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第23話「民間防衛」

【作中時間】2026年6月20日 22:00 - 23:00(台湾標準時 / UTC+8)

※日本標準時(JST / UTC+9):6月20日 23:00 - 24:00

22:05 台湾・台北市松山ソンシャン区/指定地下防空避難所(防空洞)

開戦から22時間が経過した、台北の夜。

地上では依然として防空警報のサイレンが鳴り止まず、中国軍の長距離ロケット弾や巡航ミサイルが着弾するたびに、コンクリートの壁が鈍く振動し、天井から細かな粉塵がパラパラと落ちてきた。

しかし、数千人が身を寄せ合う地下シェルター(地下鉄駅や地下駐車場を転用した防空避難所)の空気は、昼間の「フェイク動画」が引き起こしたパニック状態から一変し、異様なほどの「静かな熱」を帯びていた。

ライ総統の、アナログ短波放送による肉声演説。それが人々の心に、絶望の代わりに「覚悟」という名のくさびを打ち込んだのだ。

「……お湯が湧いたぞ。粉ミルクが必要な母親を優先してくれ。次は負傷者の消毒用だ」

薄暗い非常灯の下、民間防衛ボランティアのビブスを着た若者たちが、手回し式の発電機やカセットコンロを駆使して、避難民のケアに奔走していた。

彼らの多くは「黒熊学院」などに代表される、平時から有事に備えた応急処置や避難誘導の訓練を受けてきた一般市民である。軍の正規部隊が前線で血を流している今、後方の社会秩序を維持するのは、彼ら「民間人」の役目であった。

「……外は、どうなっているんだろうな」

配給された冷たいペットボトルの水を握りしめながら、会社員の男性が隣の青年に呟いた。

通信は依然として遮断されており、外部の戦況を知る術はない。しかし、時折地上から降りてくる消防隊員や警察官の煤けた顔と、絶え間なく運ばれてくる負傷者の数を見れば、状況が絶望的であることは誰の目にも明らかだった。

「中国の船団が、海峡を渡り始めているらしい」

青年が、血の気の引いた顔で答えた。

「軍は水際で食い止めようとしているが、多勢に無勢だ。……もし連中が上陸して、この台北の街まで入ってきたら、俺たちはどうなるんだ?」

ウクライナのブチャ、あるいは過去の歴史における数々の占領下の悲劇。

その記憶が、人々の脳裏に重くのしかかる。しかし、ただ怯えて隠れているだけの時間は、すでに終わりを告げようとしていた。

『――避難所内に通達します!』

拡声器を持った警察官が、地下コンコースの中央に立ち、声を張り上げた。

『政府より、国家総動員法に基づく「後備軍人(予備役)」の緊急召集令状が発動されました! 18歳から45歳までの、退役および後備登録されている男性は、直ちに身分証を持参の上、指定された地域の集結拠点(学校のグラウンド)へ向かってください! 繰り返します――』

そのアナウンスが響いた瞬間。

地下避難所のあちこちで、数十人、数百人の男性たちが、無言のまま立ち上がった。

彼らは家族と短い抱擁を交わし、泣きじゃくる子供の頭を撫でると、決意に満ちた目で地上へと続く階段へ向かって歩き始めた。

台湾には徴兵制がある。成人男性の多くは、兵役期間を通じてアサルトライフルの分解結合から、実弾射撃、そして基礎的な戦術行動までを身体に叩き込まれている。

彼らは普段はカフェの店員であり、IT企業のエンジニアであり、工場で働く工員である。しかし、国が存亡の危機に瀕した今、彼らは「兵士」として再び銃を取ることを求められたのだ。

「……生きて、必ず戻ってきてね」

涙を堪える妻に、会社員の男性は力強く頷いた。

「ああ。この街を、共産党の連中には絶対に渡さない」

22:25 台北市内・中正ジョンジョン区/某小学校グラウンド(予備役集結拠点)

照明が落とされ、月明かりと非常用投光器だけが頼りの小学校のグラウンド。

そこには、私服姿のまま駆けつけた数千人の予備役(後備兵)たちが、長蛇の列を作っていた。彼らの顔は、緊張と恐怖、そしてそれを上回る怒りでこわばっている。

「第3中隊、こちらへ並べ! 身分証を提示しろ!」

軍服を着た正規軍の下士官たちが、怒号を飛ばしながら受付を行っている。

グラウンドの中央には、軍の大型トラックが数台乗り付けられており、荷台から緑色の木箱が次々と下ろされ、バールでこじ開けられていた。

「……武器の支給を開始する!」

木箱の中には、グリスに塗れた台湾軍の主力小銃「T91アサルトライフル」、そして5.56ミリの実弾が詰まった弾倉マガジンが、幾重にも敷き詰められていた。

列に並んでいた若者(普段は大学生)が、下士官から重たいT91ライフルと、実弾が入った弾倉4つ、そして簡単なチェストリグ(弾薬帯)を手渡された。

「装填はまだするな! 暴発させるなよ。お前たちの配置は、第5ブロック……総統府周辺の市街地防衛だ。連隊長の指示に従い、直ちに移動しろ!」

若者は、手にした銃の冷たい金属の感触に、思わず息を呑んだ。

訓練で空砲を撃ったことはある。しかし、これから彼が撃たなければならないのは、紙の的ではない。海を渡って殺しにやってくる、生きた人間の兵士なのだ。

グラウンドの片隅では、軍の支給品だけでは足りず、自前のヘルメットやタクティカル・ベスト、さらにはサバイバルゲーム用の迷彩服を着込んで集まってきた者たちもいた。

彼らは支給されたT91ライフルを受け取ると、慣れた手つきで遊底ボルトを引き、動作確認を行っている。

「……まさか、本当に台北の街中でドンパチをやることになるとはな」

中年太りの予備役兵が、マガジンをポーチにねじ込みながら苦笑した。

「中国のミサイルはハイテクだが、最後に街を制圧するのは歩兵だ。路地裏の戦いなら、この街を知り尽くしている俺たちに分がある」

台湾軍の正規兵力は約16万人。それだけでは、数千隻の船団で押し寄せる数十万の人民解放軍を水際で全て防ぎ切ることは不可能である。

しかし、台湾には約200万人に及ぶ予備役が存在する。彼らが武器を取り、台北という複雑な大都市のビル群、地下鉄のトンネル、そして狭い路地裏を「要塞」へと変えれば、中国軍は一歩進むごとに血を流す、泥沼の市街戦アーバン・コンバットに引きずり込まれることになる。

「全小隊、移動開始! 民間車を徴用しろ! バリケードの構築を急ぐんだ!」

下士官の号令とともに、武装した市民たちが、台北の暗闇の中へと散開していった。

それは、超音速ミサイルとステルス機が飛び交うハイテク戦争から、アサルトライフルと手榴弾、そして人間の肉体が直接ぶつかり合う、最も泥臭く、最も残酷な「消耗戦」への完全なる移行を意味していた。

22:40 台北市内・主要幹線道路

夜の台北市街地。

101タワーをはじめとする摩天楼は、停電によって黒い墓標のようにそびえ立っている。

その足元を通る主要な幹線道路――忠孝東路や信義路などの大通りでは、市民と予備役兵たちが一体となって、異様な熱気の中で「防衛線」の構築を進めていた。

「土嚢をもっと積め! バスの横転だけじゃ戦車の砲弾は防げんぞ!」

「地下鉄の入り口を塞げ! 敵の特殊部隊(特種兵)が地下から浸透してくるかもしれない!」

大型の路線バスやゴミ収集車が道路のど真ん中に横倒しにされ、その隙間を埋めるように、アスファルトを砕いて作った土嚢や、建設現場から持ち出された鉄骨、対戦車用の鋼鉄製バリケード(チェコのハリネズミ)が次々と設置されていく。

ビルの窓ガラスは全て割られ、高層階のベランダや屋上には、対戦車ミサイル(ジャベリン)や対物狙撃銃を構えた部隊が配置された。

彼らは、大通りを直進してくるであろう中国軍の装甲車を、上空から「十字砲火クロスファイア」で撃ち下ろすためのキルゾーン(殺戮地帯)を形成しているのだ。

「……街が、戦場に変わっていく」

予備役として招集され、交差点の土嚢の陰でT91ライフルを構えていた青年は、震える手でグリップを握りしめながら呟いた。

数日前まで、ここは彼が恋人と歩き、タピオカミルクティーを飲んでいた平和な街角だった。それが今や、コンクリートと鉄屑で作られた迷路のような要塞と化している。

「怖がるな、若いの」

隣に伏せていたベテランの軍曹が、青年の肩を叩いた。

「敵も人間だ。海を渡って、慣れない異国のコンクリート・ジャングルに放り込まれる連中の方が、よっぽど恐怖を感じているはずだ。……俺たちは、自分の家を守るために戦う。その『大義』の差が、最後に勝敗を分ける」

空からは、断続的に中国軍のロケット弾が市街地のどこかに着弾し、そのたびに夜空がオレンジ色に染まり、地響きが足元を揺らす。

しかし、バリケードの陰に潜む兵士たちも、地下に隠れる市民たちも、もはやパニックを起こすことはなかった。彼らの心は、逃げ場のない島で最後まで抗戦し抜くという、冷たく研ぎ澄まされた「決死の覚悟」へと昇華されていた。

台湾は、ただの「島」ではなくなった。

数百万の武装した市民が牙を剥く、巨大な「ハリネズミの要塞」へとその姿を完全に変貌させたのである。

22:50 台湾・台北市/衡山ホンシャン指揮所(地下バンカー)

「……台北市内の主要幹線道路、計145箇所に第1線バリケードの構築を完了。予備役第1波、約30万人の武装・配置が概ね完了しました。現在、台中および高雄の都市部でも同様の防衛線構築が進行中です」

地下バンカーのメインスクリーンに、無数の監視カメラやドローンから送られてくる、要塞化された台北市街地の映像が分割して映し出されていた。

報告を聞いたライ総統は、深く息を吸い込み、腕を組んだままその映像を見つめていた。

「総統閣下」

参謀総長が進み出る。その目には、軍人としての冷徹な計算と、自国民を地獄へ突き落とさざるを得ない苦悩が入り交じっていた。

「我が軍は、敵の上陸を水際(海岸線)で最大限遅滞させます。しかし、彼らの圧倒的な物量を前に、海岸線がいずれ突破されることは避けられません。……敵の機甲部隊が台北の市街地へ侵入した場合、我々は『都市そのものを盾』にして戦うことになります」

市街戦アーバン・コンバット

それは、防衛側にとってはゲリラ戦によって敵の出血を強いる最大のチャンスであるが、同時に、街そのものが完全に破壊され、おびただしい数の民間人が巻き添えになることを意味する。

「……アメリカの動きはどうなっている。第7艦隊はまだ中国の揚陸艦隊を止められないのか」

頼総統が、絞り出すような声で問う。

「米軍は全力を尽くしてくれています。先ほどのB-1B爆撃機と空母艦載機によるスタンドオフ攻撃で、中国本土のミサイル陣地と、海峡内の敵艦艇数十隻を破壊しました」

国防部長が答える。

「しかし、中国軍の上陸船団は『数千隻』規模です。米軍のミサイルの雨を浴び、次々と炎上しながらも、彼らは残骸を乗り越えて、狂気のような速度で我が国の海岸線へと突き進んできています。……彼らの先陣(水陸両用装甲車)が海岸に到達するまで、あと2時間もありません」

頼総統は、スクリーンに映る、土嚢の陰で銃を構える若き予備役兵の顔を見つめた。

彼らは政治家が起こした戦争のツケを、自らの血で払おうとしている。

「……市民に、これ以上の犠牲を強いることは私の本意ではない。だが、我々がここで白旗を上げれば、台湾が積み上げてきた歴史も、自由も、すべてが永遠に失われる。……降伏という選択肢は、私の辞書にはない」

総統は振り返り、指揮所にいる全ての幕僚たちに向けて、決定的な命令を下した。

「全軍に達する。海岸線の第一防衛線を死守せよ。一歩も引くな。もし突破された場合は、市街地における遅滞戦闘へ移行。……台北の街のすべての交差点、すべてのビル、すべての部屋を、敵の血で染め上げろ。我々が流す血の最後の一滴まで、台湾は戦い抜く」

午後11時00分。

開戦から23時間が経過。

台湾標準時は深夜に突入し、運命の「D-Day+1(開戦2日目)」が目前に迫っていた。

空と海でのハイテク戦闘による「プロローグ」は終わりを告げた。台湾海峡の荒波を乗り越え、何万もの人民解放軍の兵士たちが、銃剣を握りしめながら、いよいよ台湾の砂浜へとその殺意を叩きつけようとしていた。

台北の街は、嵐の前の、息を呑むような恐ろしい静寂に包まれていた。

この話はシミュレーション小説であり現実のいかなる国を中傷するものでは有りません。

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