30.誘拐(5)
「知らねぇな」内川がいった直後、拳が飛んだ。内川は呻き声をあげる。
男はそれ以上内川を痛めつけることはせず、野口の前に移動し、写真を突きつけてきた。
不倶戴天の敵、久丘が写っている。
「知らん」答えてすぐに、顔面に衝撃が走る。歯を食いしばって野口は耐えた。
次に男は倉本の前に向かい、同じように写真を見せた。
「うちの店のお客さんですね。今日刑事さんがきて、同じ写真を見せられました。そのヒトが店に来るのは、月に一回ぐらいです。前回来たのはゴールデンウィークの辺りだったかなぁ」
男は頷き、こちらを見た。
「お前たちがこの方を知らないはずがない。痛い目にあいたくなかったら嘘はつかないことだ。あまり強情だと、矢崎刑事のように死んでもらっていいんだぞ」
野口はカッと熱くなった。男たちの正体は薄々感じていたが、確信に変わった。
こいつらは久丘の手下だ! 失踪事件や矢崎さんの殺害にも関わっているはずだ!
首筋に噛みついてでも殺してやりたいと、野口の心中では怒りの炎が燃えあがる。だが、同じ熱量の恐怖と無念さが心を焼いた。久丘の手下どもが、自分たちを生かして返すはずがないのだ。
男が再び内川の前に立った。そして、先とは違う写真をかざした。角度があるのでよく見えないが、数人の女が写っているようだ。
「そいつらも知らねぇな」
内川は唾を吐き、男が立て続けに三発殴った。それでも今回は呻き声すら出さずに、内川は男を睨みつけていた。
男は内川に執着することなく、野口の前に移り、写真を見せた。カナタが写った写真を前にして、「知らん」と流暢にいえたのは奇跡に近かった。
はじめから『知らん』以外の言葉を発するつもりがなかったのが、功を奏したのだろう。野口も殴られたが、おかげで驚愕の表情がバレずにすんだ。
写真は下校中の隠し撮りのようだ。左にはコーヒーショップでも会ったミク。右の美少女は……たしかユウコだ。その真ん中で、カナタは大口を開けて楽しそうに歩いていた。
それにしても、なぜこいつらがカナタについて知りたがるのだ? 失踪事件とカナタは関係がないはずだ。野口は知り得るピースを並べてみたが、まともな絵にはならなかった。
男は次に、倉本の前に立つ。倉本なら進んで白状するはずだが、カナタの情報をどこまで持っているのだろう?
カナタがただの客というなら、野口が父親だとはバレていないはずだ。先ほどのピンク屋でのやり取りを思いおこすが、やはり親子であることは口にしていない。
男が倉本に写真を見せた。
「殴らないで下さいね! その子たちは知りません。本当っす!」倉本は早口でいう。殴る代わりに顔面に膝をいれられて、大きなサングラスが歪んだ。
なぜ倉本はカナタのことをいわなかったのだろう? 野口は驚きつつも、今は写真を持った男を注視した。
男は入口近くにあったパイプ椅子を、別の男に用意させて、どっしり座った。この場でイスに座っているのはヤツだけなので、その男が彼らのボスということなのだろう。
それからボスは、特に質問してくることはなく、気の向いたときに部下に命じて、野口たちを殴らせていた。
コトが大きく動いたのはさらに一時間ほど経ってからだ。外を行き来していた部下から耳打ちされ、ボスが立ち上がる。
「さて、拷問の準備が整った」
恐怖で泣き叫びたい気分だった。暴力で身体のあちこちが痛み、喉の乾きも尋常ではない。それでも野口は打ってでた。
「お前たちは久丘の部下なのだろ。今さら久丘が俺たちに何の用だ。まだ、ケツに火はついていないだろ。それとも、さっきの写真の娘が何か関係あるのか?」
「あの写真で、何か思いだしたことがあるのか?」ボスの視線が野口に注がれる。
「ないね。あの娘が久丘とどう関係あるかがわかれば、思いだすかもしれんがな」
ボスは冷たい目で野口を見ていたが、やがて口を開いた。
「久丘が失踪した。それに写真の娘が関わっているはずだ」
「失踪事件の黒幕が失踪したのか? なんの冗談だ!?」内川が割り込んだ。
挑発には応じず、ボスは無言で内川のほうに歩いた。
「なにか思いだしたことはあるか?」
「なにもないなぁ」
「では、無理矢理にでも思いだしてもらおう」
ボスが顎をしゃくると、ふたりの男が内川を押さえこみ、三人目がペンチで左手小指の爪を剥いだ。内川は悲鳴を噛み殺したような呻きを漏らす。
「どうだ、思いだしたか?」
「くたばれ」内川はすぐさま返す。
「もう一本だ」ボスが淡々と告げる。
「待てっ!」もう限界だ、野口は叫ぶ。「短い時間だが、会ったことはある。息子の友達だ。名前とかはわからない」
「なら、その息子に連絡して、聞け」ボスがいった。
ちらりと内川を見る。汗にまみれながらも、非難めいた視線をこちらに向けていた。
野口が内川の視線から顔を背けると、ちょうど部下の一人が、野口のスマホを手にした。移動中に奪われていたものだ。
「俺がかける。手をほどいてくれ」
「ダメだ。ロック解除の暗証番号をいえ。嘘だったら、覚悟はできているのだろうな」
「嘘ではないが……息子は携帯の電源を切っていることが多くてだな……」
「やはり、時間稼ぎか……」ボスがいって、部下に向かって顎をしゃくった。
たちまち野口は押さえられ、左手小指から激痛が奔った。爪を剥がれただけなのに、指を潰されたかのような痛みだ。
「なにか思いだしたか? それとも次にいくか?」
拷問は部下にまかせて、悠然とボスがいう。
たとえなにがあっても、カナタのことだけは口にしない!
そう心に誓って、野口は次の衝撃に備えた。しかし、野口を貫いた次の衝撃は痛みではなかった。
「くらぁぁ、クソオヤジ! 私のエラルドを返しやがれ!」
カナタの怒声が響いたのだ。




