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ギャルはシャッター商店街を盛りたい  作者: 御茄子之与一


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3/10

第3話 リボン一本で、味方は増える

校則に切られそうなものにも、それぞれ理由があります。

 翌朝、白灰学園の校門前には、いつもより多くの教師が立っていた。


 清潔感週間二日目。


 掲示板には新しい紙が貼られている。


 不要な装飾品の持ち込みを厳しく確認します。


 莉愛はそれを見た瞬間、思わず笑った。


 「反応早」


 もちろん、褒めていない。


 彼女は生徒ではないから校門の外に立っているだけだ。けれど、通っていく生徒たちはちらちら莉愛を見る。明るい髪、桃色の爪、セト・コスメの紙袋。


 昨日、盛り相談室に来た律は、袖を押さえながら小走りでやって来た。


 「莉愛さん」

 「おは。申請書、持った?」

 「持ちました。でも、やっぱり怖いです」

 「怖いまま行こ。怖くないふりは疲れる」


 律は目を丸くした。


 莉愛は彼の袖口を見た。赤いミサンガは見えない。けれど、そこにあることを本人は知っている。その事実だけで、昨日より背筋が伸びていた。


 「ノエルちゃんは?」

 「図書室に寄ってから来るって」


 律が答えた時、校門の中から真白美玲が現れた。


 白いリボンをきっちり結び、制服のスカート丈も靴下の高さも完璧。彼女が歩くと、周りの生徒が自然に道をあける。


 美玲は律の前で止まった。


 「吉沢くん。袖を見せてください」


 律の顔が強張る。


 莉愛は校門の外から口を挟んだ。


 「朝イチでそれ?」

 「部外者は黙っていてください」

 「部外者にも聞こえる声で言ってるじゃん」


 美玲は莉愛を見た。


 その目には、はっきりとした嫌悪がある。


 「あなたのような方が学園の近くで生徒を煽るから、校則違反が増えるんです」

 「煽ってない。申請書の書き方教えただけ」

 「校則の抜け道を教えた、ということですね」

 「抜け道じゃなくて、ちゃんと書いてある権利」


 美玲の表情が少し変わった。


 律は震える手で申請書を差し出す。


 「家族からの激励品として、着用許可を申請します。生徒手帳の第十八条に基づいて」


 校門前の空気が揺れた。


 周りの生徒が、足を止める。


 美玲は申請書を受け取り、目を通した。


 「……確認します」

 「今日、外さなくていいですか」

 「確認中は、指導対象外とします」


 律の肩から、力が抜けた。


 それだけのこと。


 たったそれだけで、彼の顔は少し明るくなった。


 莉愛は胸の奥が熱くなるのを感じた。


 リボン一本。

 糸一本。


 でも、それが切られないだけで、人はこんな顔になる。


 美玲は莉愛を睨んだ。


 「満足ですか」

 「まだ全然」

 「何が目的なんです」

 「顔を見ること」

 「は?」

 「校則ってさ、顔見ないで切るじゃん。髪、爪、リボン、スカート丈。ウチはその前に、なんでそれ持ってるのか聞きたいだけ」


 美玲は答えず、校舎へ戻っていった。


 律が小さく言う。


 「ありがとうございました」

 「律くんが言ったから通ったんだよ」

 「僕、声震えてました」

 「震えても声は声」


 その言葉を聞いていたのか、校門の横にいた数人の生徒が、莉愛へ近づいてきた。


 最初は二年生の女子だった。


 「相談って、今日もやってますか」

 「やる」

 「髪留めなんですけど。母の形見で」


 次は、野球部の男子。


 「祖父の店の手ぬぐい、部活バッグにつけてて怒られたんですけど」


 その次は、声の小さな一年生。


 「写真、撮られるのが怖いんです。勝手に晒されそうで」


 莉愛は一人ずつ名前を聞いた。


 スマホのメモに打ち込んでいく。


 相談室は、昨日の思いつきでは済まなくなってきた。


 昼過ぎ、莉愛は一度祖母の病院へ向かった。


 瀬戸サチ子は、思ったより元気そうだった。白いベッドの上でテレビの音を小さくし、莉愛の爪を見てにやりと笑う。


 「派手な爪だねえ」

 「おばあちゃん、それ褒めてる?」

 「当たり前だろ。あたしが売ったラメよりずっといい」


 その一言で、莉愛は泣きそうになった。


 けれど泣く前に、祖母がじろりと見た。


 「店、見たかい」

 「見た」

 「ひどいだろ」

 「うん」

 「でも、まだ終わってない」


 莉愛は椅子に座り、昨日からのことを話した。


 灰原怜司。

 ノエル。

 炎上動画。

 盛り相談室。

 赤いミサンガ。

 色見本帳の紙片。


 祖母は黙って聞いていたが、色見本帳の話になると目を細めた。


 「やっぱり、あの帳面のことか」

 「知ってるの?」

 「ノエル写真館の奥さんが作ってた。店ごとの色、祭りの浴衣、看板の塗り替え履歴、誰がどんな色を選んだか。あの人は、色を記録する写真屋だった」

 「今どこにある?」

 「知らない。十年前、写真館が閉まる前に、あんたのじいちゃんが少し預かったかもしれない」

 「じいちゃん?」


 莉愛の祖父は、彼女が小さいころに亡くなっている。


 祖母は天井を見た。


 「あのころ、灰原の家が写真館の土地を買い取るって話になってね。揉めたんだよ。ノエルちゃんのお祖母さんは、最後まで嫌がってた」

 「ノエルちゃん、養女になったって」

 「そうかい」


 祖母の声が少し低くなる。


 「あの子は、笑わない子じゃなかったよ」


 莉愛は胸の奥を押さえた。


 今のノエルからは想像できない。


 「おばあちゃん、店開けていい?」

 「勝手に開ける気で来たんだろ」

 「まあ」

 「なら聞くな」

 「再開発の同意書は?」

 「まだ書いてない。あたしが生きてるうちは、あの店をただの空き物件にはしない」


 祖母は莉愛の爪を見た。


 「莉愛。あんた、盛るのは得意かい」

 「得意」

 「じゃあ、街を盛ってみな。ただし、嘘は塗るんじゃないよ」

 「わかってる」

 「似合わない色を無理に乗せると、人も店も疲れる。本人が選べるように、鏡を明るくしてやるんだ」


 莉愛はうなずいた。


 祖母の言葉は、重いのにあたたかい。


 病院を出るころには、夕方になっていた。


 セト・コスメへ戻ると、店の前に人だかりができていた。


 また何か起きたのかと思った。


 けれど違った。


 店の前のシャッターを、ノエルが拭いていた。


 雑巾を持ち、膝をつき、褪せた桃色の看板の下を丁寧に磨いている。律が隣でバケツを持ち、朝相談してきた女子が古いポスターを剥がしている。青果店の店主らしいおじさんが、脚立を支えていた。


 「何これ」


 莉愛が言うと、ノエルが振り向いた。


 頬に少し汚れがついている。


 「明日は拭こうと、莉愛さんが言っていたので」

 「言ったけど、今やってるとは思わんじゃん」

 「思い立ったので」


 ノエルは真顔だった。


 莉愛は笑ってしまった。


 「ノエルちゃん、意外と行動派」

 「いえ、私は」

 「褒めてる」


 青果店のおじさんが口を挟んだ。


 「サチ子さんの孫か?」

 「はい。莉愛です」

 「派手だな」

 「よく言われます」

 「いいんじゃねえの。ここ最近、派手なもん見てなかったし」


 莉愛はその言葉に驚いた。


 もっと嫌な顔をされると思っていた。


 おじさんはシャッターを見上げる。


 「昔は夜市の前になると、みんなで看板磨いたんだ。ノエル写真館の奥さんが、色がくすむと写真もくすむってうるさくてな」


 ノエルの手が止まる。


 「祖母が」

 「ああ。あんた、小さいころよくここ走ってたよ。青いリボンつけて」


 ノエルは目を伏せた。


 覚えていないのか、覚えているけれど言えないのか。


 莉愛は話題を急がせなかった。


 代わりにカウンターから古い布を持ってきて、自分もシャッターを拭き始める。


 汚れは簡単には落ちない。


 長い時間をかけて積もった灰色だ。


 けれど、力を入れてこすると、下からかすかに桃色が出てくる。


 「見て」


 莉愛が言うと、律が目を輝かせた。


 「本当に色があった」

 「あるよ。隠れてただけ」


 ノエルがその言葉を聞いて、シャッターに触れた。


 夕方の光の中で、彼女の指先にも桃色の粉がつく。


 その瞬間、莉愛のスマホが震えた。


 知らないアカウントからのメッセージ。


 商店街ごっこ、楽しそうですね。


 続けて、画像が送られてくる。


 それは、ノエルがシャッターを拭いている写真だった。


 灰原家の養女が、再開発反対派と活動中。これを流したら、彼女の立場はどうなるでしょうね。


 莉愛は画面を見たまま黙った。


 怒りで指が冷える。


 ノエルが気づく。


 「何か」

 「ううん」


 莉愛は一度スマホを伏せた。


 ここでノエルに見せたら、彼女はきっと自分のせいだと思う。


 でも隠し続けるのも違う。


 莉愛は深呼吸した。


 「ノエルちゃん。あとで一緒に見るものある」

 「はい」

 「でも今は、ここ拭こ」


 ノエルは莉愛の顔を見て、うなずいた。


 その信じ方が、胸に刺さった。


 夜になるころ、セト・コスメのシャッターは少しだけ明るくなった。


 完璧ではない。


 剥げもあるし、傷もある。


 でも、灰色一色ではなくなった。


 店の明かりをつけると、ショーウィンドウに莉愛たちの姿が映った。派手な髪、静かな制服、赤いミサンガ、青果店のおじさんの作業着。ばらばらで、統一感はない。


 だけど、生きている感じがした。


 その夜、莉愛はノエルと二人で脅迫メッセージを確認した。


 ノエルは顔を白くしたが、逃げなかった。


 「私のせいです」

 「違う」

 「でも、私が灰原だから」

 「ノエルちゃんが何者かを、勝手に使ってるやつが悪い」


 ノエルは唇を噛んだ。


 「私、灰原家のことも、商店街のことも、どちらにも顔向けできません」

 「じゃあ、今から顔向けできることしよ」

 「どうやって」

 「まず、証拠集め。次に味方集め。最後に、ちゃんと自分の顔で立つ」


 ノエルは黙って聞いていた。


 やがて、小さく言った。


 「莉愛さんは、どうして私を信じられるんですか」

 「信じるっていうか」


 莉愛は少し考えた。


 「ノエルちゃん、写真を捨ててないじゃん。自分が嫌われる理由になるかもしれないのに、持ってた。そういうの、ウチは見たい」


 ノエルの目が揺れる。


 「見たい、ですか」

 「うん。校則とか名字とか炎上とか、その前に顔見たい」


 店の外で、アーケードの古い電灯がひとつ点滅した。


 ノエルはシャッターの桃色を見て、ほんの少しだけ口元を緩めた。


 「私も、見たいです」

 「何を?」

 「この街が、灰色ではなかった証拠を」


 莉愛は笑った。


 「じゃ、明日探そ。色見本帳」


 その瞬間、店の固定電話が鳴った。


 古いベルの音が、夜の店内に響く。


 莉愛が受話器を取る。


 無言。


 数秒後、低い声がした。


 『色見本帳を探すな』


 電話は切れた。


 莉愛は受話器を握ったまま、ノエルを見た。


 ノエルの顔から血の気が引いている。


 色見本帳は、ただの思い出の帳面ではない。


 誰かが本気で、見つけられたくないものだ。


 電話のあと、ノエルはしばらく声を出せなかった。


 莉愛は受話器を戻し、固定電話の横に置かれていた古いメモ帳を引き寄せる。


 「時刻、書いとこ」

 「時刻?」

 「証拠。何時に電話が来たか」


 ノエルははっとした顔で頷き、ペンを取った。


 午後八時四十七分。非通知。男性らしき低い声。内容、色見本帳を探すな。


 その字は少し震えていた。


 けれど、書けている。


 莉愛はそれを見て、胸の奥で小さく頷いた。


 怖いことを怖いまま記録する。


 それも、たぶん強さだ。


 「今日は送る」

 「大丈夫です」

 「大丈夫じゃない時ほど、人は大丈夫って言う」

 「莉愛さんも言います」

 「だから説得力あるでしょ」


 ノエルは反論できない顔をした。


 二人で商店街を歩く。


 夜のアーケードは、昼間よりずっと音がする。風で揺れるシャッター、遠くの踏切、換気扇の低い唸り。昼には見えなかったものも見えた。閉じた店の隙間に挟まった古い祭りのチラシ。色褪せた提灯の骨。魚辰の壁に残る藍色のペンキ。


 「夜のほうが、色わかるね」

 「暗いのにですか」

 「うん。昼は全部ぼやけて見えたけど、夜は街灯が当たったところだけ浮く」


 ノエルは少し考えた。


 「祖母も、夕方の写真が好きでした」

 「なんで?」

 「昼の色と夜の色が混ざるから、と」


 その言葉が、莉愛にはやけにこの街らしく聞こえた。


 全部昼に戻すことはできない。


 でも、夜になる前に残る色がある。


 灰原家の大きな門の前で、ノエルは立ち止まった。


 「ここからは、一人で大丈夫です」

 「ほんと?」

 「はい。今日は、ちゃんと入ります」


 その言い方が少しおかしくて、莉愛は笑った。


 「家に入るだけでそんな決意いる?」

 「いります」

 「そっか」


 ノエルは門の前で、莉愛を見た。


 「莉愛さん」

 「ん?」

 「今日、私の話を聞いてくださって、ありがとうございました」

 「それ、めっちゃ他人行儀」

 「他人行儀以外の言い方を、まだ知りません」

 「じゃあ、今度練習」


 ノエルは少しだけ目を細めた。


 笑った、というには小さい。


 でも、確かに表情が変わった。


 「おやすみなさい」

 「おやすみ。着いたらメッセ」

 「門の中ですが」

 「部屋まで」

 「はい」


 ノエルが門の中へ消える。


 莉愛はしばらくその場に立っていた。


 大きな家だった。


 きれいで、静かで、隙がない。


 こんな家で「迷惑をかけるな」と言われ続けたら、声は小さくなるだろうと思った。


 帰り道、莉愛は祖母の店へ戻らず、ノエル写真館の前に立ち寄った。


 シャッターは閉まっている。


 けれど、昼間より少しだけ空色が見えた。汚れが落ちたせいか、目が慣れたせいかはわからない。


 莉愛はスマホを構え、写真を撮った。


 その画像をグループチャットに送る。


 『明日、ここ探す』


 すぐに律から返信が来た。


 『行きます』


 レオンからは少し遅れて、


 『鍵の件、確認します』


 ノエルからは、さらに数分後。


 『部屋に着きました。明日、行きます』


 莉愛は画面を見て、息を吐いた。


 一人じゃない。


 それだけで、夜の商店街は少し違って見える。


 翌朝、セト・コスメの黒板の前には、昨日より多くの足跡があった。


 相談に入る勇気はまだなくても、誰かが立ち止まって読んでいる。


 莉愛は黒板の下に、小さく一文を足した。


 あなたの色は、あなたが決めていい。


 書いてから、少し照れた。


 でも消さなかった。


 午前のうちに、黒板の前で立ち止まる生徒は昨日より増えた。


 入ってくる子もいれば、通り過ぎるだけの子もいる。中には、友達に腕を引かれて「やっぱ無理」と笑いながら逃げる子もいた。その笑い方は軽い。けれど、怖さを軽くするための笑いだと、今の莉愛にはわかった。


 最初に入ってきたのは、昨日校門で声を上げた髪留めの女子だった。


 「これ、母のなんです」


 彼女は小さな布の髪留めを手のひらに乗せた。色はくすんだ黄色。派手ではない。むしろ、校則で禁じるほど目立つものには見えなかった。


 「先生には、飾りは飾りって言われました」

 「お母さん、どんな人だった?」

 「明るい人でした。私が暗い顔してると、黄色いもの持たせる人で」


 莉愛は、祖母の顧客メモの空白ページを開いた。


 「じゃあ書こ。明るくするための黄色」

 「そんな理由で通りますか」

 「通すために書く。通らなかったら、通らなかった理由も残す」


 女子は髪留めを握ったまま、泣きそうな顔でうなずいた。


 次に来たのは、手ぬぐいの男子だった。祖父の店は、すでに商店街からなくなっていた。手ぬぐいに染められた紺色の店名だけが残っている。


 「店、もうないんです。でも、つけてると祖父がまだ商売してる気がして」

 「それ、めっちゃ大事じゃん」

 「でも、店がないなら関係ないって」

 「なくなったから関係あるんでしょ」


 莉愛が言うと、男子は目を丸くした。


 自分でも少し驚いた。


 いつの間にか、商店街のことを他人事みたいに言えなくなっている。


 昼前、レオンが大きな封筒を抱えてやって来た。


 「図書室の郷土資料に、白灰商店街の古いパンフレットが残っていた」

 「仕事早」

 「正確には、探す場所を知っていただけ」


 封筒から出てきたパンフレットには、まだ色のある商店街が写っていた。魚辰の藍色、宮田青果の若草色、山吹文具の黄色。写真館の看板は空色で、セト・コスメの看板は今より少し濃い桃色だった。


 ノエルは写真館のページで指を止めた。


 「この角度、祖母が撮ったものです」

 「わかるの?」

 「はい。祖母は、人が写っていない写真でも、人の立つ場所から撮るので」


 その言い方が、莉愛には少し不思議で、少し好きだった。


 美玲も来た。


 店には入らず、入口で止まった。白いリボンは今日も寸分のずれもない。けれど、彼女の視線は黒板ではなく、相談に来た生徒たちへ向いていた。


 「また、申請を増やしているんですか」

 「増やしてるんじゃなくて、見えるようになってるだけ」

 「先生方は、混乱すると言っています」

 「混乱しないように、今まで黙らせてたってこと?」


 美玲は反論しなかった。


 代わりに、低い声で言った。


 「明日、全校集会があります。校則違反と外部者との接触について、指導が入るそうです」

 「それ、ウチのこと?」

 「おそらく」

 「教えてくれるんだ」

 「誤解しないでください。私は、混乱を広げたくないだけです」

 「うん。ありがと」


 美玲は眉を寄せた。


 「そういう軽い返事が、私は嫌いです」

 「知ってる。でも、助かったのは本当」


 美玲は何か言いかけて、やめた。


 去り際、彼女は黒板の一文を見た。


 あなたの色は、あなたが決めていい。


 その表情に、ほんの一瞬だけ迷いが出た。


 莉愛は見逃さなかった。


 敵にも、端がある。


 ノエルの祖母なら、たぶんそこを見る。


 午後、ノエルが古い封筒を持ってきた。


 「祖母の机に残っていたものです。ずっと開けられませんでした」


 封筒の中には、空色の細いリボンが一本入っていた。色は少し褪せている。でも、光に当てると淡く透けた。


 「写真の日に、私がつけていたものだと思います」

 「つける?」

 「怖いです」

 「じゃあ、今日は持つだけ」


 莉愛は無理に結ばなかった。リボンをノエルの手のひらへ戻す。


 ノエルはそれを胸元に当てた。


 「持つだけでも、違いますね」

 「うん。色って、見せるためだけじゃないし」


 その言葉を言ったあと、莉愛は自分で少し驚いた。


 昨日までの自分なら、色は見せてなんぼだと言ったかもしれない。盛るなら目立ってなんぼ。かわいいなら伝わってなんぼ。


 でも今は、誰にも見えない場所で、本人だけが握っている色もあるのだとわかる。


 リボン一本。


 それだけで味方が増えるのではない。


 リボン一本を大事にしたい気持ちを笑わない場所があるとわかった時、人は少しだけ声を出せる。


 店の奥で、祖母の古い鏡が朝日を受けて光っている。


 今日、写真館へ入る。


 そこに何があるかはわからない。


 でも、探すなと言われたものほど、探す価値がある。

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