第24話「上陸前夜」
【作中時間】2026年6月20日 23:00 - 24:00(台湾標準時 / UTC+8)
※日本標準時(JST / UTC+9):6月20日 24:00 - 25:00(6月21日 00:00 - 01:00)
23:05 台湾海峡(台湾本島沖合 15キロ)/中国人民解放軍 徴用大型RO-RO船「渤海の星」
台湾海峡の黒く荒れ狂う波を掻き分け、無数の巨大な鉄の塊が、東――台湾本島へ向けて猛然と突き進んでいた。
その中の一隻、平時は渤海湾で自動車やトラックを運んでいる2万トン級の大型民間RO-RO船「渤海の星」。その巨大な車両甲板の内部は、むせ返るようなディーゼルエンジンの排気ガスと、海水の匂い、そして数百人の兵士たちが吐き出した胃液の酸っぱい悪臭が充満していた。
「……吐くなら袋に吐け! 銃を汚すな!」
人民解放軍陸軍・水陸両用合成旅団の政治将校が、車両の隙間を歩き回りながら怒鳴り声を上げている。
甲板にびっしりと並べられているのは、中国軍の主力水陸両用歩兵戦闘車「ZBD-05」、および水陸両用戦車「ZTD-05」の群れである。その冷たい装甲に寄りかかるようにして、完全武装の兵士たちが膝を抱え、波の揺れに耐えていた。
彼らの顔に血の気はない。ただでさえ海峡の荒波で激しい船酔いに苦しんでいる上に、彼らは数時間前から「この世の地獄」を間近で目撃し続けてきたからだ。
ズドォォォォォォンッ!!
突如、分厚い船壁の向こう側で、腹の底から突き上げるような大爆発音が響いた。
「なんだ!? 今度はどこがやられた!」
「……左舷を並走していた052D型駆逐艦です! アメリカ軍の対艦ミサイル(LRASM)の直撃を受けました! 轟沈します!」
甲板の上のブリッジから、絶望的な報告がスピーカー越しに響く。
兵士たちの間に、恐怖のざわめきが広がった。
アメリカ軍の爆撃機と潜水艦が放ったミサイルの雨は、数時間前から絶え間なく中国の船団に降り注いでいる。正規の防空艦が次々と海の底へ沈み、隣を走っていたはずの別の民間徴用船が、台湾軍の地対艦ミサイル(雄風)を受けて真っ二つに割れ、数千人の兵士が火だるまになって海へ投げ出される光景を、彼らは窓越しに何度も見てきた。
軍艦のような装甲もダメージコントロール機能もないこのフェリーに、ミサイルが一発でも当たれば、自分たちも数千トンの鉄屑と炎とともに暗い海の底へ引きずり込まれる。完全に「運」だけが頼りの、死のロシアンルーレットであった。
「怯えるな! 我々は偉大なる祖国統一の歴史的任務を帯びているのだ!」
政治将校が、震える兵士たちを鼓舞しようと叫ぶ。
「アメリカのミサイルなど恐るるに足らず! 奴らの弾薬より、我々の船の数の方がはるかに多いのだ! もう陸地は目の前だ、上陸さえすれば我々の勝――」
その言葉が終わる前に、船体が大きく傾き、金属が激しく軋む音が車両甲板に響き渡った。
「取り舵一杯! 前方に味方の沈没船の残骸! 回避しろ!」
ブリッジからの怒号。
数千隻という常軌を逸した密集陣形で夜の海峡を突き進んでいるため、ミサイルで撃沈された味方の船の残骸を避けることすら至難の業であった。海面には、燃え盛る重油と、救命胴衣を着て助けを求める無数の味方の兵士たちが漂っている。
しかし、船団に「救助のための停止」は一切許可されていなかった。
『止まれば米軍の潜水艦の的になる。構わず前進し、残骸と死体を乗り越えて台湾を目指せ』。それが、北京の中南海から下された絶対的な死守命令であった。
船体をガリガリと擦る嫌な音とともに、フェリーは味方の死体が浮かぶ海を強引に切り裂き、ただひたすらに東を目指した。
強大なる中国人民解放軍の真の恐ろしさは、ハイテク兵器の性能などではない。この、数万人の自軍の兵士の命を平然とすり潰しながらでも、目標に向かって物理的な「質量」を押し付けてくる、冷酷無比な人海戦術の意志そのものにあった。
23:25 台湾・新北市/淡水河口防衛陣地
台北市の北西、台湾海峡に面した淡水河口。
ここは、川を遡ればそのまま首都・台北の中枢へと直結する、台湾防衛において最も重要かつ致命的な「絶対防衛線」である。
「……来るぞ。敵の船団、レーダーで目視可能距離まで接近中」
海岸線に掘られたコンクリート製のトーチカ(特火点)の中で、台湾陸軍・関渡地区指揮部の歩兵中隊長が、暗視双眼鏡を下ろして言った。
土嚢の隙間から見える漆黒の海。本来ならば何も見えないはずの暗闇の中に、燃え盛る味方と敵の船の炎が、不気味な蜃気楼のように無数に浮かび上がっていた。
「くそっ、アメリカ軍と海軍の連中は、海峡で敵を全滅させてくれるんじゃなかったのかよ!」
若い機関銃手が、M2重機関銃のグリップを握りしめながら、震える声で吐き捨てた。
「無茶を言うな。アメリカのミサイルが何百発あろうと、何千隻で押し寄せてくるバカの群れを全部沈められるわけがないだろう」
中隊長は、ヘルメットの顎紐を締め直した。
「だが、奴らの正規の揚陸艦はあらかた海の底だ。今向かってきているのは、民間船に毛が生えたような輸送船の群れだ。……海岸にへばりついた瞬間、徹底的に叩き潰すぞ」
海岸線の背後にある防風林や偽装網の中には、台湾軍のCM-11「勇虎」戦車や、最新鋭の「雲豹」装輪装甲車、さらには対戦車ミサイル(TOWやジャベリン)を構えた無数の兵士たちが、息を殺して待ち構えていた。
海岸の砂浜には、上陸用舟艇を阻むための鋼鉄製の対舟艇障害物(テトラポッドや鋼製バリケード)が何重にも張り巡らされ、その間には無数の対戦車地雷と対人地雷が敷き詰められている。
「……通信網、完全にダウンしています。衡山指揮所からの命令も、隣の小隊との連絡も、有線電話以外は使い物になりません」
通信兵が、無線機に耳を当てながら首を横に振った。
中国軍は上陸を前に、台湾軍の指揮系統を完全に麻痺させるため、通信衛星へのハッキングと強力な広帯域ジャミング、さらにはEMP(電磁パルス)弾頭に近い強力なマイクロ波攻撃を極限まで強めていた。
各防衛陣地は、本部からの指示を失い、完全に「孤立した要塞」として個別に戦うことを余儀なくされている。
「通信などいらん。目の前の海から上がってくる敵を、弾が尽きるまで撃ち殺せ。それだけだ」
中隊長は、自らのアサルトライフルのボルトを引き、薬室に初弾を装填した。
深夜23時30分。
雨が降り始め、台湾海峡の荒波の音に混じって、地響きのような「重低音」が海岸線へと迫ってくるのが聞こえ始めた。
それは、何百台もの水陸両用装甲車のキャタピラが海水を掻き回す音と、LCAC(エアクッション揚陸艇)の巨大なガスタービン・エンジンの咆哮であった。
闇の中から、死神の群れが姿を現そうとしていた。
23:45 日本・東京/防衛省 統合作戦司令部(JJOC)地下指揮所
「……中国軍の先陣部隊、台湾本島の西海岸、淡水から林口、桃園にかけての沿岸部に到達寸前。数千隻規模の船団が、海岸線へ向けて突進を継続中!」
日本の市ヶ谷にあるJJOCの大型スクリーンには、米軍の偵察衛星と日本の情報収集衛星が捉えた、身の毛もよだつような光景が映し出されていた。
画面の左側(中国大陸)から右側(台湾)へ向けて、無数の細かい赤い輝点が、まるで巨大なイナゴの大群のように海峡を埋め尽くしている。
その輝点の群れに対し、アメリカ軍の空母打撃群や爆撃機、そして自衛隊の潜水艦が放つ「青い光(ミサイルと魚雷)」が次々と突き刺さり、赤い輝点を消滅させていく。
しかし、赤い群れは減らない。
撃沈された船の横をすり抜け、後続の船が無限に湧き出してくるように前進を続けているのだ。
「……これが、一国で世界の造船シェアの半分以上を占める国家の、真の恐ろしさか」
統合作戦司令官(陸将)は、スクリーンを見上げながら、悪寒に身を震わせた。
「軍民融合」という言葉の、究極の暴力形態。
中国軍は、最新鋭の強襲揚陸艦やミサイル駆逐艦が日米のハイテク兵器の前に脆弱であることを悟ると、港に停泊していたあらゆる民間フェリー、貨物船、砂利運搬船、さらには数千隻のトロール漁船(海上民兵)までを強制的に徴用し、兵士と車両を詰め込んで海峡に放り込んだのだ。
「アメリカ軍が放ったLRASMや、我が方の12式地対艦ミサイルは、一発数億円もする超精密兵器だ。それを、使い捨ての民間フェリーや漁船に撃ち込んでいる。……完全に『キルレシオ(撃墜対費用効果)』が崩壊しています」
J4(兵站)幕僚が、絶望的な声で言った。
ハイテク兵器は、敵のハイテク兵器(空母やレーダーサイト)を叩くためには無類の強さを発揮する。しかし、相手が「数百万トンの鉄屑と、数万人の歩兵」という純粋な物理的質量で押し潰しにきた場合、高価なミサイルの弾薬庫はあっという間に空になってしまう。
「ミサイルの数より、敵の船の数の方が多い。……まさに、逆ダンケルクの撤退戦(撤退ではなく侵攻だが)を、現代の技術で見せつけられているようだ」
統合幕僚長(海将)が、深い溜息をついた。
「米第7艦隊の攻撃は、敵の船団の『何割』を削れたと見積もっている?」
司令官が問う。
「情報本部(DIH)の被害評価(BDA)によれば、海峡を渡ろうとした中国軍船団のうち、約35%から40%を撃沈、あるいは航行不能に追い込んだと推定されます」
情報幕僚が答える。
「4割か。……通常の近代軍隊なら、部隊の3割を喪失した時点で組織的な戦闘能力は崩壊し、撤退を選ぶ。だが、あの中南海の独裁者は、残りの6割を台湾の海岸に叩き込むために、4割の兵士を海に捨てることを躊躇わなかった」
司令官は、デスクに両手をつき、鋭い視線で画面の台湾本島を睨みつけた。
「日米の海空戦力による『遅滞行動』は、限界までその役割を果たした。中国軍に数万人規模の未曾有の出血を強いたのだ。……これより先は、台湾軍の陸上戦力による、文字通りの『水際の血戦』となる」
日本時間、まもなく午前0時を迎えようとしていた。
開戦から丸24時間が経過。サイバー空間の沈黙から始まった戦争は、今や台湾の砂浜に何万もの兵士の肉体が打ち上げられる、凄絶な肉弾戦へとそのフェーズを完全に移行させようとしていた。
23:55 台湾海峡(海岸線まで1キロ)/中国人民解放軍 第1波上陸部隊
「……ランプ・ドア、展開!! 各車、海へ出ろ(ゴー・ゴー・ゴー)!!」
台湾の海岸線までわずか1キロの海上に到達した、中国軍の071型ドック型揚陸艦や民間RO-RO船の船尾。
巨大なハッチが開き、荒れ狂う夜の海面へと、兵士を満載したZBD-05水陸両用歩兵戦闘車が、次々とダイブしていく。
ドシャァァァァッ!!
海面に落ちた数十トンの装甲車は、一瞬深く沈み込むが、すぐにウォータージェット推進を全開にして浮き上がり、波を蹴立てながら海岸線へと向かって狂ったような速度(海上を時速25キロ以上)で疾走し始めた。
「ハッチを閉めろ! 波を被るぞ!」
戦闘車の狭く暗い兵員室の中で、中国軍の歩兵たちは、揺れと恐怖に耐えながら、支給されたばかりのアサルトライフルの安全装置を外した。
彼らの耳には、自分たちのエンジン音を掻き消すほどの、凄まじい「破裂音」が連続して響き始めている。
ズガンッ! ズガンッ!!
台湾軍の海岸陣地から放たれた、無数の対戦車ロケット弾と、沿岸砲(155ミリ榴弾砲)の雨である。
先頭を走っていた装甲車が直撃を受け、海上で巨大な火球となって吹き飛ぶ。ハッチから火だるまになった中国兵が海へ飛び込むが、重い軍靴と装備のせいで、次々と波間に沈んでいく。
「怯むな! 前進しろ! 砂浜に上がれば我々の火力で圧倒できる!」
夜空を、台湾軍の照明弾が真昼のように明るく照らし出した。
その光に浮かび上がったのは、見渡す限りの海面を埋め尽くし、白い航跡を引きながら海岸へと殺到する、数百、数千の水陸両用車両と揚陸艇の群れであった。
対する台湾の海岸線からは、機関銃の曳光弾が、まるで真っ赤なレーザーのシャワーのように海へ向かって降り注いでいる。
「突撃!! 祖国のために!!」
時計の針が、ついに深夜12時を指した。
2026年6月21日 00:00(D-Day+1)。
作戦開始の絶対時間「H-Hour」。
中国軍の第1波上陸部隊の装甲車のキャタピラが、ついに台湾の砂浜を削り取った。
鉄と血と炎が交錯する、人類史上最も凄惨な「水際の血戦」が、今、完全にその幕を開けたのである。
この話はシミュレーション小説であり現実のいかなる国を中傷するものでは有りません。




