侵入
踏み込んだ家の中は窓から入るはずの夕暮れの光さえなく、開いた玄関扉から差し込む光だけが玄関ホールを浮かび上がらせています。ヘンゼルはやや身を低くして、左右を見渡しながら慎重に進みました。玄関ホールは広く、等身大の騎士の彫刻が左右に三体ずつ、合計六体、向かい合うように配置されています。部屋の四隅には白磁の花瓶が精緻な木彫の台の上に置かれ、楚々とした花が品よく生けられています。正面には別の部屋に繋がる大きな扉があり、扉の左右には二階へと続く階段が緩やかなカーブを描いていました。
「……外観とまるで違うな」
ヘンゼルは頬を伝う汗を手の甲で拭い、口の中で小さくつぶやきます。彫刻の影、階段の裏、扉の向こう――意識を集中して気配を探り、ヘンゼルは顔をしかめました。室内の甘い匂いは外での比ではなく、思考を溶かすほどに濃く漂っています。口から大きく息を吸い、息を止めて再び気配を探り、ヘンゼルは手で合図を送りました。グレーテルが猫のような足取りで音もなく中に入り、ヘンゼルに並びました。
「……この匂いは厄介だな。集中を邪魔する」
ヘンゼルはそう言うと、腹が空いてるからね、と笑います。グレーテルは短く「ポケット」と答えました。ヘンゼルはポケットから野苺を一つ取り出し、口に入れました。
「すっぱい」
うなずき、グレーテルは室内を見渡すと、かすかに顔をしかめました。
「視覚はあてにならないかもね」
「どっちが本物なんだろうな?」
外から見たお菓子の家は二階もなく、今目の前にあるような大きな玄関ホールを持つほどの広さもありませんでした。外観が嘘なのか、目の前にある光景が幻か、それとも――
「――どちらも、本物か」
グレーテルの額にじっとりと汗が滲みます。どちらも本物だとしたら、それは『小さな平屋』の内部に『貴人の館』の空間を構築した――まさに人知を超えた『魔法』の業、ということになります。
「魔女に定石は通じない、か。甘かったかもね」
苦々しく頬を歪ませるグレーテルの背を、ヘンゼルはぽんと叩きました。
「逃げる、はないだろ?」
グレーテルは息を整えると、表情を消して小さくうなずきます。
「……行きましょう」
ヘンゼルは表情を引き締め、グレーテルを背に庇いながら、まずは威圧するように並ぶ騎士の像に向かって一歩近づきました。
重厚な全身鎧に身を包んだ騎士の像は、儀礼用の華やかな装飾が施されたハルバードを右手に持って直立しています。儀礼用とはいえ、その穂先で突かれてしまえば、ヘンゼルの身体を貫く程度の威力は充分にあるでしょう。ヘンゼルはグレーテルを留め置き、慎重に騎士像に近付きます。一歩進んでは止まり、また一歩近付いては止まる。ヘンゼルの目は騎士像を凝視し、呼吸は浅く、早くなっていました。ヘンゼルがまた一歩踏み出し、手を伸ばせば騎士像に触れる――その距離まで近づいたとき――
――バタンッ
大きな音を立てて玄関扉がひとりでに閉まりました。グレーテルが鋭く息を飲んで玄関を振り向き、痛みにしかめるように顔を歪ませます。外光が完全に遮断され、玄関ホールが完全な闇に閉ざされました。視界が奪われ、ヘンゼルの動きが止まります。ガチャリと金属の擦れる音が聞こえ、騎士像が向きを変えてヘンゼルを正面に捉えます。面頬の奥に昏く紅い二つの光が灯りました。ヘンゼルは呆然と騎士像の紅い瞳を見つめました。
ギギギ、と軋んだ音を立てて、鈍重な動きで騎士像がハルバードを持ち上げます。ハッと我に返り、ヘンゼルは叫びました。
「下がれ、グレーテル!」
グレーテルは弾かれたように玄関に向かい、手で玄関に触れます。残り五体の騎士像が、やはり鈍重な動きでヘンゼルのいる方向に身体を向けます。ヘンゼルは一歩分だけ後ろに下がり、騎士像の注意を引くように腕を大きく振りました。
「騎士サマのお相手とは光栄だね」
騎士像はグレーテルの姿を追わず、十二の紅い光がヘンゼルを注視しています。グレーテルは玄関から壁伝いに部屋の端まで駆けると、白磁の花瓶を手に取りました。最初に動き始めた騎士像はハルバードを持ち上げた姿のまま、何かを待つように動きを止めています。騎士像は陽動? 手のひらに滲む汗を握り込み、ヘンゼルは周囲の気配を探りました。残りの五体もゆっくりとハルバードを持ち上げます。
――ガシャンッ!
グレーテルが窓に叩きつけた白磁の花瓶が派手な音を立てて砕けます。窓には傷一つ付いていませんでした。グレーテルは目を見開き、唇を噛みます。ヘンゼルが口の端を上げました。すべての騎士像がハルバードを掲げ――
――タンッ
騎士像は一斉に、ハルバードの石突で強く床を叩きました。




