27.誘拐(2)
ピンク屋まではそう遠くない。歩いて向かうこととなった。内川は尾行を気にしているのか、無駄口は叩かずに辺りを警戒していた。
歩きながら野口は、ミクとの約束について考えはじめた。オシャベリには見えなかったが、ふとしたことから、正志の耳に入ることも考えられる。
変に伝わるぐらいなら、自分から話してやった方がいいかもしれない……。
正志の本当の父は矢崎恭吾。野口に刑事のイロハを叩き込んだ男だ。正志が生まれる少し前に殉職した。
矢崎は優秀な刑事だった。恐ろしく鼻がきき、捜査手腕も見事なものだった。
中でも野口が一生勝てないと思ったのは、執念だ。
寒空のなかホームレスに紛れて何日も張り込みしようが、ヤクザに的にかけられようが、ホシを挙げるためなら屁とも思わない刑事だった。
そして、違法な捜査に手を染めることにも躊躇はしなかった。
また、矢崎は誰にでも平等だった。ガキでも女でもヤクザでも政治家でも、目星をつけたなら必ず追い詰め、喉元にかぶりついた。それは財界で有名だった久丘にも同じだった。
久丘は新しいITビジネスを次々と展開して社会的ブームをつくり、時代の寵児といわれる存在だった。当時はまだ四十代で端麗な顔立ちだったこともあってか、メディアにもちらほら露出していた。
そんななかで矢崎が、市内で起きた男子高校生失踪事件の捜査線上に、久丘をあげた。矢崎に心酔していた野口ですら、正気かと思った。周りの進言苦言に一切耳を貸すことなく、矢崎は久丘に迫っていった。
単独でたびたび東京に向かい、ついには久丘の秘書のひとりと男女の関係になった。もちろん捜査のためだったのだろうが、どんな過ちがあったのか、その秘書が身籠ってしまった。矢崎も自分の子供だと認めていた。
そして、正志が生まれる前に矢崎は死んだ。
違法改造したスタンガンによるショック死だった。何年も前に矢崎が逮捕したヤクの売人にやられたというのだ。その売人も逮捕直前に自害してしまった。
矢崎が殉職してから一年後、野口はその秘書と出会った。久丘の元からは離れて看護師となっており、捜査中の交通事故で入院したさいに偶然出会ったのだ。
それが妻の由紀恵だ。
交際前から乳児をかかえるシングルマザーであることは知っていたが、正志が矢崎の忘れ形見であることに気づいたのは、結婚の直前だった。由紀恵にいたっては、矢崎が刑事だということすら知らされていなかった。
この数奇な運命を知ったとき、「仇をとってくれ」との矢崎の無念が聞こえた気がした。矢崎の想いを受け継ぎ、野口は動きだした。
何年もかけて、秘密裏に捜査を継続した。そして、十年間の執念が実を結んだ。
矢崎を襲ったヤクの売人と久丘を繋ぐ証拠を、偶然にも見つけたのだ。久丘と失踪事件を結びつけることはできなくても、警察官殺しとしては逮捕の道筋が見えてきた。
いよいよ勝負のときだと、課長に打ち明けたが、当時の署長に握り潰された。いや、その判断を下したのは県警本部長との噂もあれば、さらに上の警察庁の幹部だという噂もある。
野口は抗議したが、タイミングよく矢崎の違法捜査が問題視された。それは矢崎とともに捜査することが多かった野口にも及んだ。
結局、野口は警察を辞めることとなった。今から三年前のことだ。
「この細い路地を中に入って少し歩けばピンク屋だ」野口は足を止めた。
「ピンク屋については、どこまで調べた?」
「店の前を一回通りすぎただけだ」
「正志君の情報では、ピンク屋は質屋を名乗って、売れるはずのないゴミを高額で飾っていたとのことだ。表向きはあからさまにダミーで、奥に商品があるはずだ。店に出てるのはひとりで、ホスト風の若造。何を扱ってると思う?」
「中に入ってないから断定はできないが、看板を見る限りでは女だな。でなければ、ヤクか銃か……。失踪に直接関係あるなら人身売買、臓器ビジネスかもしれん」
「おそらくバックはマル暴だ。だったら俺は面が割れてる。先にようすを探ってくれるか?」
「こっちもマル暴のふりして脅してみる。扱っている商品か、バックがわかればいいんだがな」
「まかせた。俺はここで待ってる。入り用なら連絡をくれ」
「わかった」と残して野口は路地の中に入る。
ピンク屋の看板が見えた。相変わらずピンクの電飾が目に痛い。野口は小さく咳き込み、喉の調子を確認した。開口一番に暴力的な言葉で怒鳴り散らすつもりだ。店番の若造など相手にしてられない。とっとと、上を呼ばせないと話が進まないのだ。
野口がドアを開いた直後、怒号が響く。
「なに不良品つかましてくれてんだ! なめてんのか、おおっ!? どこがケツモチだ、こらぁ!」
カナタが目をひん剥いて怒鳴っている。何事だと、野口は呆然となった。




