26.誘拐(1)
内川から電話があったのは、深夜一時をまわったころだった。
「ちょうどよかった。俺からも話したいことがある」電話にでた野口は、開口一番にいった。
「なんだよ」
「かけてきたのは、お前だ。先に用件をいってくれ」
「わかった」と内川はいったものの、しばらく沈黙が続いた。やっとしゃべりだしたと思ったら怒気をはらんだ声だ。「数日前、正志君から連絡があった」
「正志からお前に?」
「S駅からほどない距離にピンク屋という質屋があるそうだ。すこぶる怪しい店で、ラジッド鮎川のサインが売られていたとのことだ。しかも、鮎川はその店の客で、店員の肩を抱いた写真まであったらしい……」
「何がいいたい?」
「正志君を巻き込んだんじゃないだろうな」
「ふざけるな!」野口は怒鳴り、タバコに火をつけた。
「なら、いいんだ。あまりにもタイミングがよかったから、訊いてみただけだ」内川の息づかいが聞こえた。「で、お前の用事とはなんだ」
「俺も、そのピンク屋に行った。正確には店の前を通りすぎただけだが」
「じゃあ、やっぱり……」
「勘違いするな!」野口は内川の声に被せた。「俺がピンク屋に行き着いたのは、お前が持ってきた写真からだ。そのうちのひとりがピンク屋に入るのを見た」
「どいつだ?」
「無印。ソバカスがあってつり目だが、なかなかの美人だ」
「右下二番目の女だな。どうやって見つけた? まさか偶然というわけじゃあるまい」
「その偶然さ。街でたまたま見かけて、尾行した」
偶然とはもちろん嘘だ。きっ子が学校を出たあとに何度か尾行したのだ。内川にはカナタのことを話すつもりはない。
「偶然か……まあ、いい。ともあれ、会う必要があるな」
「今、事務所だ。来るか?」
「いや、その場所を知られたくない」
「誰にだ? お前、なんかヤバいことになってるのか?」
「多少……な。それよりも明日会おう。夕方五時にS駅だ」
そう残して、電話は切れた。野口はスマホを置いて、タバコを灰皿に押し込んだ。
正志もピンク屋に行ったとは、初耳だった。きっ子からカナタ、カナタから正志、そのネットワークでピンク屋に繋がることもあるのかもしれない。
ならば、カナタもピンク屋に行ったのだろうか……。なんにせよ、あの店は徹底的に調べる必要がありそうだ。
次の日、野口が目覚めたのは昼過ぎだった。事務所で酒を呑み続け、いつの間にかソファーで寝てしまったのだろう。
家には帰らずに事務所で呑んだくれる。最近はこういう日が多くなってきた。カナタへの、娘への想いが強くなればなるほど、妻と顔を合わせるのが怖くなってしまったのだ。
昼過ぎに自宅へ戻った。当然だが誰もいない。
シャワーを浴びてから事務所に戻り、四時過ぎにS駅へ向かった。BMWを駅近くのパーキングに停めるのと同時に、電話が鳴った。内川からだ。
内川が指定したのは全国展開しているコーヒーショップだった。中を覗くと、学校帰りであろう学生が多い。野口はカウンターでアイスコーヒーを注文し、真っ直ぐ喫煙ブースに向かった。
喫煙ブースは十席ほどで、予想どおり内川がタバコを吸っている。他に客はいなかった。
「ずいぶんと似合わない店にいるじゃねーか」
「普段の行動範囲を見せたくなかったんだ」
「ここも尾行されているのか?」野口は眉をよせた。
「今は大丈夫だ。おそらくな」
「夜道をひとりで歩いてあぶりだしてやったらどうだ。なんなら協力してやるぜ」
「やめておこう。次に失踪するのは、俺とお前、なんてことにもなりかねない」
「そこまで危ないのか!?」
「わからん。考え過ぎかもしれん。それより、つり目のオネーさんのことを、詳しく教えてくれよ。まさか、何も調べずに放置してたわけじゃないだろ?」
「斉藤きっ子、二十四歳。私立白河台高校の教師だ。住所と電話番号はメモってある。今の俺が金をかけずに調べられたのはそこまでだ」
「待てよ。白河台は、お前の娘が通ってる学校じゃないのか?」
「なぜそれを!」野口は目を剥いた。
「正志君から、ある程度のことは聞いている」
「ふざけやがって。お前たちはいつから、つるんでいたんだ」
「お前さんが辞めてからも、俺からたまに連絡していたんだよ」内川はタバコを灰皿に押し込んだ。「由紀恵さんは、このこと知っているのか?」
「お前には関係ないだろ!」
「正志君には……まだいってないのか?」
「なにをだよ」
「本当の父親のことだ」
「それこそ余計なお世話だ!」
「そう大きな声をだすなよ。そんなことよりも、まずはピンク屋に話を聞きたい。行こうぜ」内川はカップも片付けずに、さっさと出口へ歩いて行った。
「勝手なこといいやがる」野口は吐き捨てるようにいいながら、席を立つ。
喫煙ブースの入り口で灰皿を補充していたバイトの少女と目が合った。彼女はビクリと肩を震わせる。
なんだ? と疑問に思ってすぐにピンときた。すっきりと整った顔だが、影のある遠慮がちな表情をしている。たしか、ミクというカナタの同級生だ。
「さっきの話……聞いていたのか?」
「ご、ごめんなさい。でも、その……盗み聞きするつもりはなくて……」
今にも泣きだしそうな顔で、ミクは声を震わせた。
野口はすんでのところで舌打ちをこらえて、「他言無用で頼む」と返す。
「は、はい。私も……バイトしていることはカナタさんに秘密にしてください。カナタさん、お金が必要だから私もお手伝いしたくて……でも……こういうの嫌がるかもしれなくて……」
「わかった。お互いに秘密だな。約束しよう」そう残して野口は外に出た。
「なにやってんだ。早くしろよ」
外で待っていた内川がいった。今度は我慢せずに、大きな舌打ちをくれてやった。




