21.母の怒り(3)
「あのぉー、鮎川さんのことなんですけど……」
「なんすか?」
「本当に失踪したことを知らないんですか?」
「どうしてそう思ったの?」
「それは……」と優子がいってすぐ、正志に肩を強くつかまれた。
正志は耳元に顔をよせて囁く。「危険かもしれません。この店のことは父の知り合いの刑事さんに、知らせておきます」
たしかに、これ以上踏み込むのは危険だとの予感もあった。優子は頷き、店をあとにした。
自宅の最寄り駅まで戻ってくると、「最終兵器を得た私は無敵だ!」と、肩で風を切りながらカナタは進む。
すぐにカナタが住む駅前のマンションへと着いた。優子の家からも徒歩五分と近いが、ここに来るのは二年半ぶりのことだった。
中学の頃は毎日のように来てたなぁ……。当時のことを思いだし、優子はむず痒くなった。
今では自制しているが中学時代の優子は、口の悪さを一切隠そうとしていなかった。感想を求められたから正直にいっただけなのに、クラスメートに泣かれてしまうことも、しばしばあった。そんななか、持ち前の毒舌を吐いてもびくともしないカナタは、優子の美貌や成績や家柄を妬むことなく、一緒にいて心地良い存在だった。
小学生のころは放課後まで一緒に過ごすことはなかったが、中二あたりからは毎日のようにカナタの家に来ていた。さらに一年も通いつめているとお互いが空気のような存在になっていき、カナタの部屋で会話もなくスマホをいじっているだけで、なんの苦もなく時間は流れた。
晩御飯をいただくことも多く、カナタの母のことも、「彩さん」と名前で呼ぶほど仲良くなっていた。
金髪の彩は若々しく、所帯じみていなかった。フリーのIT技術者として、女手ひとつで娘を養う姿も、眩しく映った。実家や夫の経済力に頼っている自分の母とは違い、シングルマザーとして逞しくカナタを育てている彩に、正直、憧れていた。
そんなこともあり、高校受験も迫ってきた中三の秋、優子は彩を真似て金髪に染めた。
「先生には反対されたけど、カナタと同じ学校に行くことにしたの。だから内申点なんて関係ないし、ほら、彩さんと同じ色」
似合ってるよ。そんな言葉を期待しながら優子は、御披露目するようにくるりと回ってみせたが、彩に頬をはり倒された。泣きながら家に帰り、すぐに髪を黒く染めなおした。
それから、優子はカナタの家に来ていないし、彩とは顔をあわせていない。
いやはや、あの頃の私はガキだったなぁ。
今ではそんな感想で笑い飛ばせるぐらい優子は成長していたが、久々に彩と対面するとなると、緊張していることも自覚した。
二十階建てのマンションで十二階までエレベーターで上がる。そして、1207号室の前に立った。未來は両手を胸元で結び、怯えた表情をしている。正志はきょろきょろと物珍しそうに辺りを見ていた。
カナタが鮎川のサイン入りCDを持ちながら、ドアを開ける。まるで待ち構えていたように、彩が腕を組んでこちらを睨んでいた。
長い金髪に力強い瞳、ああ、彩さんだ、変わらないなぁ。
優子は懐かしく思った。
「久しぶりじゃない、優子。てか、たくさんいるわね。で、カナタ。どういうことか、説明してもらうわよ」
彩が低い声で脅すようにいうが、カナタは怯まずに一歩前にでて、「ハハよ、落ち着け」と、CDを掲げた。
「なに?」
「ラジッド鮎川のサイン入りCDだ。これで機嫌を直してくれ!」
「なめてんのか!」裸足のまま外に出てきた彩はCDを奪い取り、廊下に投げつけ踏み砕く。
「うぇっ!」とカナタは驚いていたが、優子はそりゃそうかと思った。
「父親はどこのどいつだ! ぶっ殺してやる!」彩は鬼の形相で怒鳴る。
「ひいぃっ!」と情けない悲鳴をあげながらカナタは逃げだした。エレベーターを待つ余裕もなく、非常階段の扉の先に消える。その後を未來が追っていった。
いや、ここに残されても困るのだが……。
そう困惑している暇もなく、彩は正志の胸ぐらをつかんでいた。
「いい年のオッサンと聞いてたけど、本当はお前が父親か!」
「落ち着いてください、彩さん!」優子はとっさに彩の腕を持つ。
彩は乱暴にそれを振りほどき、優子の髪をつかんだ。
「ゆーこぉぉ! 誰が父親だっ!」
彩の眼は血走り、鬼気迫るものがあった。金髪にして張り倒されたあの日なんかとはまるで違う。ヘタなことをいうと殺されかねない、そう思わせるほどの迫力があった。
「カナタは不倫も妊娠もしていません」優子は怯みながらも、そう答える。
「カナタがいい歳のオッサンと、認知とかDNA鑑定とかの話で揉めているのを、数人の友人が目撃している! 嘘をつくような人たちじゃないし、その理由もない!」
「嘘はつかなくても、誤解かもしれないです。カナタは違うっていってるんでしょ?」
「カナタは逃げ回ってばかりで、何もいってくれないわよ!」
あのバカ、弁解のひとつもしてないのか!?
内心では毒づきながらも、私がなんとかせねばと思った。もちろんカナタのためなどではなく、正志のためという気持ちも薄い。早く彩を安心させてやりたい。ただただ、その一心だ。
「カナタは不倫も妊娠もしていません! クラスメートのために、代理で話し合いに出ただけです。でも、カナタは感情的で短絡的なところがあるから、まるで自分が当事者のように激しいやり取りをしてしまったようで……」
「だったら、なんでそう説明しないのっ!」彩は涙声だった。
「誰にもいわないでと、そのクラスメートにお願いされたからです」
「そのクラスメートって……さっきカナタを追って逃げちゃった、おとなしそうな子?」
「そうです……けど、これは秘密でお願いします」
ごめん、未來。巻き込むよ。




