表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ギャルはシャッター商店街を盛りたい  作者: 御茄子之与一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/7

第2話 校則より先に、顔を見て

セト・コスメに、静かな写真館の孫がやってきます。

 十七時きっかりに、灰原怜司はセト・コスメへ来た。


 莉愛はその時、カウンターに積まれていた古い紙袋を開けていた。中から出てきたのは、口紅のサンプル、手鏡、昔のポイントカード、そして祖母の顧客メモだった。


 祖母は几帳面だった。


 誰に何を売ったかだけではなく、短い言葉が鉛筆で添えられている。


 宮田さん。赤はまだ怖い。まずは薄桃。

 魚辰の奥さん。疲れ顔を隠すより、目元を明るく。

 ノエルちゃん。写真の日。笑わなくていい。青いリボン。


 最後の一行を見つけた時、莉愛は手を止めた。


 ノエルちゃん。


 あの子は、ここにもいた。


 幼いころの記憶の中に、祖母の店で見かけた細い女の子がいる。いつも写真館の女性の後ろに隠れていた。けれど、ネイルカラーの棚だけはじっと見ていた。莉愛が「これかわいい」と青い瓶を指さすと、その子は小さくうなずいた。


 あれがノエルだったのかもしれない。


 ドアベルが鳴った。


 「失礼します」


 怜司は外と同じ冷えた顔で入ってきた。制服ではなく、黒いジャケットを羽織っている。学生というより、会社の人間みたいだった。手には薄いファイル。


 莉愛は紙袋を抱えたまま言った。


 「靴、マットで拭いて」

 「……はい」


 怜司は一瞬だけ眉を動かしたが、従った。


 そういうところは育ちがいい。


 「同意書の件です。瀬戸サチ子さんは、以前から説明を受けています。補償金も提示済みです」

 「おばあちゃん、まだサインしてないんだよね」

 「はい。ですが、商店街全体の安全性を考えれば、早期の合意が望ましい」

 「安全、安全って言うけどさ」


 莉愛は、カウンターの顧客メモを指で押さえた。


 「ここに来てた人のこと、見た?」

 「店舗の顧客情報に興味はありません」

 「だよね。興味ないまま、店なくそうとしてるんだ」

 「老朽化した建物を残すことは危険です」

 「建物だけの話にすれば楽だよね」


 怜司の目が少し鋭くなる。


 「感傷で判断すると、被害が出ます」

 「感傷って言えば、人の大事なものを下に見ていいわけ?」

 「莉愛さん」

 「サインはしない。ウチに権限ないし」

 「では、サチ子さんが退院するまで保留ということですか」

 「うん」

 「時間稼ぎにしかなりません」

 「時間稼ぎ、上等」


 莉愛は笑った。


 「三週間ちょうだい」

 「三週間?」

 「おばあちゃんの店、開ける。商店街でイベントもやる。ちゃんと人が来るか、色が戻るか、見てから決める」

 「イベントで耐震基準は変わりません」

 「そこは後で専門家に聞く。今は、壊す前に何を壊すのか見てって話」

 「無謀です」

 「ギャル、だいたい無謀から盛るんで」


 怜司は呆れた顔をした。


 「あなたは、何でも軽く言いますね」

 「軽く言わないと、重すぎて誰も持てないことあるじゃん」


 その時、ドアベルが小さく鳴った。


 二人が振り向くと、ノエルが立っていた。制服の上に薄いグレーのコートを着ている。手には、昨日の写真。


 「すみません。写真を、返し忘れて」

 「返してもらってるよ」

 「いえ、裏に挟まっていた紙が」


 ノエルは封筒を差し出した。


 莉愛が受け取る前に、怜司の表情が変わる。


 「ノエル。帰れ」

 「……お兄様」


 莉愛は二人を見比べた。


 「え、兄妹?」

 「戸籍上は」


 怜司が答えた。


 言い方に温度がなかった。


 ノエルは下を向く。


 「私は、灰原家の養女です。祖母が亡くなって、写真館が閉まったあとに」

 「ノエル写真館の?」

 「はい」


 莉愛の胸の中で、いくつかの線がつながる。


 写真館の孫。

 灰原家の養女。

 再開発会社の一族。

 炎上したと責められている子。


 居場所がないわけだ。


 ノエルは封筒をカウンターに置いた。


 「写真の裏に入っていました。祖母の字です」


 莉愛が封筒を開けると、中から小さな色見本の紙が出てきた。


 化粧品のカラーチャートではない。手書きで、商店街の店の名前と色が並んでいる。


 魚辰 藍。

 宮田青果 若草。

 山吹文具 山吹。

 セト・コスメ 桃。

 ノエル写真館 空色。


 最後に、こう書かれていた。


 白灰は灰色ではない。混ぜる前の色を忘れないこと。


 莉愛は、思わず笑った。


 「めっちゃいいじゃん」


 ノエルの目が揺れる。


 「祖母は、商店街の色見本帳を作っていました。店ごとの色、看板、祭りの衣装、写真。全部記録していたそうです。でも、今は見つかりません」

 「それ、あったら強くない?」

 「強い?」

 「この街がただ古いだけじゃなくて、ちゃんと色を持ってた証拠になる」


 怜司が口を挟む。


 「感傷の記録です」

 「また出た、感傷」

 「再開発の判断材料にはなりません」

 「でも、壊す前に何を壊すか知る材料にはなる」


 ノエルは小さくうなずいた。


 「私、探します。色見本帳」

 「だめだ」


 怜司の声が鋭くなった。


 「ノエル、今は学園の処分保留中だ。余計な動きをすれば、さらに立場が悪くなる」

 「でも、私は何もしていません」

 「それを証明するまでは、黙っていろ」


 ノエルの肩が跳ねた。


 莉愛はカウンターの内側から出た。


 「黙ってたら証明できなくない?」

 「部外者は口を挟まないでください」

 「この店の鍵持ってるから、今は部外者じゃないし」


 怜司は莉愛を睨んだ。


 「あなたがノエルに関わるほど、彼女は傷つく」

 「傷つけてるの、今どっち?」


 空気が固まった。


 ノエルが小さく言う。


 「お兄様、帰ります」

 「ノエル」

 「でも、明日また来ます。莉愛さんに、話があります」


 怜司は何か言いかけたが、やめた。それ以上同意書の話もせず、ファイルを閉じる。


 「三週間は保証できません」

 「じゃあ一週間でもいい。まず見に来て」

 「何を」

 「盛った商店街」


 怜司は答えず、店を出ていった。


 ドアベルの音が消えたあと、莉愛はカウンターに肘をつく。


 「兄妹、重」


 言ってから、誰もいない店内に声が吸われていった。


 翌日、莉愛は白灰学園へ向かった。


 正門横の掲示板には、『清潔感週間』のポスターが貼られている。


 髪色は自然に。

 爪は短く清潔に。

 制服は正しく。

 不要な装飾を慎む。


 莉愛は自分の爪を見た。


 桃色のラメが朝日で光る。


 校門に立っていた教師が眉をひそめた。


 「あなた、うちの生徒ではありませんね」

 「はい。商店街のセト・コスメの者です」

 「その爪で?」

 「この爪で」


 教師は困ったように口を開きかけた。


 そこへ、ノエルが走ってきた。


 「莉愛さん」

 「ノエルちゃん。炎上動画、見る」


 ノエルは青ざめた。


 「見ないほうがいいです」

 「見ないと、何が起きてるかわかんない」

 「でも」

 「大丈夫。ウチ、悪口見るの慣れてる」


 言ってから、少しだけ胸が痛んだ。


 慣れてる、なんて本当は言いたくない。


 ノエルはそれに気づいたのか、莉愛の爪を見て、ゆっくり言った。


 「きれいです」

 「え?」

 「その爪。朝みたいで」


 莉愛は一瞬、言葉に詰まった。


 派手だとか、校則違反だとか、清潔感がないとか。そう言われると思っていた。


 きれい。


 たったそれだけで、昨日沈んだものが少し浮いた。


 「ノエルちゃん、見る目あるじゃん」

 「思ったことを言っただけです」

 「それが強いんだって」


 校内へは入れなかったので、二人は正門横の植え込みのそばでスマホを開いた。


 炎上動画はすぐに見つかった。


 『白灰学園の清潔感指導、時代遅れすぎて草』


 そんなタイトルで、短い動画が投稿されている。


 映っているのは、教室の隅でリップを塗る女子生徒。顔はぼかされているが、制服は白灰学園のもの。机の上には、ノエルの名前が書かれたノートが置かれている。


 コメント欄は荒れていた。


 校則くらい守れ。

 白灰って名門じゃないの?

 灰原ノエルって再開発会社の子でしょ。炎上商法?

 ギャルメイク講座でも始めるんか。


 莉愛は画面を睨む。


 「これ、ノエルちゃんじゃないじゃん」

 「はい」

 「でも机の名前だけ映して、そう見せてる」

 「はい」

 「その時間、どこにいた?」

 「図書室にいました。でも、証明してくれる人はいません」

 「貸出記録は?」

 「あります。でも、先生方は動画の拡散対応で忙しくて」

 「忙しいって、本人確認より評判管理してる感じ?」

 「……はい」


 莉愛はスマホを閉じた。


 腹が立つ。


 見た目だけで決める。

 机の名前だけで決める。

 所属だけで決める。


 ノエルの顔を見ている人が、誰もいない。


 「まず、顔見よ」

 「顔?」

 「校則より先に、炎上より先に、ちゃんと本人の顔を見る場所作る」


 莉愛はセト・コスメの方角を指した。


 「放課後、店に来て。盛り相談室、始める」

 「盛り相談室」

 「悩み聞いて、似合う色探して、必要なら証拠も集める。メイクするかどうかは本人が決める」

 「校則違反になります」

 「学校の外なら?」

 「……グレーです」

 「じゃあ、白黒つくまでグレーで行こ」


 ノエルが少しだけ笑いそうになった。


 その時、校舎の二階から誰かがこちらを見ているのに気づいた。


 白いリボンの女生徒。


 目が合うと、すぐにカーテンの陰へ消える。


 ノエルの顔が強張る。


 「真白美玲さんです。生徒会の副会長で、清潔感指導の中心です」

 「さっきの動画と関係ありそう?」

 「わかりません。でも、私を嫌っています」


 嫌っている。


 ノエルはそれを、天気の話みたいに言った。


 莉愛は決めた。


 この子に、嫌われるのに慣れた顔をさせたままにはしない。


 放課後、セト・コスメのシャッターは半分だけ開いた。


 店内には、祖母の古い椅子を並べた。棚を拭き、鏡を磨き、色見本の紙をカウンターに置く。


 最初に来たのは、ノエルではなかった。


 小柄な男子生徒が、店の前を何度も行ったり来たりしていた。


 莉愛が声をかける。


 「入る?」

 「え、あ、いや、僕は」

 「見るだけでも」


 彼はおずおずと入ってきた。


 名前は吉沢律。白灰学園の一年生。制服の袖口をぎゅっと握っている。


 「清潔感指導で、これを外せって言われて」


 彼が見せたのは、細い赤いミサンガだった。


 「姉が受験の時に作ってくれて。派手だからだめだって。でも、切りたくなくて」

 「切らなくていいじゃん」

 「でも、校則が」


 莉愛はミサンガをじっと見た。


 ただの赤い糸ではない。ところどころに白い糸が混ざり、小さな結び目が七つある。


 「これ、願掛け?」

 「はい。姉が、七回転んでも八回目で受かれって」

 「めっちゃいい姉」


 律は初めて少し笑った。


 その笑顔を見て、莉愛は思った。


 校則は、この笑顔を見る前に赤い糸を切れと言う。


 それは違う。


 「派手に見えないように、でも切らなくていい方法にしよ」

 「できますか」

 「できる。袖裏に留めて、見せたい時だけ見えるようにする。あと、説明用の紙も作る。『装飾』じゃなくて『家族からの激励品』」

 「そんなの、通りますか」

 「通すために言葉盛るんだよ。嘘じゃなくて、ちゃんと伝わる形にする」


 律はミサンガを見つめた。


 「僕、これがあると少し頑張れるんです」

 「それが一番大事」


 その時、店の外で足音が止まった。


 ノエルが立っていた。


 彼女は律の赤いミサンガを見て、莉愛の顔を見て、少しだけ息を呑んだ。


 「本当に、始めたんですね」

 「始めた」

 「怒られます」

 「怒られる前提で、ちゃんとやる」


 ノエルは店内へ入り、律のミサンガを見た。


 「白灰学園の校則には、医療、宗教、家族事情に関わる装着物は申請により許可される、とあります」

 「マジ?」

 「はい。ただ、生徒手帳の後ろのほうに小さく」


 律が顔を上げる。


 「じゃあ、申請すれば」

 「できます。申請書、私が書き方を知っています」


 ノエルは鞄から生徒手帳を出し、該当ページを開いた。


 その手つきは静かだったが、確かだった。


 莉愛は笑う。


 「ノエルちゃん、めっちゃ頼れる」

 「そんなこと」

 「ある。今、律くん救った」


 ノエルは困ったように目を伏せた。


 でも、昨日よりほんの少しだけ、肩が上がっている。


 盛り相談室の初日は、三人で申請書を書いて終わった。


 律が帰る時、彼は店のドアの前で振り返った。


 「また来てもいいですか」

 「もちろん」

 「僕、動画のこと、少し知ってるかもしれません」


 ノエルが固まる。


 律は声を潜めた。


 「撮影してたスマホ、真白先輩のじゃないです。でも、生徒会室の備品スマホだったと思います」


 店の中の空気が変わった。


 莉愛はカウンターの上の色見本を見た。


 灰色に塗られた話の奥から、最初の赤い糸が出てきた。


 「律くん」

 「はい」

 「その話、今度ちゃんと聞かせて」


 律はうなずき、ミサンガを袖の中へしまって帰っていった。


 ノエルがぽつりと言う。


 「私、何もできないと思っていました」

 「今日したじゃん」

 「申請書を書いただけです」

 「それで一個、切られずに済んだ」


 莉愛は店の鏡を指で拭いた。


 鏡の中に、二人の姿が映る。


 派手な髪の莉愛と、灰色みたいに静かなノエル。


 でも、その間のカウンターには、赤いミサンガの申請書と、商店街の色見本が並んでいた。


 色は、まだ少ない。


 でもゼロじゃない。


 その夜、莉愛のスマホに知らないアカウントからメッセージが届いた。


 余計なことをすると、セト・コスメも炎上します。


 添付されていた画像には、祖母の店の前に立つ莉愛とノエルが写っていた。


 莉愛は画面を見つめた。


 怖い。


 でも、その怖さの奥で、怒りが静かに色を持つ。


 彼女はメッセージをスクリーンショットで保存した。


 「証拠、いっこめ」


 誰もいない店内で、莉愛は小さく笑った。


 盛り相談室は、たぶんもう始まってしまった。


 翌日のために、莉愛は店の奥から折りたたみ式の黒板を引っ張り出した。


 祖母が昔、店頭におすすめ商品を書くために使っていたものだ。角は欠け、黒板面にはうっすらと過去の文字の跡が残っている。『春の新色』『乾燥対策』『口紅一本で顔を上げる』。祖母の字は丸く、少し右へ傾いていた。


 莉愛は白いチョークを持った。


 最初は『盛り相談室』と書こうとした。


 でも、手が止まる。


 盛り。


 自分にはわかる言葉でも、怖がっている子には強すぎるかもしれない。派手にされる場所だと思われるかもしれない。


 莉愛は少し考え、書き直した。


 色えらび相談室。

 話だけでも、見るだけでも。


 その下に、小さく付け足す。


 盛りたい子も歓迎。


 「これなら、入れるかな」


 独り言を言った時、ノエルが店の入口に立っていた。


 「すみません。まだ開いていますか」

 「開いてる。てか、ノエルちゃんはもう常連」

 「常連」


 ノエルはその言葉を、初めて聞くものみたいに繰り返した。


 莉愛は椅子を勧める。


 ノエルは座る前に、店内をゆっくり見回した。


 「この店、覚えています」

 「来たことある?」

 「たぶん。祖母に連れられて」


 ノエルは棚の一番下にある、古いネイルカラーの瓶を指した。


 「青い瓶が好きでした。でも、買ってもらった記憶はありません」

 「おばあちゃんのメモにあったよ。ノエルちゃん、写真の日、青いリボンって」

 「青いリボン」


 ノエルは目を閉じた。


 思い出そうとしている顔だった。


 けれど、すぐには戻らない。


 「思い出せません」

 「無理に思い出さなくていい」

 「でも、思い出したいです」

 「じゃあ、探そ」


 莉愛は黒板を見せた。


 「明日から、こここうする」

 「色えらび相談室」

 「派手すぎ?」

 「いいと思います。盛り相談室より、入りやすいです」

 「やっぱり?」

 「でも、小さく盛りたい子も歓迎と書いてあるのが、莉愛さんらしいです」


 莉愛は少し照れた。


 誰かに「らしい」と言われるのは、悪くない。


 その夜、二人は炎上動画の時系列を紙に書き出した。


 動画投稿日。

 ノエルの図書室利用時間。

 生徒会備品スマホの貸出時間。

 最初に拡散したアカウント。

 そこから商店街再開発を批判するアカウントへつながった時間。


 ノエルの字は小さいが、きれいだった。


 「ノエルちゃん、こういうの得意?」

 「記録することは、好きです」

 「写真館の孫って感じ」

 「そうでしょうか」

 「うん。写真も記録じゃん。誰かがそこにいたって残すやつ」


 ノエルはペンを止めた。


 「私も、残せるでしょうか」

 「何を?」

 「自分が、ここにいていいということ」


 莉愛はすぐに答えなかった。


 軽く「いいに決まってる」と言うのは簡単だ。でも、それはノエルが何度も信じ損ねてきた言葉かもしれない。


 だから、莉愛は紙を指した。


 「まず、ここに残ってる。ノエルちゃんが今日、律くんの申請書を書いたこと」


 ノエルの目が紙へ落ちる。


 そこには、莉愛の雑な字でこう書かれていた。


 ノエル、申請条項を見つける。律、ミサンガを切らずに済む。


 「事実として残ってる」

 「……はい」

 「こういうの増やしてこ」


 ノエルは、ほんの少しだけうなずいた。


 店を閉める前、莉愛は黒板を外へ出した。


 商店街の通りには、もうほとんど人がいない。


 それでも、黒板の白い文字は街灯の下で読めた。


 色えらび相談室。

 話だけでも、見るだけでも。


 莉愛はスマホで写真を撮った。


 その時、通りの向こうで制服の影が二つ止まった。


 白灰学園の生徒だ。どちらも店へ入るつもりはなさそうに、黒板を見ては顔を見合わせている。片方の子は髪留めを外した跡なのか、前髪を何度も手で押さえていた。もう片方の子は、靴紐に小さな青いビーズを通している。


 莉愛は声をかけようとして、やめた。


 今ここで「入ってきなよ」と言えば、あの子たちは逃げるかもしれない。勇気には速度がある。押すと折れる勇気もある。


 だから、莉愛は黒板の下に一行足した。


 見るだけでも、大丈夫。


 チョークの粉が指につく。莉愛が離れると、二人はもう一度黒板を読んだ。店には入らなかった。でも、帰る時、髪留めの子がほんの少しだけ会釈した。


 ノエルがそれを見ていた。


 「来ませんでしたね」

 「今日はね」

 「それでも、書く意味がありますか」

 「ある。扉って、開ける前に何回も見るじゃん」


 ノエルは黒板を見つめた。


 色えらび相談室。

 話だけでも、見るだけでも。


 「私も、昨日は扉の前にいました」

 「うん」

 「入って、よかったです」


 その一言は小さかった。


 でも莉愛には、今日いちばん大きな変化に思えた。


 するとすぐ、知らないアカウントからまた通知が来た。


 『看板まで出すんですね』


 莉愛は画面をノエルに見せた。


 ノエルの顔は強張ったが、今度は目を逸らさなかった。


 「証拠、二つめですね」

 「そう」


 莉愛はスクリーンショットを保存する。


 怖い。


 でも、怖いものに名前がつくと、少しだけ戦いやすくなる。


 匿名の誰か。

 生徒会備品スマホ。

 灰原不動産。


 点はまだ遠い。


 けれど、白いチョークの線みたいに、つなげば形になるかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ