アトラクション
『お菓子の家にようこそ! ここは夢の詰まった魔法の館。楽しんでいってね!』
子供のような明るい声が響き、玄関ホールにパッと明かりが灯ります。燭台も何もない天井が自ら柔らかい光を放ち、室内の影を払いました。居並ぶ騎士像は動きを止め、騎士たちの向こうにはいつの間にか、タキシードに身を包んだピンク色の毛並みのウサギが背を伸ばして立っています。グレーテルはハッと息を飲みました。騎士像も、白磁の花瓶も、壁も床も階段も扉さえ、精巧に作られた飴細工でした。
『どうぞ奥へ! ケーキにタルトにチョコレート、古今東西あらゆるお菓子はすべて、こちらの部屋にご用意してございます』
うやうやしくお辞儀をして、ウサギは奥の部屋を手で示します。扉がひとりでに開き、金の燭台に点された火に照らされた豪奢なダイニングが姿を現しました。猫の給仕が銀のお盆を抱えて並び、壁際に置かれた長机にはお菓子が山と積まれています。グレーテルは周囲を警戒しながらヘンゼルに近付き、鼻にシワを寄せました。
「……遊ばれてるわね」
「だな」
ヘンゼルはウサギをじっと見つめます。ウサギはにこやかな表情で二人を促しました。
『さあさ、ご遠慮はいりません。望むまま、思うまま。この楽園をお楽しみください』
柔和な表情、明るい声音の向こうに、冷たく歪な赤い瞳がこちらを見つめています。玄関は閉ざされ、窓を割ることもできない。ヘンゼルは朗らかに言いました。
「どうせ、もともと一割」
「……そうね」
いくぶん呆れたように笑って、グレーテルはうなずきます。軽くぱちんと手を合わせ、二人は扉の奥をにらみつけました。無数の燭台の火が作る影が躍るように形を変えています。二人は並んで奥の部屋の扉をくぐりました。ウサギが満足そうにうなずき、
『二名様、ご案内~~!』
高らかな宣告が部屋に響きました。
ウサギに追い立てられるように席に着いた二人を、猫の給仕が素早く取り囲みます。ウサギは後ろ手に扉を閉め、パチンと指を鳴らしました。どこからか騒がしい管弦楽の音色が響きます。ヘンゼルがわずかに顔をしかめました。
『失礼いたします』
黒猫の給仕が後ろから手を回し、真っ白なエプロンをグレーテルに付けました。三毛猫の給仕がお盆に乗せたオレンジジュースのグラスをコトリと二人の前に置きます。ウサギが二人の真後ろに立ち、柔和な笑みを浮かべました。
『まずはこちらを。当館の主から、歓待の気持ちでございます』
グレーテルはグラスのオレンジジュースを見つめました。燭台の火に照らされ、オレンジジュースの表面がキラキラと光を反射しています。
『さあ、ご遠慮なく』
ウサギの言葉が圧力を伴って二人に浴びせられました。グレーテルは小さく息を吐き、グラスに手を伸ばしました。
「じゃあ、遠慮なく」
グレーテルがグラスを持つ前に、ヘンゼルは無造作にグラスを掴み――掴み損ねてグラスを倒しました。オレンジジュースが机にこぼれ広がっていきます。「きゃっ!」と思わず声を上げ、グレーテルが椅子から腰を浮かせました。
――ガシャン!
グレーテルもまた自分のグラスを手に当ててしまい、グラスは机を転がって床に落ちて派手に砕けました。一瞬の出来事にウサギは目を丸くしています。グレーテルは気まずそうな表情を作り、ウサギに頭を下げました。
「ごめんなさい。こういうの、慣れてなくて」
ウサギはすぐに笑顔に戻り、パタパタと手を振ります。
『ええ、ええ、結構ですとも。すぐに片付けさせましょう。どうぞお気になさらずに』
猫の給仕たちが素早くグラスを片付け、床をテーブルを拭いていきます。ウサギは二人に大仰な仕草でお辞儀をしました。
『なかなかのお手並み、主も御喜びで御座います。お次は主お勧めの特別なケーキをお持ちいたしましょう。どうぞ、ご堪能くださいませ』
パンパン、と手を叩き、ウサギは白猫の給仕を呼びました。白猫の給仕はお盆をうやうやしく掲げて二人の横に立ちます。銀のお盆の上には、見た目にもきらびやかなケーキが乗っていました。白い生クリームに覆われた土台の上には、エメラルドのように輝くマスカット、真珠のようなシロップ漬けの洋梨、ルビーのような苺――宝石箱と見紛う美しさに、グレーテルは息を吐きました。白猫の給仕は二人の前に皿をコトリと置くと、深く一礼して去っていきました。
『どうぞお召し上がりください。主が最高のパティシエに作らせた至高のケーキ、アルカ・ゲンマルムでございます』
ウサギが胸に手を当て、傲慢なまでの笑顔で二人に告げます。グレーテルは一瞬だけヘンゼルに視線を向けました。ヘンゼルは瞬きを返した後、大きく目を開いて感嘆の声を上げます。
「すっごい! こんなケーキ、今まで見たことない!」
ヘンゼルは皿の上のケーキに手を伸ばすと、一切れまるごとをひとくちで口の中に詰め込みました。グレーテルは皿に手を伸ばそうとした姿勢のまま固まり、唖然とした顔でヘンゼルを見つめます。ウサギも驚いたように目を何度も瞬かせました。ヘンゼルは口をもぐもぐとさせながら興奮気味に叫びます。
「うまいっ! グレーテル、お前のも寄越せ!」
ヘンゼルはクリームに塗れた手を伸ばし、固まっているグレーテルから皿を奪うと、やはり手掴みで、まだ自分のケーキが残っている口にグレーテルのケーキを詰め込みました。一瞬遅れてグレーテルが「ちょっと!」と抗議の声を上げます。もう返さないという意思表示か、ヘンゼルは両手で自分の口を塞ぎ――
「むぐっ!?」
突如動きを止めました。その顔が赤く、そしてすぐに青白く変わっていきます。
「大丈夫!? ヘンゼル!」
グレーテルが悲鳴のような声を上げます。ヘンゼルは葛藤するように右に、左に身体を揺らせ、ウサギを振り返って、
「ごはぁっ!!」
盛大に咳き込み、口の中のケーキをウサギに向かってぶちまけました。ウサギの顔がケーキ塗れになり、ウサギは何が起こったか理解できないように呆然としています。
「ご、ごめんなさい……」
口を紙ナプキンで拭いて、ヘンゼルは引きつった顔でウサギにそう言いました。
猫の給仕が差し出した手拭いで顔を拭き、ウサギはわずかに震える声で言いました。
『いやいや、まさか、このような、このような! 長く当館の支配人を務めてまいりましたが、あなた方のような子供は見たことがない!』
ヘンゼルはニッと不敵な笑みを浮かべます。
「育ちが悪いもんで」
ウサギは激しく首を横に振りました。
『とんでもございません! 我が主はずっと退屈していらっしゃいます。我が主の退屈を慰める、あなた方は最高のお客様です!』
ウサギは背筋を伸ばし、底冷えのするような笑みを浮かべて深く一礼します。
『最高のお客様をもてなすためには最高の接客をしなければなりません。どうぞしばしお待ちください。今までに体験したことの無い世界を、お二人にお見せいたしましょう』
顔を上げたウサギの紅い瞳には、ギラギラとした感情が渦巻いています。ウサギがパンと手を叩くと、猫の給仕たちは一斉にバックヤードへと消えていきました。グレーテルは無表情にウサギに話しかけます。
「待てというなら、お手洗いを貸してもらえる?」
「あ、僕も」
同調するようにヘンゼルが声を上げます。ウサギは大きくうなずきました。
『もちろんでございます。ドレスルームはあちらにございますが、ご案内いたしましょうか?』
グレーテルは首を横に振り、椅子から立ち上がりました。椅子の足が音もなく床を滑ります。
「結構よ。勝手に行くわ」
グレーテルはヘンゼルと視線を合わせ、すぐに歩き始めます。ヘンゼルは立ち上がると、グレーテルを追ってドレスルームへと向かいました。二人の背に深くお辞儀をして、ウサギはその顔を醜悪に歪ませました。




