第36話 天女様は籠の中
その村では、一年に一度、山の祈り場へ天女を送る。
天女といっても、本物の天女が空から降りてくるわけではない。
村の若い女性の中から一人を選び、代々受け継がれてきた羽衣をまとわせ、神へ祈りを捧げる役目を任せる。
そして選ばれるのは、決まって村一番の美人なのだという。
「村一番?」
依頼を聞いた瞬間、クリスが反応した。
「そこ?」
ピエナが横を見る。
「いや、大事な情報かなと思って」
「護衛には全然関係ないよ」
セインも腕を組む。
「でも天女っていうくらいだからな」
「セインまで?」
「いや、別に気にしてないぞ」
「気にしてる人の言い方なんだよね、それ」
今回の依頼は、その天女を祈り場まで護衛することだった。
山道には魔物が出る。
しかも祭事の最中、天女は羽衣をまとい、顔を隠したまま籠に乗って移動する決まりになっている。
つまり、自分で逃げることは難しい。
「絶対に籠を倒さないでください」
村長が念を押した。
「中の天女様にも、なるべくご負担をかけないように」
「任せてください」
セインが答える。
いつもより少しだけ声が良かった。
ピエナが横を見る。
「なんでちょっと格好つけた?」
「格好つけてない」
クリスもいつもより髪を整えていた。
「クリスも」
「何が?」
「分かりやすいなあ、二人とも」
やがて籠が運ばれてきた。
白い布で四方を覆われている。
その隙間から、淡い羽衣だけがわずかに見える。
「おお……」
セインが小さく声を漏らした。
「何?」
ピエナが見る。
「いや、羽衣が」
「今、絶対羽衣見てなかったよね?」
「見てた」
「じゃあ何色?」
「白」
「全部白だよ」
籠の中から、何かをかじる音がした。
もぐ。
もぐ。
三人が籠を見る。
「……何か食べてる?」
クリスが訊いた。
村長が笑う。
「天女様も朝が早かったのでしょう」
ピエナだけが少し首を傾げた。
山道へ入る。
最初は順調だった。
籠を中心に、セインが前。
ピエナが横。
クリスが後方。
護衛としてはかなり真面目だった。
特にセインとクリスが。
「今日なんか二人とも動き良くない?」
ピエナが言った。
「普通だ」
「普通だね」
「なんで二人とも急に姿勢いいの?」
「護衛だからな」
「護衛だからね」
「息ぴったりなの腹立つなあ」
籠の中から、また音。
ぼりぼり。
「今度は何食べてるんだろう」
クリスが言う。
「気にしなくていいでしょ」
ピエナは呆れていた。
その直後だった。
山道脇の茂みが激しく揺れた。
「来る!」
セインが叫ぶ。
三体の魔物が飛び出した。
灰色の猿に似た魔物。
腕が長く、岩場を跳び回る。
一体が籠へ向かう。
「させるか!」
セインが《粘糸》を飛ばす。
脚へ絡める。
魔物が体勢を崩した。
クリスがその横を抜ける。
「《衝撃》」
剣の腹が当たる。
魔物が山道の反対側へ弾かれた。
「二人とも今日すごいね!」
ピエナが言う。
「いつもだ!」
セインが答える。
「今日は三割増しくらいに見えるけど!」
二体目が飛び込む。
ピエナが手を向ける。
「籠の近くだから小さくいくよ!」
小さな《爆裂》。
爆風だけを横から当て、魔物の進路を逸らす。
そこへクリス。
一歩。
回避。
柄。
《衝撃》。
流れるようだった。
「クリス!」
「なに?」
「今日ちょっと格好つけてない!?」
「いつも通りだよ!」
「剣回したでしょ今!」
「回した方が持ちやすかった!」
「嘘くさい!」
三体目。
岩の上から飛んできた。
セインが《吸着》で斜面へ踏み込み、そのまま高い位置へ。
《粘糸》。
捕まえる。
着地。
「どうだ!」
誰に言ったのかは分からなかった。
ピエナだけは分かった。
「籠に向かって言った?」
「言ってない!」
籠の中から返事はない。
代わりに、
ぼりっ。
何か硬いものを噛む音がした。
「全然見てないんじゃない?」
「戦闘中だからだろ!」
セインが言った、その時。
さらに二体。
今度は左右から。
戦闘が一気に激しくなる。
クリスが一体を引きつける。
セインがもう一体の脚へ糸。
ピエナが爆発で籠から遠ざける。
魔物が斜面を蹴り、セインの横へ回り込んだ。
「速いな」
セインは《粘糸》を維持したまま、《吸着》へ切り替えて岩へ足を固定する。
そこから《振動》。
地面へ伝える。
近づく足音を読む。
さらに《鋭化》へ――。
「……っ」
出ない。
「え?」
一瞬だけ、セインの意識が止まる。
《鋭化》を使おうとする。
何も起きない。
もう一度。
今度は発動した。
「セイン!」
クリスの声。
魔物が迫っていた。
セインはとっさに身を引く。
クリスが横から入り、剣の腹で魔物を叩く。
「《衝撃》」
ドンッ。
魔物が転がった。
「助かった」
「今、遅れた?」
「……ああ」
セインは自分の手を見る。
《鋭化》は使えている。
壊れたわけではない。
だが。
前回は《吸着》。
今回は《鋭化》。
同じスキルではない。
「後で考える!」
ピエナが叫ぶ。
「今はこっち!」
「分かってる!」
その直後。
一体の魔物が着地した衝撃で、大きな石が転がった。
「籠!」
クリスが反応する。
石が籠の脚へぶつかる。
ガタンッ!
籠が大きく揺れた。
留め具が外れる。
白い布がめくれた。
三人の動きが止まった。
籠の中。
羽衣をまとった女性が座っていた。
服装自体は、確かに天女らしい。
淡い羽衣。
整えられた髪。
祭事用らしい化粧。
ただし。
座り方がものすごく雑だった。
片脚を立て。
もう片方をだらりと投げ出し。
片手には大きな饅頭。
空いた手では鼻の横をぼりぼり掻いている。
三人。
「…………」
天女。
「…………」
三人。
「…………」
天女が饅頭を一口食べる。
もぐ。
もぐ。
「何見てんの?」
三人。
「…………」
「敵いるんでしょ?」
天女が顎で魔物を指した。
「早く片づけてよ」
「…………はい」
三人の返事が揃った。
先ほどまでの勢いが、少しだけなくなった。
セインが魔物を見る。
「……行くぞ」
「うん」
「はい」
なんとなく全員、淡々としていた。
魔物が飛んでくる。
クリスが避ける。
今度は剣を回さなかった。
ピエナが横目で見る。
「回さないんだ」
「必要なかったから」
「さっき必要だったの?」
「……必要だった」
セインも《粘糸》で一体を拘束する。
着地。
何も言わない。
ピエナが見る。
「『どうだ!』は?」
「何の話だ?」
「急に忘れた」
籠の中から声が飛ぶ。
「ちょっと! そっち一匹残ってる!」
「分かってます!」
セインが答えた。
「あと籠揺らさないで! 食べにくい!」
「まだ食べてるの!?」
ピエナが思わず振り返る。
天女は饅頭を食べていた。
「朝から何も食べてないのよ」
「さっきからずっと食べてるじゃん!」
「これは間食」
「朝食は!?」
「食べた」
「食べてるじゃん!」
「朝食と間食は別でしょ!」
「そこじゃないよ!」
なぜか護衛対象と喧嘩が始まった。
「ピエナ!」
「だって!」
魔物がその隙に動く。
クリスがすぐ前へ出る。
「今はそっち!」
「分かってる!」
最後の一体を三人で追い込む。
セインの《粘糸》。
ピエナの小さな《爆裂》。
クリスの《衝撃》。
魔物は岩場へ転がった。
ようやく静かになる。
セインが息を吐く。
「終わった」
籠から天女が顔を出す。
「遅い」
三人が振り返る。
「結構頑張ったんですけど」
セインが言う。
「護衛なんだから頑張るの普通でしょ」
「それはそうだけど」
「あと喉渇いた」
「水あります?」
「ぬるいの嫌」
「注文多いな!」
ピエナが言った。
天女はピエナを見る。
「何よ」
「何でもない!」
セインはその横で、自分の右手を見ていた。
さっきの違和感。
もう一度、《鋭化》。
出る。
《吸着》。
出る。
《振動》。
出る。
《粘糸》。
問題ない。
「……全部使える」
ピエナが気づく。
「さっきの?」
「ああ」
クリスも近づいてきた。
「今度は《鋭化》だったよね」
「うん」
「前は《吸着》だった」
「ああ」
少し沈黙。
ピエナが腕を組む。
「じゃあ、《吸着》だけがおかしかったわけじゃないんだ」
「そうなるな」
「最近増えてからだよね」
セインは胸の奥へ意識を向ける。
《粘糸》。
《吸着》。
《振動》。
《鋭化》。
どれもある。
どれも壊れていない。
でも。
以前より。
妙に詰まっている。
何かを入れ続けた箱の中から、必要なものを引っ張り出しているような。
「……もしかして」
セインが呟く。
「俺の《簒奪》、持てる量に限界があるのか?」
ピエナとクリスが黙る。
今まで。
取れば取るほど増えると思っていた。
便利な能力を見つければ、持っておけばいい。
そう思っていた。
でももし。
入れられる量そのものに限界があるなら。
「だったら新しいの取る時、もっと選ばないとね」
ピエナが言う。
「……だな」
セインは頷いた。
《跳躍》を見送った判断は、間違っていなかったのかもしれない。
「じゃあ今度から――」
「ねえ」
籠の中から声がした。
三人が見る。
天女が頬杖をついている。
「何ぶつぶつ話してんの?」
「今ちょっと大事な話を――」
「私の方が大事でしょ。天女よ?」
三人が黙る。
ピエナが先に口を開いた。
「その言葉ほんと便利だね!」
「便利よ。天女だもの」
「開き直った!」
さっきまで少し真面目だった空気は、一瞬で消えた。
その後は魔物も出ず、無事に祈り場へ着いた。
祭壇の前。
村人たちが天女を迎える。
「天女様!」
「今年もなんとお美しい!」
「まさに村の誇り!」
三人は少し離れた場所から、その様子を見ていた。
さっきまで籠の中で饅頭を食べながら注文を飛ばしていた天女が、祭壇へ向かう。
そこで。
三人は再び黙った。
歩き方が違う。
背筋はまっすぐ。
羽衣を静かに広げ。
村人たちの前に立つ。
さっきまでの粗雑さが嘘のように消えていた。
「……ちゃんと天女だ」
セインが呟く。
「切り替えすごいね」
クリスが言った。
ピエナも少し感心する。
「あれだけ見たら、確かに綺麗だね」
三人は祈りを見守った。
静かだった。
厳かだった。
神へ祈りを捧げる天女の姿に、村人たちは真剣に頭を垂れている。
数分後。
祈りが終わった。
天女が三人のところへ戻ってくる。
「終わったー」
肩が一気に落ちた。
三人。
「…………」
「何?」
「いや」
セインが言う。
「切り替え早いなって」
「仕事なんだから当たり前でしょ」
「仕事なんだ……」
「一年に一回しかないんだから、ちゃんとやるわよ」
そう言いながら、天女は羽衣を持ち上げる。
「で、饅頭ある?」
ピエナが笑った。
「戻るの早すぎ!」
「お腹減ったのよ」
「ずっと食べてたじゃん!」
「祈ったら減った」
「何が!?」
クリスが小声でセインへ言う。
「僕、天女ってもっとずっと静かな人だと思ってた」
「ああ」
「違ったね」
「違ったな」
ピエナが二人を見る。
「それ、天女じゃなくて二人の勝手な想像だからね」
二人。
「…………」
「反省した?」
「少し」
「ちょっと」
天女が横から言う。
「何の話?」
「何でもないです」
三人の返事が揃った。
帰り道。
天女はまた籠へ戻った。
「揺らさないでね」
「はい」
「水は冷たいのがいい」
「はい」
「饅頭買い忘れないで」
「それ護衛の仕事じゃないですよね?」
「私、天女よ?」
セインが少し考える。
「……それ、便利な言葉になってません?」
ピエナが吹き出した。
「セイン、それ前に私が言ったやつ!」
籠の中から声が返る。
「細かい男ね」
「なんで俺が怒られてるんだ?」
クリスが笑った。
その日。
三人は、天女とは何かを少しだけ学んだ。
神秘的な役目を持っているからといって、普段から神秘的とは限らない。
厳かな祈りを捧げる人が、籠の中では饅頭を食べながら鼻の横を掻いていることもある。
役割と、その人自身は別だった。
そしてセインには、もう一つ。
もっと重要な発見が残った。
《簒奪》には。
どうやら、何でも無限に詰め込めるわけではないらしい。
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