第11話 おいアトリ坊、頑張れよ
西の森という名は正式名称ではなく、本来の名は蜂蜜食いの森とアトリは聞いている。開拓以前はカシやシナの巨木がいくつもそびえ立ち、高い幹からは縦横無尽に枝が張り巡らされ、そこに季節問わずびっしりと葉がついているものだから、森に入るには常に明かりが必要だったという。
ルーリザから戦いの場として相応しい広い場所を所望されたため、人気がなく開けた空間がある西の森の伐採地へ連れてきた。森に到着するとルーリザの指示の下、ローグが模擬戦向けの試合場の確保のため、忙しげに空き地を駆けまわる。
ローグが空き地全体を試合場の領域となるように、詠唱をしつつ、木の幹や岩に印を刻みつける。炎や水、雷など天変地異を模した異能の力を操る魔術師同士の戦闘訓練は生身で行えば重傷は必至。無為な負傷を防ぐため、魔術の肉体への効果を制限する結界を使用した試合場を準備する必要がある。
試合場の範囲指定が終わると、ローグから保護魔術の対象制御に使用する依り代の提出を求められる。アトリは髪の毛を一本引き抜き渡してやる。
ローグは同じくルーリザからも髪の毛を受け取り、黒と金の髪の毛を注意深く睨みつけつつ、馴れた様子で詠唱を行う。保護対象とする者の体組織を媒介して術式を設定し、事前に範囲指定した領域内では、魔術や物理攻撃による保護対象者の肉体への影響をすべて無効化する。この魔術の源流は大昔に考案された「無敵結界」とされていて、大仰な名前の通り、実践投入された当初は大いに猛威を振るい、負傷無効を背景にたった数人の魔術師だけで敵城を制圧しまったという。
でもまあ、それは、ほとんどおとぎ話のような大昔の話で、魔術の解析と対応が進んだ今では既に通用しない過去の遺物となっている。ただ、現在でもその術式を基礎とした派生魔術の開発は盛んに行われていて、戦闘訓練用途に応用されるなど、日々改良がなされている。
ローグが詠唱を終えると、アトリとルーリザの身体が一瞬ぼんやりと光る。ローグが指差し確認をしながらアトリの周囲を一周して、満足げにうんと頷く。今度はルーリザの方へ向かい、同じように術の掛かり具合を確認する。手持ち無沙汰なため、なんとなく視線を動かすと、ルーリザの険しい横顔が視界に入る。ルーリザに本格的に睨みつけられない内に、クレアの様子を伺うことにする。
ローグが作る決闘場の近くにピクニックシートを移動しており、クレアの隣には林檎農家の爺様がちょこんと座る。森への移動中に何事かとついてきたのだが、やはりルーリザを連れて田舎道を歩くのは人目を引き付け過ぎていたし、若者が四人ぞろぞろと人気のない森へ向かうのは悪目立ちしても仕方がなかったか。
クレアの方はサンダル脱いでしまっていて、素足のつま先を気楽に伸ばしつつ、差し入れの林檎を齧りながら呑気にこちらに手を振ってくる。
「おいアトリ坊、頑張れよ」
林檎農家の爺様が言った。
「見世物じゃあないんだけど」
「いいじゃねえか。減るもんでねし。魔術の試合なんて、王都の大会にでも見に行かねえと、そうそうお目にかかれるもんじゃあないからな。それにしてもよう、相手のお嬢さんは、頗る美人だよなあ」
「それが目的か」
うしし、と林檎の爺様が顔をくしゃくしゃにして心底嬉しそうに笑う。アトリとクレアが幼い頃から既に爺。それでも、この分なら来年も、再来年も、同じく酒焼け赤ら顔の林檎の爺のままでいてくれる。
「林檎のじっちゃん、美人ならここにもいるじゃない」
「クレアちゃんも美人になったけどよう、小さい頃から知ってるし、見慣れているからな。しかしよう、ああいう気位の高いような美形はここらじゃ滅多に見かけないからなあ」
「ふうん。じっちゃんの好みはああいうのか」
「そらもうさね。うちの婆さんもよう、昔はなあ、そら田舎に似つかわしくないような凛とした女子で――」
林檎の爺様が年寄りにありがちな昔語りを始め、クレアも楽しげにそれに耳を傾けている。少し先にある、いさら川のせせらぎが此処からでも聞こえることにふと気づく。木漏れ日に当てられたクレアの肌が普段よりも増して白く透けるように見え、細い足首に浮かぶ青い血管に奇妙な憂いの気配を感じ取る。
「クレア」
「ん、なあに」
「いや、なんでもない」
しかし、けらけら笑っているクレアの様子からすれば気のせいに違いないはずで、爺様とクレアに小さく手を振って背を向ける。
「アトリ」
背後から、クレアの声が掛かる。
「コテンコテンにやられて、自身の未熟さ、魔術の奥深さを再認識する……なんて時間の余裕はないからね」
「まあ、そうだよね」
「では、行ってきなさい」
「へい。師匠。」
口に出してみて再確認したが、このルーリザとの模擬戦で結果を残さなければ、一生いじけた感情を引き摺ることになるのは明らか。今後の人生を決める重要な一戦となるが、その割に気楽なのはクレアに良いように誘導されているというのもあるが、それに加え、やっぱり想像よりも自分の人生を舐めているのか。
「準備が終わりました。アトリ兄さん、ルーリザさん、試合場へお願いします」
ルーリザがさっさと結界が張られた試合場に入ったのを確認し、アトリも入場する。ルーリザに向かい合うと無言の圧力を感じるが、顔を上げ、負けじと仏頂面をかましてやる。
「方式は王立魔術学院の戦闘訓練規則に則って行います。有効打五本を相手に与えた者を勝者とします。えーと、自分の身、名誉、ルールを守ること誓い、正々堂々戦ってください」
「それでは。気を付け、礼!」
案外なるようにはなった審判ローグの進行に従い、アトリはルーリザにお辞儀をする。この伝統に基づいた面倒臭いような形式ばった前座の儀式もなんだか妙に懐かしい。
「全くの素人というわけではないようね」
「何が?」
「あなたの礼の仕方が様になっていたから」
「関係あるのかな。それ」
「ええ、関係があるわ」
突然始まったお喋りにローグの困惑が感じ取れ、アトリはすぐさま会話を打ち切る。ローグへちらりと視線を送ってやると、ローグが力強く頷く。
「では、構え」
ルーリザが自然体で背筋を伸ばし、細い腰に優雅に手を置く。
「ルーリザさん、準備は良いですか?」
「私は構わないわ」
「アトリ兄さんは?」
「問題ないよ」
アトリは誰にも分からない程度にふう、と息をつき、対面するルーリザの姿を直視する決意をする。ルーリザの澄んだ碧眼がこちらをじっと見つめ返しており、確かに林檎の爺様の言うことももっともで、これだけの美人の視線を独り占めする機会はそうそうないとも考え始める。冷淡で無感情な表情なのが残念だが、贅沢は言えないのだろう。
「始め!」
まず動いたのはルーリザの方で、ほどんど詠唱もなく、水弾が飛んでくる。間抜けなことにルーリザの長い睫毛に気を取られていたため、完全に出鼻をくじかれた形になり、アトリの背中がひやりとする。
水弾の発する魔力の流れの読み取りにはぎりぎり間に合い、不格好な形ではあるが、身をよじって水弾を躱す。躱した水弾はそのまま飛んでいった後、見えない壁にぶつかったように弾け、魔力が拡散する。どうやらローグが張った結界は有効に発動しているらしい。
アトリが気を取り直して顔を上げると、見下されるような構図でルーリザの澄まし顔があった。ただ、先程までの表情とは異なる印象があり、その理由にもすぐに察しがついた。
このやろうめ。これまでずっと無表情を貫いていたくせに、こちらを狼狽させたのがそんなに嬉しかったのか。ルーリザの瞳には、クレアにも似た妙に得意げで強気な年相応の感情が色濃く表現されていて、それがおそらく、ルーリザからアトリ個人に初めて向けられた活き活きとした表情だった。




