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魔女という病 ~ヘンゼルとグレーテル異聞~  作者: 曲尾 仁庵
邂逅

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5/17

野苺

 ドレスルームへと続く廊下は、深く沈む赤い絨毯が敷かれ、等間隔に据えられた燭台が柔らかに照らしています。グレーテルはゆっくりと歩きながら、並んで歩くヘンゼルに話しかけました。


「ケーキ、口に含んで大丈夫だった?」


 ヘンゼルは鼻にシワを寄せて答えます。


「毒の類じゃあない。食べても死にはしなかったと思う。ただ、異常に甘かった。舌がマヒしそうだ」


 顔をしかめたまま、ヘンゼルは舌を出します。グレーテルは考えるように視線を落としました。


「甘ったる匂い、管弦楽の音、異常に甘いケーキ――魔女は五感を奪いにきている?」

「そうだとして、目的は?」


 ヘンゼルに問われ、グレーテルは足を止めて右手で口元を覆いました。


「……魔女はそもそも私たちを食べるのが目的なのだから、毒殺は本意ではないのかもしれない。お兄ちゃんは毒で死んだ鶏の肉を食べたいと思う?」


 グレーテルに問い返されたヘンゼルは一瞬、考えるように視線を上げ、少しの間の後に答えます。


「食べたくない」

「でしょう?」


 再び視線を下げ、グレーテルは思考に沈みます。


「私たちが警戒すべきは直接的な方法じゃないのかもしれない。もっと別のところに意識を向けたほうがいいのかも」

「毒殺が否定されるとして、五感を奪いにくる理由にはなってなくないか?」


 手持無沙汰そうにポケットをまさぐりながら、ヘンゼルは言いました。「ふーむ」とうなり、グレーテルは答えを探るようにつぶやきます。


「……五感を奪う。現実感を、なくす? 現実を、感じさせない――夢を、見せる」


 ハッと顔を上げ、グレーテルはヘンゼルに詰め寄るように近付きました。


「魔女は食にこだわりがあるのかも」

「どういうこと?」


 グレーテルの勢いに押されるように、ヘンゼルは一歩下がって距離を取ります。グレーテルはどこか教師のような口調で言いました。


「知ってる? 家畜にストレスを与えると肉質が落ちるの。だから精肉の時には、極めて短時間に命を奪う必要がある」

「へぇ。そうなんだ」


 ヘンゼルはあまり興味の無さそうにそう言って、ポケットから野苺を取り出しました。「結局何も食べてないんだよな」とつぶやき、ひょいっと口に放り込みます。グレーテルは構う様子もなく話を続けました。


「お菓子も、もてなしも、明るい部屋も、全部『獲物にストレスを与えない』装置と考えたらどうかしら? 五感を奪い、幻を見せて、命を奪うその瞬間まで幸せを誤認させる。そして、最後の瞬間に一瞬で刈り取る。それが魔女の狙いなのかもしれない」


 ヘンゼルはもぐもぐと口を動かし、不快そうに顔をしかめました。ペッと手の中に野苺を吐き出し、じっとそれを見つめるヘンゼルに、グレーテルは真剣な目を向けます。


「お兄ちゃん」


 ヘンゼルはグレーテルに顔を向け、その目を見つめ返しました。


「私を、信じる?」


 ヘンゼルは吹き出すように笑って、ドレスルームに向かって歩き始めます。


「何を当たり前のこと言ってるのさ。妹を信じない兄なんていないよ」


 手を頭の後ろに回し、ヘンゼルは歩いていきます。


「ありがとう」


 ヘンゼルの無防備な背を見つめ、グレーテルはそう言うと、袖に仕込んだナイフを取り出し、嬉しそうに嗤いました。




 ゆっくりと前に進むヘンゼルを追い、ナイフを手にしたグレーテルが廊下を駆けます。絨毯は足音を消し、グレーテルはすぐにヘンゼルに追いつきました。グレーテルはヘンゼルの首に向けてナイフを振りかぶります。燭台の火がナイフに反射し――ヘンゼルは素早く振り返ると、グレーテルの手首を掴みました。


「どうして――?」


 目を見開いたグレーテルの手を、ヘンゼルは拳で打ち据えます。痛みに顔をしかめ、グレーテルはナイフを落としました。足でナイフを蹴って飛ばし、ヘンゼルは膝でグレーテルのみぞおちを抉ります。「ぐぇ」とうめくグレーテルから手を離し、ヘンゼルは身体を横に半回転させて勢いを付け、グレーテルの胸を強く蹴り出しました。グレーテルの身体は吹き飛び、廊下の壁に背をぶつけます。糸の切れた人形のようにずるすると壁を滑り落ち、グレーテルはぐったりと座り込みました。


「……なぜ、気付いた? お前はもう囚われていたはず」


 グレーテル――の姿をした者――は紅い瞳でヘンゼルをにらみます。小さく鼻を鳴らしてヘンゼルは答えました。


「グレーテルは僕を『お兄ちゃん』なんて呼ばない」


 グレーテルの姿をした者はギリリと奥歯を噛みます。それに、とヘンゼルはグレーテルの姿をした者を冷ややかに見つめました。


「騙されようが洗脳されようが、グレーテルが僕を殺そうとすることはないよ」


 グレーテルの姿をした者の輪郭がぐにゃりと歪み、どろどろと溶けていきます。やがてそれは完全に形を失い、絨毯に黒いシミを残して消えてしまいました。深く息を吐き、ヘンデルはつぶやきます。


「グレーテルを探さないと」


 足を踏み出し、よろけ、壁に手を突き、ヘンゼルは頭を振ります。ふっと強く短い息を吐き、顔を上げ、正面をにらんで、ヘンゼルは駆け出しました。


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