邂逅
小さくうめき声を上げ、グレーテルはゆっくりと目を開きました。ぼやけた視界の中に古びた椅子と机が見えます。両手を床に突き、グレーテルは半身を起こします。軽く頭を振るグレーテルの耳に、聞き覚えの無い声が聞こえました。
「ようやくお目覚めかい? お嬢ちゃん」
侮るような声に、グレーテルは顔を上げます。椅子のひじ掛けに頬杖をついて、四十ほどの年齢の、美しいと言っていい容貌の、ひどく冷たい瞳の女がグレーテルを見下ろしていました。グレーテルはじっと女を見つめて口を開きます。
「……あなたが、本物の魔女?」
「さて、どうだろうね――と言いたいところだが、ま、いいさ。そうだ。私がこの家の主、『魔女』だ」
グレーテルは周囲に目を走らせました。木造の小さな家――どこにでもあるような平屋。玄関を入ってすぐの部屋の入り口の床に、グレーテルは座っています。隣にはヘンゼルがうつぶせに倒れていました。息がある――そのことに小さく息を吐き、グレーテルは魔女に視線を戻しました。
「種明かしをお願いできる?」
魔女は呆れたように鼻を鳴らし、少し考えて答えます。
「お菓子の家が幻だと気付いていたんだろう? お前はその時点で、目に見える全てを疑うべきだったのさ」
魔女の言葉を吟味するようにグレーテルは目を閉じ、そして、笑いました。
「……つまり私たちは、ずっとここで、勝手にバタバタ踊っていたのね?」
「その通り」
小さく首を振り、グレーテルは肩をすくめます。
「完敗よ。降参、お手上げ。いっそ清々しいわ」
「そうでもないさ」
魔女は冷たい笑みを返しました。
「今まで何人も子供を喰ってきたが、皆、幻の中で幸せのまま死んでいった。『魔女』を返り討ちにした子供はお前たちが初めてだ」
そんなことを褒められてもね、とグレーテルは独り言ちます。魔女は小さく伸びをして、切り替えるように言いました。
「なかなか面白い見世物だった。褒美をやりたいくらいだが――」
魔女は貪欲な光を瞳に点します。
「――腹が減ってきた。そろそろ夕餉にしたいのさ」
グレーテルの額にじっとりと汗が滲みました。魔女の瞳は完全に獲物を捉えた猛禽に似て、一分の隙もありません。魔女は椅子から立ち上がり、グレーテルに手を伸ばします。唾を飲み込み、グレーテルは口を開きました。
「提案がある」
魔女は伸ばしかけた手を止め、眉を寄せます。
「この状況で、提案だって?」
グレーテルは魔女をまっすぐに見つめてうなずきます。
「見て、私の身体。小さくてやせっぽち。このまま鍋に放り込んだって、出汁も取れはしないと思わない?」
ほう? と面白そうに顔を歪め、魔女は手を引っ込めます。
「続けな」
唇を舌で湿らせ、グレーテルは言葉を続けました。
「このまま食べたところで可食部は多くない。でも、こんな森の奥の奥にそうそう子供が迷い込むかしら? 次に子供を食べられるのはいつになる? だったら――」
大きく息を吸い、グレーテルは身を乗り出します。
「――私たちを、太らせてみない?」
魔女は驚いたように目を丸くしました。
「今、急いて食べれば筋張った固い肉。でも、丁寧に、優しく、栄養バランスも考えて、半年も育てたら? 赤身と脂身のバランスが整った理想の肉が出来上がる」
グレーテルは陶然とした表情で視線を上に向けました。
「想像してみて。口に入れたときの脂の甘さ。かみ切るときの歯に感じる弾力。きっと至福の時間になるでしょう。今、食欲に任せていたら手に入らない幸福がある。そうは思わない?」
口の中はカラカラに乾き、飲み込む唾も出てはきません。グレーテルの背に冷たい汗が伝います。魔女はじっとグレーテルを見つめ――愉しそうに吹き出しました。
「喰われる自分の肉の味を私に想像させるなんざ、大したイカれっぷりだ。お前みたいな子供は見たことがない!」
魔女は腹を抱え、涙を滲ませて笑い続けます。やがて笑いを収め、魔女はグレーテルのあごに手を掛けて顔を間近に寄せて言いました。
「いいだろう、乗ってやる。お前たち二人、大事に大事に育ててやろうじゃないか! だが、興が冷めたらすぐに喰っちまうよ。生き延びたいと思うなら――」
魔女は口を大きく歪め、グレーテルの目を覗き込みます。
「――あがけよ、人間!」
魔女の瞳が赤く妖しい光を帯び、グレーテルを射抜きました。




