13.僕は食後のケーキ君(6)
「『北極星の母』はもういいって昨日もいったでしょ! それより『エラルド』を安くしてよ!」
カナタさんはショーケースの中を指差した。その先には丸くて白い石ころが無造作に置かれており、『エラルド――願いの叶う石』と書かれたポップが隣にある。
「これは二十万。びた一文まけないよー」
こんなものが二十万円だと! 僕は耳を疑った。
「そこをなんとか、私の全財産!」
カナタさんはショーケースの上で財布を広げた。数枚の硬貨が甲高い音を立ててショーケース上に落ちてから、一万円札が二枚、ひらひら舞い落ちる。
「あのさー、びた一文まけないっていったのに、九割引になるわけないじゃん」
「やっぱり駄目か……」カナタさんはがっくり頭を垂れた。「あー、バイトするしかないかぁ」
「そうまでしてこんな石ころが欲しいんですか!」
「そうよ。だって、『願いの叶う石』なのだから、『北極星の母』に頼らなくても、この石が私を石油王にしてくれるじゃない」
ジョークなのだろうか? それともカナタさんは凄く凄く頭が悪いのだろうか?
「しっかりしてください! こんなもので石油王になれたら、誰も苦労はしませんよ!」僕はカナタさんを叱るようにいってから、ピンク屋の男に視線をやった。「あのー、この石はどこで拾ったんですか? ずいぶんと楽な商売ですね」
ピンク屋は挑発になど応じず、あくびをしてからいった。
「おニイさん、この子の彼氏? バカなことに金を使うなと、説得してやってくんない」
せっかくただの石が大金になるというのに、売る気がない? そう疑問に思いながら、あらためてショーケースに視線をやる。『願いの叶う石』のポップに、小さい文字で六桁の数字が並んでいる。
他の商品も見てみた。『願いの叶う石』と大差のない、くだらないものばかりだった。中には九桁、つまり億を超えるモノもある。もう無茶苦茶だ。
逆に一つだけ相場よりずっと安いであろうものがあった。今一番有名なアーティストのサイン入りCDだ。おそらくピンク屋がその価値に気づいていないのだろう。ともあれピンク屋なるものは、カナタさんのような奇人相手ならともかく、一般人相手に商売が成り立つ店だとは到底思えなかった。
「いいかっ! バイトしまくって一ヵ月で二十万貯めてやる。これで石油王になれなかったら、スプーンで目ん玉くり抜いてやるからな!」カナタさんは噛みつかんばかりの剣幕でいってから、店を出た。
駅までの道中は声をかけづらい雰囲気だったが、ホームのベンチに座り、電車待ちとなったタイミングでやっと僕は口を開いた。
「本当に、あの石ころを買うんですか?」
「悪いの?」カナタさんはスマホを睨みつけたまま、こちらを見ようともしない。
「悪い、というわけではないですけど……あの石に二十万円の価値があるとは思えません。考え直したほうがいいと思います」
「静かにしてくれる? 今、バイト探してるんだから」実に不機嫌そうな声だ。
僕の気も知らないで、酷いことをいうものだ。そう不満と苛立ちが心に押しよせるなか、どこか新鮮な感覚を覚えた。
そういえば、僕は今まで同世代の女性から冷たくされたり、疎ましくされたりしたことがない。それは単に、運よく僕の顔の造りが整っていたからだ。だが、そんなものは姉という続柄には効果がないようだ。
「姉弟か……」
ぼそりと呟く。僕は十五年間、ひとりっ子だったし、カナタさんも母親以外に家族はいないと聞いている。ふたりっきりの姉弟なのだ。
ふと時間を確認すると朝の九時。まだまだ、一日の始まりだ。今なら雛田さんと水族館に行く約束を守れるかもしれない。
そんな考えが脳裏をよぎるも、その気分にはなれなかった。
僕やカナタさんが帰る方面の電車が過ぎ去ったが、相変わらずカナタさんはスマホとにらめっこしている。カナタさんがベンチを立つまで、とりあえず僕も隣に座っていようと思う。
月曜の朝、教室に着いた僕はすぐに雛田さんの姿を確認した。教壇近くで静かに座っている。活発で明るい彼女には珍しいことだ。
僕は鞄も置かずに雛田さんのもとに行き、先日のドタキャンを詫びてから、窓際の自席に座った。
校庭を眺めながら、昨日のことを思いだす。結局、バイト探しに付き合わされ、家に着いたころには陽が沈んでいた。カナタさんは本気で、あの石ころを買うために二十万円をバイトで稼ぐつもりなのだ。
僕はため息を落としてから、無意識に「二十万」と呟いていたようだ。
「二十万って? 野口君、お金に困っているの?」いつのまにか雛田さんが隣にいた。
「あれ? 僕、そんなこといった? 空耳じゃないかなー」
そう惚けてはみたものの、通用しなかった。雛田さんはすっと顔をよせてきて、耳元で囁く。
「私のパパ、小さい会社だけど経営者やってるから、相談してくれたら……」
「いや、本当に何でもないんだよ」僕は立ち上がり、逃げるようにトイレへ向かった。




