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第4話 果物泥棒

「知らないで追ってたのかよ」


 露店の男に呆れられながら、セインは王国の勇者が向かった方角を教えてもらった。


 東。


 次の町へ向かったらしい。


「よし」


 これで進むべき方向は分かった。


 王国の勇者との差は二日。


 村を出た時点では三日だった。


 一日縮まっている。


「このまま行けば追いつけるな」


 単純な計算だった。


 相手も進んでいるという点を除けば。


 とはいえ、今すぐ町を出るわけにもいかない。


 空を見る。


 すでに日が傾いている。


「今日はここに泊まるか」


 セインは辺りを見回した。


 まず宿を探す。


 その前に、腹も減った。


 昼間は魔物との初戦闘で走り回った。


 まともな食事もしていない。


「飯……」


 勇者にも食事は必要である。


 現在のセインにとっては、魔王より空腹の方が近い問題だった。


 通りを歩いていると、果物を並べた店が見えた。


 赤いもの。


 黄色いもの。


 丸いもの。


 見たことのないものもある。


「うまそうだな……」


 足が止まる。


「兄ちゃん、買ってくか?」


 店主らしい中年の男が声をかけてきた。


「いくらです?」


「そっちなら二つで――」


 店主が言いかける。


 そのときだった。


「また減ってる!」


 店の奥から声がした。


「またか!?」


 店主が振り返る。


 奥から若い男が出てきた。


「今数えたけど、やっぱり足りない。昨日よりまた減ってる」


「ちゃんと数えたのか?」


「三回数えたよ!」


「昨日も三回数えて間違えてただろ」


「あれは途中で話しかけるからだろ!」


「…………」


 セインは果物を見ながら、二人の会話を聞いていた。


 買うかどうか迷っていた。


「でも今回は絶対だって。箱ごと一つなくなってる」


「箱ごと?」


「ああ」


 店主の顔が変わった。


「また盗まれたか……」


 セインの視線が果物から店主へ移った。


「盗まれた?」


「ああ?」


「果物、盗まれてるんですか?」


「たぶんな」


「犯人は?」


「それが分からん」


「困ってるんですか?」


「そりゃ困るだろ」


「…………」


 セインは黙った。


 東を見る。


 王国の勇者が向かった方向である。


 次に果物屋を見る。


 もう一度、東を見る。


『それなら、困っている人を放っておいちゃ駄目よ』


 昔、祖母に言われた言葉が頭に浮かんだ。


「…………」


「兄ちゃん?」


 セインは果物屋へ向き直った。


「俺が捕まえます」


「何を?」


「犯人です」


「なんで?」


「勇者なので」


「…………」


 店主は黙った。


 若い男も黙った。


「勇者?」


「はい」


「王国の勇者様なら二日前に町を出たぞ?」


「それは別の人です」


「勇者って二人いるのか?」


「いません」


 今日二度目の説明だった。


     ◇


 話を聞くと、果物が減り始めたのは五日ほど前からだった。


 最初は数個。


 店主も数え間違いだと思っていた。


 だが翌日も減った。


 さらにその翌日も。


 そして今朝は、果物を入れていた小箱まで一つ消えていた。


「倉庫は?」


「こっちだ」


 店の裏手に、小さな倉庫があった。


 店主が鍵を開ける。


 セインは中へ入った。


 果物の入った木箱がいくつも積まれている。


「鍵は毎晩?」


「閉めてる」


「窓は?」


「そっちに一つあるが、夜は閉めてる」


 セインが確認する。


 壊された様子はない。


 扉にも異常はない。


「他に入口は?」


「ない」


「…………」


 セインは倉庫の中央に立った。


 扉。


 窓。


 壁。


 天井。


 床。


「本当に盗まれてます?」


「お前が疑う側に回るなよ」


「一応です」


 勇者は慎重だった。


 昨日まで魔物と戦ったことすらなかったが。


「夜になると減るんですよね?」


「ああ」


「じゃあ簡単です」


「簡単?」


「見張ればいい」


 店主と若い男が顔を見合わせた。


「俺たちも最初はそう思ったんだよ」


「見張ったんですか?」


「一昨日な。交代で店の前にいた」


「犯人は?」


「来なかった」


「果物は?」


「減った」


「…………」


 セインは倉庫を見る。


 少し面白くなってきた。


「なるほど」


「分かるのか?」


「分かりません」


「なるほどって言っただろ」


「状況は分かりました」


 解決方法は何も分かっていなかった。


「今日、俺が見張ります」


「いいのか?」


「はい」


 セインは頷いた。


「その代わり」


「代わり?」


「腹減ってるんですけど」


「…………」


 勇者にも食事は必要である。


     ◇


 夜。


 倉庫の中。


 セインは木箱に座っていた。


「…………」


 暗い。


 静かだ。


「…………」


 暇だった。


 果物泥棒の見張りというものは、想像以上に何も起きなかった。


「眠いな……」


 セインは欠伸をする。


 いけない。


 寝たら見張りにならない。


 立ち上がる。


 倉庫の中を歩く。


 扉を見る。


 異常なし。


 窓を見る。


 異常なし。


 果物を見る。


 異常なし。


「…………」


 一周した。


 何もなかった。


 セインは再び木箱に座った。


「これ、朝までやるのか……」


 魔物と戦っている方が、まだ時間は早く感じた。


「……ん?」


 そこでセインは右手を見た。


 今日、使えるようになったばかりの《粘糸》。


「使えるか?」


 右手を扉へ向ける。


 魔素を流す。


 白い糸が伸びた。


 扉の端に張り付ける。


 反対側を近くの木箱へ。


「…………」


 セインは少し考えた。


「開けたら引っ張られるな」


 扉に一本。


 窓にも一本。


「これなら入ってきたら分かる」


 我ながらいい考えだった。


 セインは木箱へ戻った。


「…………」


 これなら少しくらい寝ても。


「いや、駄目だろ」


 まだそこまで自分を信用してはいけない。


     ◇


 どれくらい経ったのか。


「…………」


 セインの頭が落ちる。


 上がる。


 また落ちる。


「…………起きてる」


 誰も聞いていない。


 そのとき。


 カサ。


「!」


 セインが顔を上げる。


 辺りを見る。


「…………」


 何もいない。


 扉を見る。


 糸は張ったまま。


 窓も同じ。


「気のせい?」


 立ち上がる。


 果物を見る。


「…………」


 何か違う。


 セインは近づいた。


 箱の中を見る。


「……減ってないよな?」


 最初の数を覚えていなかった。


「しまった」


 見張ることしか考えていなかった。


 これでは減ったかどうか分からない。


 セインは箱の果物を数えた。


「十二」


 隣。


「十五」


 さらに隣。


「九」


 覚える。


「十二、十五、九」


 しばらく待つ。


 また。


 カサ。


「!」


 振り返る。


 いない。


 扉の糸は動いていない。


 窓も同じ。


 セインは果物を数えた。


「十二……十五……」


 最後の箱。


「…………八」


 一つ減っている。


「盗まれた」


 セインは倉庫を見回した。


「俺、ここにいるぞ?」


 返事はない。


 当然である。


「…………」


 少し腹が立った。


 勇者の目の前で盗みを成功させている。


「どこからだ?」


 扉ではない。


 窓でもない。


 セインは床を見る。


 壁を見る。


 箱の裏を見る。


 しゃがむ。


「…………ん?」


 床の隅。


 壁との境目。


 暗くて分かりづらいが、小さな隙間がある。


「穴?」


 セインは顔を近づけた。


 人間は通れない。


 手も入らない。


「……魔物か?」


 そのとき。


 穴の奥で何かが動いた。


「いた!」


 セインが手を伸ばす。


 当然、届かない。


「くそっ」


 穴を覗く。


 暗い。


 何も見えない。


「…………」


 セインは考えた。


 そして右手を見る。


「糸……」


 入口に張るだけでは駄目だった。


 犯人は入口を使っていない。


 なら。


 セインは箱から果物を一つ取った。


 その表面に《粘糸》を付ける。


 反対側を自分の指へ巻いた。


「これなら」


 果物を元へ戻す。


 木箱に座る。


 待つ。


「…………」


 何も起きない。


「…………」


 長い。


 果物泥棒は、勇者の都合では動いてくれなかった。


 セインの頭がまた落ちかけた。


 その瞬間。


 ピン。


「…………」


 指が僅かに引かれた。


 セインの目が開く。


 糸を見る。


 張っている。


「来た」


 ピン。


 もう一度。


 果物が動いた。


 セインは立ち上がらず、そのまま待った。


 ゆっくり。


 ゆっくり。


 果物が箱の端へ動いていく。


「…………」


 落ちた。


 ころころと床を転がる。


 そして壁際へ。


 暗がりから、小さな前脚が伸びた。


「そこだ!」


 セインが立ち上がる。


「キィッ!?」


 小さな影が飛び出した。


 ネズミに似ている。


 だがネズミより一回り大きく、胴が妙に長い。


「お前か!」


 魔物は果物を咥えると、壁際へ走った。


 向かう先は、先ほど見つけた穴。


「逃がすか!」


 セインも追う。


 だが。


「…………?」


 走りながら、セインは穴を見る。


 次に魔物を見る。


 もう一度、穴を見る。


「待て」


 魔物の方が明らかに大きい。


「お前、そこ通れないだろ」


 魔物が穴へ飛び込んだ。


 その瞬間だった。


「――は?」


 身体が、ぐにゃりと潰れた。


 胴体が細くなる。


 頭まで平たくなり、どう考えても通れないはずの隙間へ身体が滑り込んでいく。


「入れるのかよ!」


 半分以上が穴へ消える。


「まずい!」


 セインが右手を向けた。


 《粘糸》。


 白い糸が飛ぶ。


 外れた。


「またか!」


 狙いはまだ下手だった。


 魔物の後ろ脚まで穴へ消えようとする。


「だったら――」


 セインは指に巻いていた糸を引いた。


 魔物が咥えている果物には、まだ《粘糸》が付いている。


 果物が止まった。


「キィ!?」


 魔物も止まった。


「よし!」


 さらに引く。


 果物がこちらへ戻る。


 魔物は離さない。


「なんで離さないんだよ!」


「キィィ!」


「それ盗んだやつだぞ!」


 当然、説得は通じなかった。


 セインが強く引く。


 ずるっ。


 魔物が穴から引きずり出された。


 すると細く潰れていた身体が、元の形へ戻っていく。


「…………」


 セインはその変化を見た。


「今の……」


 魔物が再び逃げようとする。


 今度は先回りして、穴の前に《粘糸》を張る。


 魔物が突っ込む。


「キィッ!」


 絡まった。


「よし!」


 暴れる魔物をさらに糸で巻く。


 しばらく格闘した末、ようやく動きを止めた。


「…………疲れた」


 果物泥棒一匹を捕まえるのに、なぜこんなに疲れるのか。


 セインは息を整えながら魔物を見る。


 魔物も糸に巻かれたまま、セインを睨んでいる。


「さっきの、スキルだよな?」


「キィ」


「身体を細くする……とか?」


「キィ」


「…………」


 会話は成立していない。


 だが、おそらくそうだ。


 本来なら通れない隙間を抜ける。


 身体そのものを変形させるスキル。


 セインは自分の右手を見る。


 《粘糸》と同じなら。


 右手でこの魔物に触れ、左手を自分の胸へ当てれば。


 これも自分の中へ取り込めるかもしれない。


「…………」


 魔物を見る。


 自分が身体を薄くして、壁の隙間へ入り込んでいく姿を想像した。


「…………」


 やめた。


「いらないな」


「キィ?」


「俺、隙間に入る予定ないし」


 魔物には何の話か分からなかった。


 今のところ、セインにも使い道は分からなかった。


 取れるからといって、取る必要はない。


 セインはこの日、初めてスキルを見送った。


     ◇


 翌朝。


「こいつか?」


「こいつです」


 店主が籠の中を覗く。


 昨夜の魔物が不満そうに鳴いた。


「こんなのが入ってたのか……」


「壁の下に穴がありました」


「でも、こいつあの穴を通れるのか?」


「身体を細くできるみたいです」


「そんなことできるのか?」


「目の前でやってました」


「変な魔物だな」


「ですね」


 セインも同意した。


 店主は倉庫へ入り、穴を確認する。


「これなら塞げそうだ」


「そうですね」


「助かったよ」


「いえ」


 セインは少し胸を張った。


「勇者なので」


「まだ言ってるのか」


「まだ?」


 やめる予定はなかった。


 店主は苦笑すると、店の奥から小さな袋を持ってきた。


「ほら」


「なんです?」


「礼だ」


 中を見る。


 果物が入っていた。


 三つ。


 少し形が悪かったり、表面に傷があったりする。


「売り物にはしづらいやつだけどな。味は変わらん」


「もらっていいんですか?」


「そのために持ってきたんだよ」


「ありがとうございます!」


 セインは素直に喜んだ。


 魔王討伐の旅に出て初めて、人から頼まれて何かを解決した。


 その報酬。


 傷物の果物、三つ。


 勇者の報酬としては、かなり慎ましかった。


 だがセインは満足そうだった。


 一つ取り出す。


 かじる。


「うまい」


「だろ?」


 甘い。


 昨夜ずっと果物を見張っていたせいもあって、余計にうまく感じる。


「そうだ」


 セインは思い出した。


「王国の勇者って、今どの辺にいるか分かります?」


「ああ?」


「昨日、東に向かったって聞いたんですけど」


「なら、もう次の町を出てるんじゃないか?」


「…………」


 セインの動きが止まった。


「昨日の時点で二日前だったから……」


 指を折る。


「…………」


 考える。


「縮まってない」


「何が?」


「勇者との差です」


「お前、追いかけてるんだったな」


「はい」


「じゃあ昨日のうちに出ればよかっただろ」


「でも困ってたじゃないですか」


「俺たちが?」


「はい」


「…………」


 店主は少しだけ黙った。


「変な勇者だな、お前」


「?」


 セインには意味が分からなかった。


 果物をもう一口かじる。


「じゃあ行きます」


「もう行くのか?」


「急がないと」


「そうか」


 セインは荷物を背負った。


 店主からもらった果物を大事にしまう。


 そして東へ向かって歩き出す。


「あ、兄ちゃん!」


 後ろから呼ばれた。


 振り返る。


「何かあったら、また寄れよ!」


「はい!」


 セインは手を上げた。


 そして町を出た。


 王国の勇者との差――二日。


 昨日と変わらず。


 得た報酬――傷物の果物、三つ。


 新しいスキル――なし。


 セインは歩きながら、右手から細い糸を伸ばした。


 指先に伝わる僅かな引っ張り。


「……離れてても分かるんだな」


 昨日まで、《粘糸》は敵を捕まえるためのものだと思っていた。


 今日は、見えない場所の動きを知るためにも使えた。


 スキルは増えていない。


 それでも、できることは一つ増えた。


「結構便利だな、これ」


 セインはそう言って歩いていく。


 魔王には、一歩も近づいていなかった。


 勇者としては寄り道だった。


 セインにとっては、最初の人助けだった。

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