お菓子の家
日差しの射さぬ森の空気は澱み、行く手を阻むように無秩序に木が生えています。濡れて腐った落ち葉が積もり、ヘンゼルとグレーテルは何度も足を取られそうになりながら、互いに手を繋いで歩き続けました。暗い森の似たような風景は方向感覚を狂わせ、二人はどこに向かっているのか、本当に前に進んでいるのか、分からなくなる不安と戦わねばなりませんでした。やがて日が落ち、二人は大きな木に登り、遠くで狼の遠吠えが聞こえる中、太い枝の上で身を寄せ合って眠りました。
二日目の朝も、状況はそれほど変わりません。摘んだ野苺を食べ、川を探して水を飲み、顔を洗って、二人はきっとどこかにあるはずの魔女の家を探しました。この森には魔女が住む――二人が知っているのは、そんな頼りない噂だけ。それでも、二人は諦めることも自暴自棄になることもなく、互いの手を強く握って、運命をにらみつけるように前を見据えました。
三日目。集めていた野苺はほとんどなくなり、二人は残りをポケットに入れてかごを捨て、重い足取りで歩いていました。グレーテルは足を半ば引きずり、疲労は限界を超えつつあるようです。背負おうと言うヘンゼルを無言でにらみつけ、グレーテルは表情を殺して歩きます。困ったように頭を掻き、ヘンゼルはグレーテルを追いました。
「待って」
前を歩いていたグレーテルが不意に足を止め、声を潜めて軽く右手を上げました。日暮れが近いのか、周囲は湿気を帯びてひんやりとした空気が満ちています。ヘンゼルは足音を立てぬよう気を付けながらグレーテルに近付き、顔を寄せました。
「どうした?」
「――甘い、匂いがする」
やや身を屈め、周囲の気配を探りながら、グレーテルは答えます。ヘンゼルは鼻をひくつかせ、
「チョコレートだな」
と言って唾を飲みました。グレーテルは口の端を上げ、慎重に歩みを進めます。甘い匂いはどんどんと強くなり、しばらく進み続けて、藪を抜けると、そこには――
「――当たり、ね」
開けた視界の中、夕暮れの赤い日に照らされ、一軒の家が佇んでいました。
「子供を誘うにはお菓子の家、なんて、発想は安直だけれど」
壁はチョコレートのレンガ、窓枠はバームクーヘン、窓ガラスは飴細工。玄関はクッキーで屋根はウエハースでできたお菓子の家。そんな家がただの人間の住み処であるはずはありません。ここは間違いなく魔女の家。子供を誘い込み、捕らえて喰らうための甘い罠である以外にないのです。
「うまそう」
「惑わされないで。偽物よ」
よだれを流しかけたヘンゼルにグレーテルは冷水のような真実を浴びせました。ヘンゼルは目を見開いてグレーテルを見つめます。
「偽物!?」
「本物だったらアリがたかってるわ」
実も蓋もなく切り捨て、グレーテルは自身のポケットを探ると、衝撃にポカンと口を開けているヘンゼルの口に野苺を一粒放り込みました。目を白黒させながらヘンゼルは野苺を食べ、飲み込んで言いました。
「……すっぱい」
「そう。よかった」
顔を中央に寄せるようにしかめるヘンゼルに小さく笑って、グレーテルは自分も一粒、野苺を口にします。
「お菓子の家は魔女が作った幻。中に入ればもっと強い幻覚を見ることになるでしょう。違和感を覚えたらポケットの野苺を食べて。もし味がしなければ――」
グレーテルは厳しい表情でヘンゼルを見据えます。
「――魔女の魔法に、囚われている」
表情を改め、ヘンゼルはうなずきを返しました。びょう、と風が吹き、木々を乱暴にかき乱します。ガサガサと葉擦れの音がして、枝から葉が千切れて飛んでいきました。意を決したように息を吐き、二人はお菓子の家の玄関の前に進み出ます。声を掛けようとグレーテルが口を開きかけたとき、
――キィ
軋んだ音を立ててクッキーの玄関が開きました。家の中に灯りは見えず、室内がどうなっているかを見通すことはできません。一瞬息を飲み、すぐに表情を消して、グレーテルはヘンゼルに目配せをします。額に薄く汗を滲ませ、唇を舐めて、ヘンゼルはゆっくりとお菓子の家の中に足を踏み入れました。




