第3話 糸の出し方
はい。第3話はかなり重要です。
第2話で「コピーしたのに使えない」を笑いにしたので、第3話ではそこから一段進めて、
観察する → 仮説を立てる → 試す → 初めて使える
という、この作品の《簒奪》の基本的な面白さを初めて成立させたいです。
それと、今の原稿には一つだけ大きな修正点があります。
第2話の確定版では、セインはすでに口・尻・目・鼻・耳・四つん這いまで全部試してミイラ化しているので、第3話冒頭でまた「目?」と考えると少し巻き戻った感じになります。
なので、第3話はそこを受けて、
「外見を真似しても駄目だった。じゃあ何が違う?」
から始めるのが一番自然です。
こんな形がかなり良いと思います。
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第3話 持っているだけじゃ使えない
「まずこれをどうにかしないと……!」
セインは街道の上を転がりながら、自分の身体へ絡みついた白い糸を必死に剥がしていた。
腕、脚、腰、肩。
第2話の検証によって、全身には魔物の《粘糸》が何重にも巻きついている。
糸を出す場所を探すため、口から始まり、尻、目、鼻、耳と順番に試し、最後には四つん這いにまでなった。
得られた成果は一つ。
どこからも出なかった。
代わりに得たものは、全身を覆う大量の糸だった。
「検証方法、間違えたか……?」
今さらである。
目の前では、黒い毛に覆われた魔物が低く唸っている。
どうやらセインが奇妙な姿勢を繰り返している間も、律儀に敵としての役目を果たすつもりらしい。
「ちょっと待て。今かなり大事なところなんだ」
魔物が地面を蹴った。
「待たないよな!」
セインは身体をひねり、辛うじて飛びかかってきた牙を避けた。その勢いで街道の端まで転がると、木の根に身体をぶつける。
「痛っ……!」
だが、その衝撃で腰へ絡んでいた糸の一部が地面から剥がれた。
「お?」
セインはすぐに身体を捻り、今度は残った糸を木の根へ擦りつける。
一本。
もう一本。
粘りついていた糸が少しずつ外れ、ようやく両脚が動くようになった。
「よし!」
立ち上がる。
まだ腕や服には糸が残っているが、走ることはできる。
そして走った。
全力で。
後ろから魔物も追ってくる。
魔王を倒しに旅立ったはずなのに、現在は犬ほどの魔物から逃走中である。
「最初の一匹くらい、もっと普通に倒させてくれよ!」
もちろん魔物にそんな配慮はない。
セインは走りながら右手を見る。
《簒奪》そのものは成功している。
それは間違いなかった。
自分の中には、今まで存在しなかった何かが確かに増えている。意識を向ければ、魔素が普段とは違う場所へ流れようとする感覚もある。
それなのに、使えない。
口から出そうとしても駄目だった。
蜘蛛を参考に尻から出そうとしても駄目だった。
目も、鼻も、耳も、姿勢も。
全部外れた。
「……出す場所の問題じゃないのか?」
そこまで考えたところで、背後から魔物が口を開く気配がした。
セインは反射的に横へ跳んだ。
白い糸がすぐ脇を通り過ぎ、街道沿いの木へべたりと張り付く。
「危なっ――」
そのまま走り出そうとして、セインは止まった。
「……ん?」
今の攻撃を、横から見た。
今までは正面から飛んでくる糸を避けるだけで精一杯だったが、横から見ると少し違って見える。
セインは木へ張り付いた糸を見たあと、もう一度魔物へ視線を戻した。
「口から……じゃない?」
魔物がこちらへ身体を向ける。
セインは逃げず、その姿をじっと観察した。
魔物が口を開く。
牙が見える。
そのすぐ下。
顎の奥ではなく、首に近い部分が僅かに膨らんだ。
「そこ?」
次の瞬間、白い糸が飛んだ。
「うわっ!」
見ようとしすぎて避けるのが遅れ、糸が肩へ張り付く。
身体が少し引かれた。
だが、セインは笑った。
「見えた」
魔物は口から糸を吐いているわけではない。
口を開く動きとほぼ同時に、首元にある小さな器官から射出している。
だから正面から見れば、口から出しているように見えただけだ。
「なるほど……」
セインは自分の首を触った。
当然ながら、同じ場所に穴など存在しない。
「…………」
嫌な可能性に気づく。
「もしかして、俺には出せない?」
コピーできたのはスキルだけ。
身体まで魔物と同じになったわけではない。
目の前の魔物には、《粘糸》を作って外へ出すための器官がある。
自分にはない。
「いやいやいや、それじゃ困るだろ」
せっかく初めて手に入れたスキルが、身体の構造が違うという理由で使用不能。
勇者の初戦利品としては悲しすぎる。
「何のために奪ったんだよ」
正確には奪っていない。
肩へ張り付いた糸を引き剥がしながら、セインはもう一度自分の内側へ意識を向けた。
確かに何かはある。
魔素を流すと、その先に今までなかった道のようなものを感じる。
「……ん?」
そこで、セインは初めて違和感に気づいた。
さっきまでとは少し違う。
口から出そうとした時も、尻から出そうとした時も、セインが考えていたことは単純だった。
糸を出す。
それだけ。
だが今は、魔物が実際にどうやって《粘糸》を使っているのかを見た。
首元が膨らむ。
その前に、身体の中で何かが起きている。
魔素が流れ、別のものへ変わり、それが外へ押し出されている。
「……最初から糸が入ってるわけじゃないのか?」
当たり前のことだった。
だが、セインにとっては初めての発見だった。
《簒奪》によって自分の中に増えたのは、完成した糸ではない。
魔素を《粘糸》へ変えるための何か。
なら。
魔物と同じ穴から出す必要まであるのだろうか。
セインは右手を見る。
「別の場所から出せばいい?」
自分で言っておきながら、確信はない。
それでも、尻を突き出すよりは可能性がありそうだった。
セインは右手へ意識を集中する。
魔素を流す。
ただ手へ集めるのではない。
自分の中へ新しく増えた、その奇妙な道を通す。
思い出す。
腕に絡みついた糸の感触。
細い。
粘る。
見た目より丈夫で、簡単には切れない。
あの性質へ、魔素を近づける。
「……こうか?」
ほんの僅かに、感覚が変わった。
魔素だったものが、何か別のものへ変わろうとしている。
「お……?」
その時、魔物が地面を蹴った。
「待て」
セインは右手を前へ向けた。
「今、分かりかけてる」
当然、待ってくれない。
魔物が迫る。
「だからちょっと待てって!」
焦った瞬間、右手から白いものが飛び出した。
「――え?」
セイン自身が一番驚いた。
糸だった。
間違いなく、さっきまで自分を散々苦しめていたのと同じ白い糸。
ただし。
長さは数十センチほど。
勢いもなく、右手の先から情けなく垂れているだけだった。
「…………」
魔物が飛びかかる。
「うわっ!」
セインは慌てて横へ転がった。
地面を一回転し、そのまま起き上がる。
右手を見る。
まだ白い糸が垂れていた。
「……出た」
魔物が振り返る。
「出た!」
セインは笑った。
「できるじゃん!」
今まで何度やっても出なかったものが、自分の手から出ている。
嬉しくなり、もう一度右手へ魔素を流した。
今度はさっきよりも明確に、《粘糸》へ変えることを意識する。
「いけ!」
白い糸が飛んだ。
さっきより長い。
しかし、魔物の遥か手前で地面へ落ちた。
「…………」
セインは落ちた糸を見る。
「短いな」
魔物が走ってくる。
「分かってる!」
誰も何も言っていない。
セインは横へ逃げながら、今度は魔物そのものを観察した。
どう使っている?
自分との違いは何だ?
長さだけではない。
あの魔物の糸には、飛ばすだけの勢いがある。
もう一度、魔物が糸を撃とうとする。
口が開く。
その直前。
首元が僅かに膨らんだ。
「……溜めてる?」
セインは右手を見る。
自分は魔素を《粘糸》へ変えた瞬間、そのまま外へ出していた。
だから、垂れるだけだった。
魔物は違う。
一度作ったものを溜め、その後で一気に放っている。
「だったら……」
セインは右手へ魔素を集める。
今度はすぐに出さない。
《粘糸》へ変える。
さらに溜める。
右手の内側へ、妙な圧力が生まれていく。
「これを……」
魔物が突っ込んでくる。
セインは腕を向けた。
「一気に出す!」
白い糸が勢いよく飛んだ。
「おおっ!」
今度は速い。
しかも真っ直ぐ伸びる。
そのまま魔物の横を通り過ぎ、背後の地面へ張り付いた。
「…………」
外した。
「当てる練習もいるのかよ!」
当然である。
スキルの仕組みを理解したところで、狙いまで勝手に良くなってくれるわけではない。
魔物が飛びかかる。
セインは横へ跳んで避けた。
だが、今度はそのまま逃げなかった。
魔物を見る。
自分の糸を見る。
そして、街道の左右に立つ木を見る。
「……待てよ」
そもそも、直接当てる必要があるのか?
この魔物はセインの脚へ糸を当てて動きを止めた。
だから、自分も同じように相手へ撃とうとしていた。
だが、セインの糸にはもう一つ特徴がある。
粘る。
かなり強く張り付く。
「だったら」
セインは街道脇の木へ右手を向けた。
魔素を糸へ変え、一度溜めてから放つ。
べたり、と白い糸が幹へ張り付いた。
「よし」
次は反対側。
少し低い位置へ、もう一本。
二本の木の間に白い糸が伸び、街道を横切るように張られた。
セインは地面へ落ちていた短剣を拾い、今度は左手に持った。
「来い」
魔物がこちらを向く。
「さっきから好き放題やってくれたな」
低く唸り、そのまま地面を蹴った。
一直線にセインへ向かってくる。
速い。
最初に見た時は、動きを追うことすら難しかった。
でも、もう何度も見ている。
セインは動かなかった。
魔物が迫る。
あと少し。
そして前脚が、張っていた糸へ触れた。
細い糸が脚へ絡みつき、そのまま身体の勢いを奪う。
魔物は前のめりになり、地面を大きく転がった。
「かかった!」
セインは走った。
今度は逃げるためではない。
転倒した魔物が起き上がるより先に距離を詰め、短剣を握り直す。
「悪いな」
そして、振り下ろした。
◇
しばらくして。
街道には静けさが戻っていた。
セインは道端へ座り込み、大きく息を吐いた。
「疲れた……」
想像していた勇者の初戦とは、随分違った。
もっとこう、魔物が飛びかかってきたところを華麗に剣で一閃するとか、そういうものだと思っていた。
実際には逃げ回り、転び、全身を糸まみれにされ、魔物へ尻まで向け、ようやく一匹倒した。
「……尻向ける必要、なかったな」
今になって気づいた。
少しだけ悲しくなった。
「まあ、誰も見てないし」
セインは周囲を確認した。
誰もいない。
「よし」
なかったことにした。
それより重要なのは、自分の右手だった。
意識を集中して魔素を流すと、今度はそれほど迷わず白い糸へ変わる。
右手からゆっくり糸が伸びた。
「……出るな」
一度仕組みを掴んでしまえば、先ほどまで何をしても出なかったのが嘘のようだった。
もちろん、まだ自由自在とは程遠い。
長さは安定しない。
狙いも悪い。
粘り方にもばらつきがある。
それでも使える。
「《粘糸》……か」
自分の中へ増えたスキルの名前を口にする。
勇者が旅に出て、初めて手に入れた新しい力。
セインは右手から垂れる白い糸を眺めた。
「……地味だな」
炎でもない。
雷でもない。
剛力でもない。
糸である。
魔王を倒す勇者の最初の新能力としては、どうにも迫力がない。
「まあ、いいか」
セインは立ち上がった。
「使えたし」
数歩進んだところで、ふと思いついて近くの木へ《粘糸》を撃つ。
べたり、と幹へ張り付いた。
引っ張ってみる。
かなり強い。
「…………」
別の木にも撃つ。
こちらも張り付く。
今度は少し高い場所を狙い、糸を引いてみる。
「これ……」
セインの口元が少し上がった。
「結構使えるんじゃないか?」
数分前まで「地味」と言っていた男の評価は、早くも変わり始めていた。
そしてもう一つ。
セインは倒れた魔物へ視線を向けた。
「そういえば……」
《簒奪》。
確かにこの魔物から《粘糸》を取り込んだ。
なのに、魔物は最後まで普通に《粘糸》を使っていた。
「……やっぱり奪ってないよな」
名前がおかしい。
十六年間、自分の固有スキルを《簒奪》だと思っていた。
実際にそういう名前なのだから、そう思うしかない。
だが今日起きたことだけを見るなら、相手から何かを奪ったというより。
「増えただけ?」
魔物に一つ。
自分にも一つ。
「…………」
セインは腕を組んだ。
考える。
《簒奪》という名前。
相手から消えないスキル。
手に入れても分からない使い方。
今日だけで、自分の固有スキルについて知らないことが一気に増えた。
「……分からん」
早々に諦めた。
「町で誰かに聞けばいいか」
今の自分だけで考えても答えは出そうにない。
セインは荷物を拾い、短剣を腰へ戻して、街道を再び歩き始めた。
◇
夕方。
セインはようやく目的の町へ到着した。
「着いた……」
入口を抜けた瞬間、村とは比べものにならない人の多さに思わず足が止まる。
左右には店が並び、荷馬車が行き交い、武器を持った冒険者らしき者達も歩いている。
初めて見るものばかりだった。
「まずは……」
飯。
一瞬そう思った。
だが、その前に聞かなければならないことがある。
近くの露店にいた男へ、セインは声をかけた。
「すみません」
「ん?」
「勇者を見ませんでした?」
男は少し考えたあと、すぐに思い当たったようだった。
「ああ、王国の勇者様か?」
「そうです」
「それなら二日前にここを出たぞ」
「二日前?」
「ああ」
村で聞いた時には三日前だった。
セインは少し考え、やがて満足そうに頷いた。
「……縮まったな」
「何が?」
「勇者との差です」
男が怪訝な顔をする。
「なんで勇者様と競ってるんだ?」
「俺の方が先に魔王を倒さないといけないので」
「なんで?」
「俺が本物の勇者だからです」
「…………」
男はセインの顔を見た。
次に服装を見る。
腰の短剣を見る。
旅に出たばかりなのに、すでに所々へ白い糸がくっついている。
もう一度、顔を見る。
「勇者って二人いるのか?」
「いません」
「今、いるって話をしてなかったか?」
「王国が間違えて別の人を選んだだけです」
「勇者を?」
「はい」
「そんな間違いある?」
「ありました」
少なくともセインの中では確定している。
男はしばらく何か言いたそうにしていたが、最終的には諦めた。
「……まあ、頑張れよ」
「ありがとうございます」
セインは素直に頭を下げ、そのまま歩き出した。
三歩進む。
止まる。
ゆっくり振り返る。
「ちなみに、勇者はどっちへ行きました?」
「知らないで追ってたのかよ」
旅立ち一日目。
王国の勇者との差は、三日から二日へ縮まった。
新しく手に入れたものは、《粘糸》。
そして。
魔王の居場所は、依然として分からなかった。
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