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第40話「パンドラの箱」

【作中時間】2026年6月21日 15:00 - 16:00(台湾標準時 / UTC+8)

※日本標準時(JST / UTC+9):6月21日 16:00 - 17:00

※米国東部夏時間(EDT / UTC-4):6月21日 03:00 - 04:00

15:05 米国・コロラド州/北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)および戦略軍(STRATCOM)

米国東部夏時間、午前3時5分。

コロラド州シャイアン山の地下深く、厚さ数十メートルの花崗岩に守られた北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)の広大なオペレーション・センターに、これまでとは全く異なる、血を凍らせるような警告音が鳴り響いた。

「……シギント(通信傍受)および偵察衛星『キーホール』からの解析データ、統合完了。……中国内陸部のロケット軍基地(江西省・安徽省)において、通常弾頭から『特殊弾頭』への換装作業メイティング・プロトコルの開始を確認!」

情報分析官の震える声が、マイクを通じて司令部全体、そしてネブラスカ州の戦略軍(STRATCOM)へと瞬時に共有された。

「特殊弾頭だと? 確証はあるのか!」

当直司令が画面に駆け寄る。

「間違いありません。弾頭保管施設イグルーから、厳重な放射線防護プロトコルを伴う特殊車両が複数台、DF-26およびDF-21のTEL(移動式発射台)へ向けて移動を開始しました。さらに、中国軍の戦略通信網において、最高レベルの『核使用許可コード(PAL)』が発信された形跡(トラフィックの異常スパイク)を探知しています」

「……オー・マイ・ゴッド」

司令は、額に冷たい汗を浮かべながら、十字を切った。

「目標の推定は?」

「射程と部隊の配置から見て、アメリカ本土ではありません。……台湾の主要都市、および、在日米軍基地が存在する日本の『沖縄』、あるいは指揮中枢である『東京(市ヶ谷)』を狙った、戦術核(低出力核)および高高度核爆発(EMP)攻撃の準備である可能性が極めて高いです」

「エスカレート・トゥ・ディエスカレート(緊張緩和のためのエスカレーション)か。……連中、通常戦力で負けが見えたからといって、本当に盤面ボードごとひっくり返す気か」

司令は、直ちにホワイトハウスとペンタゴンを繋ぐホットライン、通称『レッド・テレホン』の受話器を握りしめた。

「大統領を起こせ。……世界が終わるかもしれない」

15:20 米国・ワシントンD.C./ホワイトハウス 地下シチュエーション・ルーム

「……中国が、戦術核の準備に入っただと?」

パジャマの上にジャケットだけを羽織った合衆国大統領は、シチュエーション・ルームの革張りの椅子に崩れ落ちるように座り、報告を行った国防長官と統合参謀本部議長を信じられないという目で見つめた。

「はい、大統領。通常戦力による台湾制圧が兵站の崩壊によって頓挫し、窮地に陥った中南海の指導部は、自らの体制崩壊を防ぐための最終手段に出たものと思われます」

国防長官が、重々しく答える。

「彼らの狙いは、台湾と日本の上空で低出力核やEMP(電磁パルス)弾頭を爆発させ、両国の継戦能力と抗戦の意志を一瞬にして『蒸発』させることです。……彼らは、我々アメリカが『ロサンゼルスやニューヨークを核の火の海にしてまで、台湾や日本のために中国と全面核戦争をする覚悟はないだろう』と踏んでいるのです」

大統領は、机の上に置かれた黒い革製の鞄――『核のフットボール』に目をやった。

冷戦終結以来、決して開かれることのないと信じられてきたパンドラの箱。もし中国が台湾や日本に核を落とし、それにアメリカが核で報復すれば、中国もまたICBM(大陸間弾道ミサイル)でアメリカ本土を核攻撃するだろう。そうなれば、数時間で数億人が死滅し、人類の文明は完全に終わる。

独裁者は、その「恐怖のチキンレース」のハンドルを自ら切り捨て、アクセルを全開にして突っ込んできたのだ。

「……大統領、我々の『拡大抑止(核の傘)』が本物であるかどうかが、今まさに試されています」

国務長官が、緊迫した声で言った。

「ここで我々が中国の核の恫喝に屈し、台湾や日本を見捨てて手を引けば、世界中の独裁国家(ロシア、北朝鮮、イラン)は『核さえ持てばアメリカを追い出せる』と学習します。アメリカの覇権も、同盟ネットワークも、明日の朝には完全に消滅するでしょう」

大統領は、目を閉じ、深く息を吸い込んだ。

彼に課せられた決断は、歴代のどのアメリカ大統領も経験したことのない、究極の選択であった。

「……デフコン(防衛準備態勢)を『2』に引き上げろ」

大統領が目を開き、静かに、しかし断固たる声で命じた。

「戦略軍(STRATCOM)に命じる。西太平洋の海底で待機しているオハイオ級原子力潜水艦(SSBN)の艦長たちに、トライデント弾道ミサイルの『発射準備命令』を下達せよ。……さらに、B-52およびB-2戦略爆撃機部隊に核弾頭を装填し、エンジンを始動させろ」

「大統領……それは、本気で中国と核戦争をやるということですか」

国防長官が息を呑む。

「中国にハッタリではないと分からせるには、こちらも引き金に指をかけるしかない。……すぐに、日本の高市総理と、台湾の頼総統へホットラインを繋げ。彼らには、我々が共に地獄へ向かう覚悟があることを伝えなければならない」

15:35 日本・東京/首相官邸 地下危機管理センター

日本標準時、午後4時35分。

東京湾岸部へのミサイル着弾による火災がまだ鎮火しない中、官邸の地下危機管理センターに、ワシントンからの「フラッシュ(最高機密・緊急)」の通信が飛び込んできた。

報告を受けた高市総理、および閣僚たちの表情から、完全に血の気が引いた。

「……中国が、我が国と台湾に向けて『核兵器』の使用準備を開始……?」

防衛大臣(小泉進次郎 モデル)は、持っていたペンを床に落とし、震える声で呟いた。

「まさか。……通常弾頭のミサイルでも国際法違反の暴挙なのに、核だと? 日本は、世界で唯一の被爆国だぞ……。彼らは本気で、この東京や沖縄に原爆を落とそうというのか!」

「防衛大臣、落ち着きなさい」

官房長官(木原稔 モデル)が制したが、彼の声もまた、隠しきれない恐怖に震えていた。

「標的は沖縄の嘉手納基地、あるいはこの市ヶ谷の真上の成層圏における『高高度核爆発(EMP)』の可能性が高いと、米軍は分析しています。EMP攻撃を受ければ、熱や爆風の被害がなくとも、関東全域のあらゆる電子機器、通信網、送電網が完全に焼き切れます。……社会インフラが数十年前に逆戻りし、数千万人が間接的に命を落とすことになります」

危機管理センター内は、死のような沈黙に包まれた。

通常兵器の戦いであれば、自衛隊のイージス艦やパトリオットで「迎撃」できる可能性があった。しかし、もし核弾頭を搭載したミサイルが飛んできた場合、撃ち漏らしは「一発」たりとも許されない。

もしPAC-3が撃ち漏らし、東京のド真ん中で核が起爆すれば、今度こそ数百万の都民が一瞬にして消滅するのだ。

「総理……」

外務大臣(茂木敏充 モデル)が、青ざめた顔で進み出た。

「ここは、一旦鉾を収めるべきです。台湾への支援を直ちに停止し、中国に対して『停戦交渉』を申し入れるしかありません。我々に、核兵器を防ぐ手段はない。……国民を核の火の海に晒してまで守るべき大義など、存在しません!」

外務大臣の言葉は、政治家としての極めて真っ当な「国民保護」の論理であった。

日本は核を持たない。核を持たない国が、核を持つ国に脅された場合、物理的に屈服する以外の選択肢はないのだ。

しかし、高市総理は、デスクに置かれた日章旗の文鎮をじっと見つめたまま、首を横に振った。

「……外務大臣。もしここで我々が屈すれば、中国はどうすると思いますか」

総理の声は、静かであったが、底知れぬ凄みを持っていた。

「彼らは台湾を血祭りに上げ、完全に併合するでしょう。そして来年、あるいは再来年、再び我々に核をチラつかせながら、今度は『尖閣諸島をよこせ』『沖縄から米軍を追い出せ』と要求してきます。我々はその度ごとに、核の恐怖に怯えて首を差し出し続けるのですか?」

「し、しかし……相手は核です! 脅しではないかもしれないんですよ!」

「脅しに屈した国家に待っているのは、平和ではなく『奴隷の平和』です」

総理はゆっくりと立ち上がり、モニターの向こうの統合作戦司令官(市ヶ谷JJOC)へ向かって言った。

「司令官。アメリカの核の傘(抑止力)が機能するかどうかは、ワシントンの大統領の決断に委ねるしかありません。しかし、我が国自身の防空の盾を放棄することは絶対にしない。……全国のイージス艦、およびペトリオット部隊の警戒レベルを最大(DEFCON相当)に引き上げなさい。何が飛んできようと、全て撃ち落とす。その覚悟を固めなさい」

総理は、官房長官に向き直った。

「直ちにJアラートを発令。『これまでにない極めて重大な脅威』が接近しているとして、沖縄および首都圏の全住民に対し、地下鉄の深層部や、コンクリートの地下施設への『最大級の緊急避難』を指示しなさい。……我々は、決して独裁者の核の恫喝には屈しない」

15:50 台湾・台北市/衡山ホンシャン指揮所(地下バンカー)

台湾標準時、午後3時50分。

台北の地下バンカーにも、ワシントンからの「核使用の切迫」という破滅的な情報が届いていた。

指揮所内の将校たちは、もはや絶望を通り越し、呆然自失の体であった。

血みどろの市街戦と、決死のゲリラ戦で、中国軍の強大な機甲部隊を完全にストップさせた。兵站を叩き切り、あと一歩で敵を海へ追い落とせるはずだった。

その「通常戦力での勝利」が目前に迫った瞬間に、敵は盤面ごと全てを焼き尽くす「核兵器」という反則チートを持ち出してきたのだ。

「……連中、台湾を『自分たちの神聖な領土』だと言い張っておきながら、その土地に核を落とすというのか」

国防部長が、力なく笑った。

「狂人だ。中南海の連中は、面子のために世界を終わらせる気だ」

「総統閣下……」

参謀総長が、ライ総統の前に進み出た。

「敵が戦術核を使用した場合、我が国の軍事中枢(この衡山指揮所を含む)および、主要な防衛部隊は一瞬で消滅します。……台湾の二千三百万の市民をこれ以上巻き込まないために、無条件降伏の通信を……」

「降伏はしない」

頼総統の言葉は、静まり返ったバンカー内に、岩を砕くような強さで響き渡った。

「中国が我々に核を落とせば、その瞬間、彼らがこれまで掲げてきた『平和統一』も『一つの中国』も、全てが永遠に嘘であったことが歴史に刻まれる。……我々は、核の炎で焼かれるかもしれない。しかし、我々がここで白旗を上げれば、台湾人が培ってきた自由と民主主義の魂は、共産党の収容所で永遠に腐り果てることになる」

頼総統は、マイクを握りしめた。

「全軍、および全国民に通達する。……敵は、我々の強靭な抵抗の前に完全に敗北し、ついに悪魔の兵器に手をかけようとしている。防空壕の奥深くに隠れ、生き延びろ。もし通信が途絶え、指揮系統が崩壊したとしても、決して戦うことをやめるな。……我々は、絶対に屈しない」

15:55 中国・江西省/人民解放軍 ロケット軍 第62基地周辺

台湾から数百キロ離れた、中国内陸部の深い森の中。

先ほどアメリカの空母に向けて「DF-21D」を放った移動式発射台(TEL)の部隊は、現在、さらなる恐るべき作戦のための準備に追われていた。

迷彩柄の防護服と、放射線計測器を身につけたロケット軍の技術将校たちが、鉛で覆われた厳重なコンテナから、銀色に光る円錐形の物体を慎重にクレーンで吊り上げている。

戦術核弾頭。

都市を一つ丸ごと消滅させる戦略核とは異なり、爆発の威力を数キロトンに抑え、特定の軍事目標や、成層圏でのEMP(電磁パルス)攻撃に特化した、実戦使用を前提とした悪魔の兵器である。

「……弾頭のメイティング(結合)作業、完了しました。PAL(使用許可)コードの認証を待機中」

技術将校が、基地司令に報告する。

司令は、手元の端末に表示される北京からの通信を、ゴクリと唾を飲み込みながら見つめていた。

(本当に撃つのか? これを撃てば、数十分後にはアメリカのトライデント(核ミサイル)が北京や上海に降り注ぎ、我々の家族も、国も、全てが終わるのだぞ……)

しかし、絶対的独裁体制の軍隊において、最高指導者の命令に疑問を挟む余地は一切存在しない。ためらえば、自らが反逆罪で処刑されるだけだ。

「……目標データの入力を行え。ターゲット・アルファ(台湾・衡山指揮所)、およびターゲット・ブラボー(日本・沖縄嘉手納基地周辺高高度)」

司令は、震える手でコンソールを操作した。

「弾頭、アクティブ。ジャイロスコープの同期完了。発射準備、オールグリーン……」

午後4時00分。

台湾標準時、午後3時00分。

開戦から39時間が経過した。

台湾海峡を巡る戦争は、人間同士が血を流し合う「戦場」から、全人類の生存を賭けた「終末のチキンレース」へと完全にその次元を超越した。

アメリカが核のボタンに手をかけ、日本と台湾が地下深くで嵐を待つ中。

中国内陸部の森の奥底で、核弾頭を搭載したDF-26ミサイルが、ゆっくりと、その無慈悲な切先を天へと向けたのである。

48時間のタイムリミットまで、残りあと9時間。

パンドラの箱の蓋は、今まさに、完全に開き切ろうとしていた。

この話はシミュレーション小説であり現実のいかなる国を中傷するものでは有りません。

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