表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/41

幸福の壺

「ねえねえ、ちょっと相談に乗ってくれる?」


 小洒落た喫茶店の一角で、一人の若い女がやや年かさの男におずおずと問いかけた。相談に乗って欲しいという言葉が示す通り、女の表情は物憂げだ。


「どうしたんだい?」


 対面に座る男は居住まいを正し、どことなく影が落ちている女の顔を見つめた。女はコーヒーカップを片手にぽつぽつと語りだす。


「この前、一見いちげん同士で集まって冒険者パーティーを組んだんだけどね……無事に依頼をこなして、その中の一人のおばさんと仲良くなったの」

「ふうん、それで?」

「仲良くなってから時々一緒にお出かけしたりするようになったんだけどさ。この前ここと同じような喫茶店で会った時、そのおばさんがこんなことを言い出したのよ」

「どんなこと?」


 尋ねる男に、冒険者の女はそのおばさんの真似なのか、大仰な演技口調で聞かされたセリフを述べる。


「あなたには不幸がとりついている。この壺を買いなさい。この壺は幸福の壺といって、あなたを幸せにしてくれる魔法がかかってるのよ……って」

「……」


 あっけにとられたのか、男は何も言わずに女の顔を見返すばかりだった。男が言葉を紡ぐのを待たずに女は続けて喋りだす。


「たしかにそのおばさんの言う通り、あたしって子供の頃から不幸続きなのよね……その壺を買ったらあたしも幸せになれるかな? でもすごく高かったし、買おうかどうかちょっと迷ってるのよね……あなたはどうすればいいと思う?」


 女がすがるように問いかける。男はしばらく沈黙していたものの、ややあって。


「……ああ、僕に相談してくれてよかった」


 ようやく開口した男は、ずいぶんと真面目くさった顔をしてそう言った。


「はっきり言おう。君はその壺を買ってはいけない。君は騙されてる」


 女の目を覗き込むように男はまっすぐに見つめる。それはまさに真摯としか言いようのない表情であった。

 男の口から発せられたその言葉に、予想外のことを聞かされた驚きを顔に貼り付けつつ女は抗弁した。


「だ、騙されてるの!? でも、とても優しいおばさんなんだよ?」

「それも君を騙すための演技さ……もしかすると君はこれまで、周囲から人を信じやすいと指摘されてこなかったか?」

「うっ……たしかに友達からも、あんた騙されやすすぎとか、あんなのを信じるなんて馬鹿ね、とか、散々に言われてきたかも……」


 述懐する女に、男は得心したかのように何度もうなずいた。


「やはりな。僕の思った通りだ。純真なのは良いことだ。でも、もう少し賢くならないといけない」

「賢く、か。どうすればいいのかな?」


 首を傾げる女の可愛らしい仕草に、男の口元が緩んだ。


「よくぞ聞いてくれた。これを見て欲しい」


 男はそばに置いてあったバッグから小さな箱を取り出した。机の上の食器を脇にどけて空いたスペースにその箱を置く。


「なあにそれ?」


 女は目をぱちくりとさせた。男は自慢げな様子を顔と声に滲ませる。


「これは賢さの印鑑と言ってね。名のあるマジックアイテムのひとつで、家に飾っておくだけで賢くなれると言われているんだ。これさえあれば、君はもうそんなおばさんに騙されることもなくなるはずだよ」


 ぱか、という音と共に蓋が開けられる。中には、そんないわくにふさわしい、黒塗りの綺麗な印鑑が収められていた。

 男の説明を聞いて、目の前の印鑑を見て、女の瞳がたちまち輝きだす。


「す、すごい! 飾っておくだけで賢くなれるなんて!」

「ああ。僕もこれを手に入れてからは騙されることなく人生を送れているんだ。幸い、手元にひとつ余っている。君がどうしても欲しいというなら、それを譲ってあげよう。もちろん高価なものだから、それなりのお金はいただくけど……」

「ありがとう! 壺を買うお金でそれを買うわ! これであたしも騙されずに済むようになるのね!」

「まいどあり」


 男はにっこり笑顔でそう言った。


   ◇◆◇◆◇


 印鑑代を払ったこともあり、しばらく依頼をこなす日々が続いていた冒険者の女。

 しかし頑張った甲斐もあってか、思っていたよりも早く、印鑑代に使ったお金と同額のお金を再び手にすることが出来た。

 今は、組んだ仲間との打ち上げを終え、帰途についているところである。


「ただいま!」


 応える者はいないが、帰宅の挨拶をするのはいつものことだ。

 久しぶりに自宅に帰って来た女は、棚に飾ってある印鑑を見て男のことを思い出した。

 依頼の日々に忙殺されて忘れていたが、そういえばあれ以来あの男とは会っていない。


 まあいいか。男もきっと忙しいのだろう……と、それきり思考を切り替える。


 だって、今の自分はとても充実しているのだから。


「ああ、この印鑑を手に入れてから、世の中のことが色々と分かった気がするわ! これが賢くなるってことなのね! しかも今日からは幸せも訪れるはずだし、もう怖いものはないわ!」


 女は飾っている印鑑の横に、ついさっき新しく買った壺を置きながら、一人微笑んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ