武闘派
――ドンドンドン!
激しく扉を叩く音が聞こえ、グレーテルは目を覚ましました。木張りの床に転がって寝た身体は爽快とは程遠く、節々が痛みます。ヘンゼルはすでに起きており、ほぐすように身体を動かしていました。
『いつまでも寝てんじゃないよガキども! とっとと出てきな!』
大きく息を吸い、ふっと強く短く吐いて、グレーテルはぼんやりしていた意識を覚醒させます。ヘンゼルがグレーテルに顔を向けました。グレーテルはヘンゼルを見つめ返した後、扉に視線を向けます。ヘンゼルは滑るように扉に近付き、ドアノブを回して内側に開きました。
――ブン!
ヘンゼルの鼻先を掠め、大きな長柄の木槌が振り下ろされました。ヘンゼルは素早く後ろに下がり、左腕を横に伸ばしてグレーテルを庇います。扉の前にはヘンゼルの腰の高さくらいの大きさのリスが木槌を振り下ろした姿勢で立っています。木槌は床に届かないギリギリの位置でピタリと止まっていました。リスはヘンゼルをにらみつけて言いました。
『急に開けるんじゃないよ! ビックリするだろ!』
ヘンゼルはあきれ顔で答えます。
「とっとと出てこいって言ったじゃん」
『確かに!』
リスは納得したようにうなずくと、木槌を肩に抱えなおしました。
『確かに言った! ごめん!』
リスの妙に潔い態度に、ヘンゼルとグレーテルは顔を見合わせます。解消されない戸惑いと共に、グレーテルはリスに尋ねました。
「誰?」
リスはじゃっかん胸を張って答えます。
『あたしゃ魔女様のお世話をさせてもらってる人形だよ! 可愛らしいリスの格好しちゃいるが、武闘派だ!』
やや気圧された様子で、グレーテルは「そう」とだけ返しました。ヘンゼルは「自分で『可愛らしい』って言っちゃうんだ」と口の中でつぶやきます。リスはふんっと鼻から荒く息を吐きました。
『そんなこたぁどうでもいいんだよ! 魔女様がお呼びだ。行くよ!』
返事を待たず、リスは二人に背を向けて歩き始めます。目を瞬かせてリスの背を見つめ、肩をすくめて、二人はリスを追って部屋を出ました。
やけに長い廊下を進み、リスは一つの部屋の扉の前で止まります。昨日見た幻の館とは違う、ひどく飾り気のない木造の家――しかし、やはり外観に比べて広すぎ、構造も一致してはいません。逃げられぬよう惑わしているのか、空間が歪められているのか、家の構造そのものが変化するのか――グレーテルはそっと廊下の壁に触れます。指先に硬い木板の感触がしました。
『連れて来たよ、魔女様!』
木槌でなく手で扉を叩き、リスが大声で呼び掛けます。一瞬の間を置き、
「入りな」
と声が返りました。リスがやや乱暴に扉を開けます。部屋からツンとした薬品の匂いが漂ってきました。リスはヘンゼルとグレーテルの後ろに回り、急かすように背を押します。「押さないでよ」と口を尖らせ、ヘンゼルが部屋に入りました。少し遅れてグレーテルも続きます。
部屋の中は無造作に積まれた紙の束があちこちで山を作り、乾燥した植物が束ねられて置かれ、乳鉢には砕かれた鉱石が粉となり、フラスコがガラス管で試験管と繋がる雑然とした光景が広がっていました。部屋の正面奥には書机があり、魔女が紙に筆を走らせています。魔女は何かを書き終えて顔を上げ、リスに言いました。
「ご苦労だったね」
『なんの。お安い御用さ』
リスは左の腕で力こぶを作ります。魔女はかすかに微笑みます。グレーテルは意外そうに目を見張りました。
「さて、今日からお前たちには順調に太ってもらわなきゃならないんだが」
微笑みを消し、魔女は二人を冷たく見据えます。
「生憎、無駄飯喰らいを遊ばせておく余裕はなくてね。さっそくだが働いてもらうよ」
魔女は右手で持ったままの筆の先で空中に何かを描きます。筆先が光を帯び、光跡が文様を形作りました。完成した文様が強く輝いた瞬間、ヘンゼルの前に短弓と矢筒が現れました。ヘンゼルは慌ててそれらを掴みます。矢筒に入った矢がガサッと音を立てました。
「お前にはそいつで森から食材を調達してもらう。獲れなきゃ食事は無しだ」
ヘンゼルは矢筒を腰に括りつけ、弓の弦を引っ張ります。グレーテルは不満げな顔を魔女に向けました。
「ストレスのない肥育環境を整えてくれると思ってたけど」
魔女は馬鹿にしたように鼻を鳴らしました。
「三食昼寝付きとでも? 適度な運動と規則正しい生活も品質の向上には必要さ」
グレーテルは「なるほど」とすました顔でうなずきます。ヘンゼルは弓を構え、矢を持たずに弦を引くと、パッと指を離しました。弦が震え、ヴンという音が響きます。魔女はグレーテルを冷ややかに見つめました。
「お前は私の手伝いだ。薬草園の世話から加工、薬効の分析まで、一通りできるようになりな。小賢しいお前の頭脳を有効活用してやる」
「なんなりと、おばあ様」
胸に手を当て、グレーテルは微笑みます。魔女は不快そうに鼻にシワを寄せました。弓を手でくるくると回しながらヘンゼルが尋ねます。
「この家を出てもいいの?」
魔女は酷薄な笑みを浮かべてヘンゼルに答えました。
「構わないよ。もしお前が帰ってこなくても、今日の食材はここにあるからね」
そうだろう? と魔女はグレーテルに笑い掛けます。「まあ怖い」とグレーテルは口に手を当てました。ヘンゼルは乾いた笑みを浮かべ――流れるような動きで矢筒から矢を抜き、弓につがえて魔女に放ちました。
――タン!
矢は魔女の首の真横の空間を切り裂いて壁に突き刺さります。リスがヘンゼルに体当たりして引き倒し、腕をねじり上げて床に押さえ付けました。魔女が驚いたように目を丸くします。ヘンゼルは平然と言いました。
「いい弓だね。狙い通りに矢が飛ぶ」
『ふざけんじゃないよクソガキ! その口利けないようにしてやろうか!』
怒りを叫ぶリスを手で制し、魔女は面白がるようにヘンゼルを見下ろします。
「殺気ゼロで他人に矢を射かけるなんざ、お前も妹に劣らずイカれてるようだね。だが、私を殺りたいならもう少し工夫しな」
「とんでもない。弓の調子を確かめただけさ」
ヘンゼルの軽口にリスは顔を引きつらせ、ねじり上げる手に力を込めました。ヘンゼルは「「いたいいたい」と騒ぎます。魔女はリスに離すように言い、リスは明らかに不満を宿した顔でしぶしぶと手を離しました。「ひどい目に遭った」とつぶやきながらヘンゼルは立ち上がり、朗らかな笑顔を魔女に向けました。
「よく切れるナイフをくれない? 狩った獲物はすぐに血抜きをしないとマズくて食えないんだ」
リスが拳を強く握り、顔を紅潮させます。魔女はカラカラと笑い、虚空に文様を描きます。鞘に入った短剣が現れ、ヘンゼルの手に収まりました。ヘンゼルは鞘から短剣を抜き、刃を見つめます。
「文句はないね?」
魔女がやや声を低くしてヘンゼルに問いました。ヘンゼルはうなずき、笑顔を魔女に向けました。
「うん。ありがとう」
魔女は調子抜けしたように一瞬言葉に詰まり、鼻を鳴らして言いました。
「だったら行きな。時間を無駄にするんじゃないよ」
はぁい、と気の抜けた返事をして、ヘンゼルは踵を返して部屋を出ていきます。魔女はリスに目配せし、リスはヘンゼルを追いかけていきました。魔女と二人きりになり、グレーテルは魔女に尋ねます。
「何をするのか、教えてくださる?」
魔女は思案げに部屋を見渡し、一つのガラス瓶に目を留めると、にやりと笑みを浮かべました。
「『緑礬の油』。お前は知っているはずだね?」




