20.母の怒り(2)
さっそくカナタが今の状況を正志に説明した。カナタが不倫していると、カナタの母が誤解していること。誤解を解くのは簡単だが、それをすれば野口が別に家庭を築いていることが明らかになってしまうこと。今のカナタの母は情緒不安定で、野口家に干渉して家庭崩壊を招くリスクがあること。
「すいません。僕なんかのために」正志は神妙な表情で頭を下げた。「でも、僕のことは気にしないでください。それに、僕の母さんだけがカナタさんのことを知らない状況もどうかと思いますし、カナタさんの名誉が不当に傷ついているのも看過できません」
「正志君はそういってるけど、どうするの?」
「うーん、いずれバレるにしても、もう少しハハの機嫌がいい時のほうが……」カナタは腕を組んで考える仕草をしてから、そうだ、と手を打った。「ハハが不安定なのは、鮎川が失踪してラジッドのライブが中止になったからだ。私たちが鮎川を見つけてライブが開催されたら、ハハの機嫌もなおるはず!」
「あいかわらずバカね。警察にマスコミ、ネットの住人、みんな探しているのに見つからないのよ。それがカナタに見つけられるわけないでしょ」
「鮎川のサインで機嫌がなおりませんかね。鮎川はほとんどサインしないヒトだから、かなり貴重なはずです」正志がいった。
「サイン持ってるの?」カナタが眉を上げる。
「ピンク屋でサイン入りCDが売られていましたけど、気づいてませんでした? ガラクタが高額で売られているあの店で、鮎川のサインだけは掘り出し物です。オークションだと数十万いくかもしれないのに、千円で売ってましたから」
ピンク屋とは、何でも願いが叶う『エラルド』という石を二十万円で売っている質屋だ。それを購入したいがためにカナタは、休日をバイトで潰し、平日も深夜まで働いている。優子はそのことをカナタから聞かされたとき、ここまでバカだったのかと、驚きを超えて情けなくなった。
「それって偽物じゃないの?」優子は首を傾けた。
「ピンク屋の店員と鮎川が肩を組む写真が添えられていたので、本物だと思います」
「よし、善は急げだ!」カナタは指を鳴らして立ち上がる。
S駅に着いたのは午後三時になる少し前だった。ここに来るのは、『北極星の母』が占いでカナタの父親を探し当てた、あの日以来になる。占いなど非科学的なものを信じない優子だが、あの日に起きた奇跡と呼ぶべき出来事を思いだすたびに、背筋がぞくりとする。
カナタの先導で足早に進んだ。しばらくすると、細く汚い路地に入った。あまりにも狭いために一列となって歩くなか、「もうすぐだよ」とカナタは意気揚々としており、一方の正志は妙に緊張している気配があった。
「どうしたの?」
「いえ、なんでもありません」とは答える正志だが、何かを警戒しているようだった。
五十メートルほどで、ピンク屋と書かれたピンクの看板が見えた。さらにピンクの電飾が光るさまは笑えるぐらいに下品だ。年増の女が性サービスしてくれる店としか思えない。
カナタを先頭に店へ入る。四人も入ると二畳ほどの店内は満杯になった。
「なんすか、なんすか、ぞろぞろと」ショーケースの奥にいた男が顔をしかめる。店の中なのにサングラスをかけた茶髪の若い男だ。
「鮎川のサインをくれ」単刀直入にカナタがいう。
「ん?」
「それをください」正志がショーケースの一番左を指差す。
「ああ、これか」男が取りだして、ショーケースの上に置いた。「えーと、はいはい、千円だね」
サインの価値にまるで気づいていないようだ。そんなことで質屋が成り立つのだろうか?
「ラジッドの鮎川さんとは知り合いなんですか?」優子が尋ねた。
「この店の常連さんだよ」男は気軽に答える。
「この店の?」優子は眉をひそめた。「失踪したって……知ってます?」
「へー、そうなんだ。どーりで最近店に来ないわけだ」
男は興味なさげにいうが、鮎川の失踪は連日連夜ニュースやワイドショーで話題になっている。ネットもテレビも見ない世捨て人のような生活じゃないかぎりは、知らないはずがない。
……この男、惚けているのか? だったらなんのために? 優子は男をじっと見る。
「鮎川さんって、この店でなにを買ってたんですか?」
「いろいろと」
「いろいろねぇ」優子はショーケースを眺めた。
カナタが熱をあげている『エラルド』はただの白い石ころのようだが、確かに二十万円となっている。
他にも、誰が買うのだという代物が冗談のような値段で並んでいた。「最強のコップ」という説明があるチープなプラスチックのコップや、百均に並んでいそうな「魅惑の軍手」も十万を超える。なかでもタダで配っていそうなポケットティッシュは、「幸せの紙」と銘打って一億五千万だ。
もはや正気の沙汰ではない。これなら怪しい宗教から「幸せのツボ」でも買うほうがまだ価値がありそうだ。
カナタが千円札をバンッと叩くようにおいて、サイン入りCDをカバンに入れた。
「まいどあり」
「よし、帰ろう!」
カナタはさっさと店から出たが、優子はピンク屋の男に訊きたいことがあった。男は鮎川の失踪について何か知っていると思えてならないのだ。




