはそう怒鳴りました。なにが起こったのかよくわからなかったのですが、気づいたら「ごめんなさい」と謝っていました。
「よし、じゃあ明日から挨拶してよ。私も、おはようって、未來にいうから」
そう残してカナタさんは足早に去っていきました。私はハンカチをだすのも忘れて鼻血を袖で拭きながら、ふと考えます。
『お前』や『てめぇ』じゃなくて、『未來』と呼ばれたのはいつ以来のことだろうと。
その日はそれ以上、アノ人たちに絡まれることはありませんでした。鼻血を垂らして呆然としている私が、さすがに哀れに見えたのでしょうか?
いえ、アノ人たちに私を哀れむような感情なんて一ミリもありません。今の状況を教師に見られたら面倒だ、とでも思ったのでしょう。
次の日の朝、恐る恐る私は、おはようございますと、カナタさんにいいました。
「おっす。放課後空いてる? でっけえパフェ食いにいこうぜ!」
カナタさんは昨日殴ったのを謝りもせず、笑顔でいいました。
私は「はい」と頷きましたが、この時はまだ、飲食代をたかられるのだろうか、との不安が大きかったのを覚えています。
放課後はカナタさんや優子さんと遊ぶことが多くなりました。けれどもひとりで帰るときは、よくアノ人たちに絡まれました。
それでも昔とは違い、私は少し抵抗するようになっていました。
髪を引っ張られたら、「やめて」といい、金銭を要求されても自分から財布をだすことはなく、財布を奪われるまでは手で押し返したり。
なされるがままだった昔とは随分と変わりました。あの日、カナタさんに喰らった強烈な一撃が、私の心の中にあるなにかのフラグを立てたのだろうと思います。
そして、ゴールデンウィークをさかいに、すっぱりとアノ人たちは絡んでこなくなりました。




