第13話 だが、もう遅い
見上げる空は秋空の快晴。偶に吹く空っ風に注意すれば、林檎の爺様が営む果樹園の甘い香りが入り混じるし、名も知らない灰色の地味な鳥だって鱗雲を追い回すように気ままに飛んで行く。
確かに今日の日和からすれば、爺様のようにピクニックシートに寝転がっているのが本来あるべき姿で間違いない。その一方で、どうして自分はいったい何の因果で、泥を被りつつ這いつくばるのだろうかとアトリはふと考える。
ただ、そんな甘ったれた空想は、頭の片隅に居座り続ける一点の曇りもない笑顔のクレアの残像で掻き消されてしまうし、挙句の果てにはルーリザの放つ強烈な雷鳴の一撃で思考の断片すら粉々にされて無理やりどこかに吹っ飛ばされる。
ルーリザがオーケストラの指揮者のように優雅に指を振る一方で、アトリは地面の枯葉を巻き上げながら忙しなく転げまわる。額に微かに感じるそよ風の予感の通り、息つく暇もなく、今度は鋭い突風の刃が周囲の大気を巻き込みながら三筋に分かれて飛んでくる。
ルーリザのすました碧眼にもほんのりと赤みが差す唇にも何ら変化がない様に見えるが、先程から攻撃を躱し続けるのが気にくわないのか、明らかに直撃を狙う執念をひしひしと感じる。躱した後に生じる姿勢の隙を突くように頭、胴、下半身の三点を時間差で狙い定める緻密に制御された攻撃だった。
開始早々から避けてばかりなのは、別に挑発しているわけでも、避けるのが得意だからというわけではなく、単にルーリザの攻撃が予想以上に苛烈で、現状避けるぐらいしか対処のしようがないから。
アトリは風の刃が纏う風属性の魔力の飛び筋から攻撃範囲の見極めを大まかに行う。しかし、軌道的にすべてを避けるのはやはり不可能そうだった。仕方なく横に飛び引き、身体を捻るようにして、上段、左段に飛んできた筋を躱し、右段からガラ空きの胴を狙って突き上げてくる風刃を防御魔術で受けてみることにする。
防御魔術で攻撃を防ぐには、一般的に攻撃元の魔術と同じ属性の防御結界を構築することで行う。この一か月ほどクレアの指導の下で訓練をしているが、やはり魔力の調整勘が鈍っており、きちんと有効な防御ができるか不安がある。
その上、ルーリザと対峙する際に感じる透き通るように周囲を張り詰めさせる正体不明の威圧感が非常に厄介だった。平常心を保つのが難しい状況で、馴れない風属性の魔力など練れるわけがないので避けるしかなかったのだが、それも限界を迎えつつある。
どこかでルーリザの好き勝手を防ぎ、反攻に転じなければ防戦一方のままに敗北する。それは流石にクレアやローグにだって申し訳が立たないし、アトリにだって意地がある。
アトリは詠唱を行い、風属性の防御結界を構築する。ひとまず形になったことに安堵しつつ、神様ここはひとつ防いでくれよ、とついでに念を込めてみる。しかし、その努力も空しく、ルーリザの風の刃は防御結界を軽々と断ち切り、アトリの脇腹に攻撃が綺麗に直撃する。
「ルーリザさんの有効打です!」
ローグの判定を聞き、うーん、やられたと独り言ちる。やはり練度も信心も足りなかったか。いや、ルーリザの風刃の魔力密度から見て、制御された攻撃を三つも放たれる状況になった時点で既にもう手遅れだったのか。
役に立たない神様に軽く舌打ちしつつ、後悔の念が渦巻くが、まあ、失敗は仕方がないと切り替える。実践であれば胴から真っ二つの歪なオブジェになっていたはずで、これが戦闘訓練であること、あとはきちんと結界を張ってくれる賢い弟や、不愛想でおっかない貴族令嬢が親友の幼馴染がいてくれるだけで幸運で、神様だってそれなりに頑張ってくれているのだ。本来ならば切られたはずの脇腹を摩りつつ、やはりこの先は自分の力で切り開くべきなのだと一人で納得する。
これまでにルーリザが使用してきた属性魔術は水、風、雷の三つ。属性魔術を発動するには、それぞれの魔術に見合った詠唱が必要があるが、それ自体は案外大したことはなく、問題なのは魔術を発動するための属性魔力を使いこなすこと。
これは繰り返しの訓練にて感覚を掴むより他なく、火属性の魔力が調整できるようになったからといって、水属性の魔力の制御に安易に手を出すと、水属性の魔力が使えるようになったころには、火属性の魔力制御が上手くできなくなることも良くある。同年代で既に一流の魔術師と呼ばれる水準である三属性の魔力の完全制御を達成しているのだから、まあ恐ろしい。ルーリザが微かに鼻で笑うような仕草をするが、彼女には確かに鼻で笑う権利があるし、大抵の魔術師は笑われる義務がある。
だとすれば勝ち筋はどうすれば良いのか。
ルーリザが魔術を連発したことにより、周囲に漂う魔力の気配が濃厚になっている上、訓練形式の魔術戦闘のため、結界を張っているから通常よりも魔力が拡散せずに滞留している。
流石、勘まで鋭いのか、アトリが魔術を行使しようとした瞬間に、ルーリザが何かを気取ったか、瞳が大きく開く。だが、もう遅い。
やはり、こと、決闘形式の戦闘では自分は何処かで負けるはずがないという思いがちらつく。あの日以来、どうやら自分は自分の人生だけではなく、まだ王都の魔術師というものを心の奥底でどこか舐めている節がある。




