第5話 薬草を五本
町を出てから、セインは順調に東へ進んでいた。
天気はいい。
道も平坦。
魔物も出ない。
何より今日は、まだ誰にも呼び止められていない。
「よし」
セインは歩きながら頷いた。
「今日は進む」
王国の勇者との差は二日。
昨日は果物泥棒を捕まえていたせいで、結局その差を縮めることができなかった。
今日こそ追いつく。
寄り道はしない。
誰かに話しかけられても止まらない。
「すみません」
「はい」
止まった。
「ちょっとお願いがあるんだけどねぇ」
声をかけてきたのは、街道沿いの小さな家の前にいた老婆だった。
家の軒先には、乾燥させた植物がいくつも吊るされている。
「なんです?」
「森から薬草を五本採ってきてもらえないかねぇ」
「薬草?」
「そう。五本あれば十分なんだよ」
セインは東を見る。
道は続いている。
このまま進めば、王国の勇者を追える。
次に老婆を見る。
「急ぎですか?」
「薬を作るのに使いたくてねぇ」
「…………」
薬。
つまり、必要としている人がいる。
「どこにあります?」
「そこの森だよ。そう遠くない」
「五本ですよね?」
「五本」
「分かりました」
「助かるよ」
セインは森へ向かった。
寄り道をしないという決意は、町を出てから一時間も保たなかった。
◇
「…………」
森に入ったセインは、地面を見ていた。
草。
隣にも草。
その隣にも草。
当然ながら、森には草が多い。
「…………どれだ?」
セインはしゃがんだ。
一本を見る。
緑色。
隣を見る。
緑色。
さらに隣。
やはり緑色。
「全部同じじゃないか?」
もちろん違う。
セインが知らないだけだった。
「特徴なんて言ってたっけ……」
思い出す。
細長い葉。
縁に小さなギザギザ。
茎の根元が少し赤い。
「細長くて……ギザギザで……赤い」
探す。
「あった」
一本抜く。
「…………」
根元を見る。
赤くない。
「違う」
戻そうとする。
「…………」
一度抜いた草は戻らなかった。
「ごめん」
誰に謝っているのかは分からない。
セインはさらに探した。
しばらくして。
「あった!」
今度こそ特徴が一致している。
細長い葉。
縁のギザギザ。
根元は赤い。
「これだ」
一本。
「あと四本」
ようやく依頼が始まった。
◇
二本目は意外とすぐに見つかった。
三本目も見つかった。
「なんだ。分かれば簡単だな」
セインが三本目を袋へ入れる。
そのときだった。
「お、あった!」
「ん?」
少し離れた場所から声がした。
一人の若い男がしゃがみ込んでいる。
旅装の男だった。
男は地面から何かを抜く。
細長い葉。
ギザギザ。
赤い根元。
「…………」
セインは男の手元を見る。
男もセインを見る。
「何だ?」
「それ」
「これ?」
「薬草ですよね?」
「ああ」
「…………」
セインは自分の袋を見る。
三本。
男の腰にも袋がある。
「もしかして、薬草を集めてるんですか?」
「そうだけど」
「何本?」
「五本」
「…………」
嫌な予感がした。
「誰に頼まれました?」
「街道沿いの薬師の婆さん」
「…………」
「お前は?」
「薬草を五本」
「…………」
二人は黙った。
「同じ依頼?」
「みたいですね」
「婆さん、二人に頼んだのか?」
「五本あれば十分って言ってました」
「俺にも言った」
「…………」
男が自分の袋を見る。
「俺、四本」
セインは自分の袋を見る。
「三本」
「…………」
「…………」
空気が変わった。
「じゃ」
男が歩き出した。
「あ」
「悪いな。あと一本だから」
「待ってください」
「なんだよ」
「俺も急いでるんです」
「知らんよ」
「俺、勇者を追ってるので」
「もっと知らんよ」
男は森の奥へ消えていった。
「…………」
セインも歩き出す。
少し速く。
「あと二本」
どうやら、のんびり探している場合ではない。
五本集める。
先に戻る。
それで勝ちだ。
誰も勝負をしろとは言っていない。
◇
「あった!」
四本目。
セインが手を伸ばす。
その直前。
「おお、ここにもあったか」
「え?」
横から別の手が伸びてきた。
セインが止まる。
相手も止まる。
今度は大柄な中年の男だった。
二人の手の間に、一本の薬草。
「…………」
「…………」
「これ、俺が先に見つけました」
「俺も見つけたぞ」
「俺が先です」
「手を伸ばしたのは同時だろ」
「…………」
「…………」
中年の男が眉をひそめた。
「お前も婆さんに頼まれたのか?」
「薬草五本?」
「そうだ」
「…………」
セインは目を閉じた。
三人目。
「あの人、何人に頼んでるんだ……」
「俺が知るか」
二人は薬草を見る。
「…………」
「…………」
「半分にするか?」
「一本じゃなくなりますよ」
「そうだな」
結局、じゃんけんで決めた。
セインが負けた。
「くそ……」
「悪いな」
中年の男が薬草を持っていく。
勇者は、薬草一本を巡る勝負にも負ける。
◇
「四本……」
しばらくして、セインはようやく四本目を手に入れた。
「あと一本」
時間がかかりすぎている。
王国の勇者は、今頃も東へ進んでいる。
「急がないと」
辺りを探す。
そして。
「あった!」
五本目。
セインが駆け寄る。
しゃがむ。
「これで――」
手が止まった。
「…………」
葉に穴が空いている。
虫に食われた跡だった。
「…………」
セインは薬草を見る。
袋を見る。
もう一度、薬草を見る。
「まあ……薬草だよな」
五本は五本。
老婆は「状態のいい薬草を五本」とは言っていない。
これを採れば終わる。
すぐ戻れる。
王国の勇者を追える。
セインが茎へ手を伸ばす。
「…………」
止まった。
「薬にするんだよな」
薬に使うと言っていた。
なら、虫に食われていない方がいい気がする。
「…………」
周囲を見る。
他にはない。
「いや、でも五本って言ってたし」
もう一度手を伸ばす。
止まる。
「…………」
セインは立ち上がった。
「もう少し探すか」
また時間を失った。
◇
それから十分。
「…………ない」
二十分。
「ない」
三十分。
「なんでさっきの採らなかったんだ……」
少し後悔し始めた。
そのとき。
「あった!」
木の根元。
薬草が一本生えている。
セインが近づく。
「…………」
小さい。
まだ育ち切っていないように見える。
「これも薬草だよな……」
採れば五本。
だが、先ほど見つけたものより明らかに小さい。
「…………」
セインは採らなかった。
「なんで俺、薬草選んでるんだ?」
五本集めればいいだけだったはずだ。
さらに探す。
今度は葉の先が黄色くなったもの。
「違う」
次。
茎が折れかけている。
「違う」
次。
虫食い。
「違う」
完全に選び始めていた。
最初は薬草と雑草の区別すらつかなかった男である。
◇
「……これだ」
ようやく見つけた。
葉に傷はない。
十分に育っている。
色もいい。
根元までしっかりしている。
セインは慎重に採った。
「五本」
袋の中を見る。
揃った。
「よし!」
すぐに森を出る。
今度こそ東へ。
その前に、老婆へ渡さなければならない。
「結構時間かかったな……」
少し走る。
街道へ出る。
老婆の家が見えた。
その前に――人がいる。
「…………」
さっきの若い男だった。
「ありがとうございました」
「助かったよ」
老婆が何かを渡している。
男はそれを受け取った。
「あ」
セインと目が合う。
「遅かったな」
「…………」
「じゃあな」
男が去っていく。
セインは老婆を見る。
「…………」
「おや」
「もう集まったんですか?」
「ああ。五本持ってきてくれたよ」
「…………」
セインは自分の袋を見る。
五本。
「俺の三時間……」
「何か言ったかい?」
「いえ」
そこへ。
「持ってきたぞ」
後ろから声がした。
振り返る。
じゃんけんで負けた中年の男だった。
「薬草五本」
「おや、ありがとうねぇ」
老婆は普通に受け取った。
そして普通に報酬を渡した。
「助かったよ」
「また何かあったら言ってくれ」
中年の男も帰っていく。
セインはその背中を見る。
老婆を見る。
「…………」
「どうしたんだい?」
「今の人にも払いました?」
「ああ」
「最初の人にも?」
「ああ」
「…………」
セインは少し考えた。
「早い者勝ちじゃないんですか?」
「なんでだい?」
「…………」
確かに。
「五本あれば十分って」
「薬を一回作るならねぇ。薬草なんていくらあっても困らないよ」
「…………」
誰も早い者勝ちだとは言っていなかった。
「それで、あんたは?」
「あります」
「じゃあ見せてごらん」
セインは袋を渡した。
老婆が中を見る。
「…………おや」
「?」
一本取り出す。
葉を見る。
裏返す。
茎を見る。
次の一本。
同じように確かめる。
セインはその様子を黙って見ていた。
「ずいぶん綺麗なのを採ってきたねぇ」
「薬に使うって言ってたので」
「虫食いもない」
「避けました」
「小さすぎるものもないね」
「それも避けました」
「傷んでるものもない」
「避けました」
老婆は最後の一本まで確認した。
それから五本をまとめる。
そして――先ほど二人が持ってきた薬草とは、別の籠へ入れた。
「?」
「これはこっちだね」
「何か違うんですか?」
「薬草にも良し悪しがあるからねぇ。これなら、少し手間のかかる薬にも使える」
「…………」
そんな話は聞いていない。
「じゃあ、これは少し多めに払おうかね」
「え?」
老婆が硬貨を取り出す。
セインの手のひらへ乗せる。
先ほど二人が受け取っていたものより、多い。
「…………」
セインは硬貨を見る。
次に、自分の薬草が入った籠を見る。
依頼されたのは、薬草を五本。
種類を間違えずに五本持って帰れば、それで十分だった。
実際、先に戻った二人はそれで報酬を受け取っている。
ただ。
五本なら、何でも同じだったわけではないらしい。
「先に教えてくれればよかったのに」
「何をだい?」
「綺麗なやつの方が高いって」
「聞かれなかったからねぇ」
「…………」
セインは老婆を見る。
「普通のを五本でもよかったんですよね?」
「ああ」
「状態がいいのを五本なら?」
「今みたいに、少し高く買うよ」
「…………」
つまり。
早く五本集めてもいい。
時間をかけて良いものを選んでもいい。
どちらでも、頼まれたことは達成している。
ただし。
その先までやれば、返ってくるものも少し変わる。
「そういうの、最初に言ってくれません?」
「だから、聞かれなかったからねぇ」
「…………」
セインは硬貨を握った。
何となく納得がいかない。
だが、報酬は増えている。
「じゃあ、俺が一番?」
「何が?」
「…………」
勝負ではなかった。
◇
「ありがとうございました」
「ああ、助かったよ」
セインは東へ向かって歩き出した。
思った以上に時間を使ってしまった。
「急がないと」
王国の勇者との差は二日。
今日こそ縮めるつもりだった。
セインは少し歩く。
そのとき。
「あの、すみません」
「?」
聞き覚えのある声に、セインは振り返った。
老婆が、ちょうど街道を通りかかった別の旅人に声をかけている。
「はい?」
「森から薬草を五本採ってきてもらえないかねぇ」
「薬草を?」
「そう。五本あれば十分なんだよ」
「すぐそこですか?」
「そこの森だよ。そう遠くない」
「分かりました」
「助かるよ」
「…………」
セインは待った。
老婆はそれ以上、何も言わなかった。
「…………」
旅人が森へ向かう。
「やっぱり言わないんだ……」
セインは少しだけ、これから森へ入る男のことが心配になった。
もっとも。
虫食いの薬草を五本持ち帰ったところで、依頼には何の問題もない。
報酬だって、ちゃんともらえる。
セインがしたことは、頼まれたことよりほんの少しだけ余計だった。
そして、その余計な部分について、老婆は最初から何も頼んでいない。
頼まれたことを終わらせるのと、相手がより喜ぶ形で終わらせるのは、どうやら少し違うらしい。
「…………まあ、得したからいいか」
セインは再び東へ向かった。
今日の成果。
新しいスキル――なし。
倒した魔物――なし。
集めた薬草――五本。
報酬――少し多め。
そして。
王国の勇者との差――たぶん、まだ二日。
薬草を選んでいる間にも、王国の勇者は順調に魔王へ近づいている。
「…………」
セインは歩く速度を上げた。
「明日は絶対に寄り道しない」
今のところ、その言葉に実績はなかった。
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