第37話 二つに見えるで
その町の斡旋所で渡された依頼は、地味だった。
「山の祈り場の近くで、地面が崩れた?」
セインが依頼書を読み上げる。
「はい。少し前から地面に亀裂が増えていまして」
受付の男が頷いた。
「大きな事故になる前に、一度見てほしいそうです。詳しい場所については、山の麓に住んでいる老人が知っています」
「魔物退治じゃないんだ」
ピエナが言う。
「たまにはこういうのもいいだろ」
「私は別にいいよ」
クリスが依頼書を覗き込む。
「地面が崩れるって、下に空洞でもあるのかな」
「それを調べるんだろうな」
セインは依頼書を畳んだ。
少し前なら、こういう依頼には《振動》が真っ先に頭に浮かんだ。
今もそうだ。
ただし。
胸の奥にある四つのスキルを意識すると、以前にはなかった感覚が残っている。
《粘糸》。
《吸着》。
《振動》。
《鋭化》。
どれも使える。
だが、増えるほど妙に詰まっていく。
《簒奪》には、持てる量の限界があるのかもしれない。
そう考えるようになってから、能力を見る目が少し変わった。
何でも欲しがればいいわけではない。
「セイン?」
「あ?」
「また難しい顔してる」
「ちょっと考えてただけだ」
「歩きながら考えると石につまずくよ」
「子供じゃないんだから――」
セインの足が石に当たった。
「…………」
ピエナが見る。
「何も言うな」
「まだ何も言ってないよ」
クリスが笑った。
老人の家は、山へ続く道の手前にあった。
小さな木造の家。
庭には薪。
壁には古びた道具。
いかにも長年ここに住んでいる人物の家だった。
セインが戸を叩く。
「すみませーん!」
「開いとるでー」
三人が止まった。
「……若い声じゃなかった?」
ピエナが言う。
「老人じゃないのか?」
セインが戸を開ける。
中には老人がいた。
白髪。
深い皺。
机の向こうで茶をすすっている。
そして。
もう一人いた。
「お」
派手だった。
黒と赤を基調にした服。
ところどころに奇妙な飾り。
道化師を思わせる格好の青年が、老人の向かいで茶を飲んでいる。
腰には二本の短剣。
年齢は二十歳ほどだろう。
三人を見ると、にこっと笑った。
「客増えたな」
セインが老人を見る。
「えっと……この人は?」
青年が自分を指差す。
「ワシ?」
「他に誰がいるんだよ」
「そらそうやな」
青年は茶を置いた。
「ヴァイス。よろしくな」
あまりに普通だった。
ピエナが服を見る。
「……すごい格好だね」
「せやろ?」
ヴァイスが嬉しそうに笑う。
「気に入っとんねん」
「褒めたつもりじゃ――」
「ピエナ」
セインが止める。
クリスだけは素直に眺めていた。
「その服、戦う時邪魔じゃない?」
「全然。慣れや慣れ」
「へえ」
ヴァイスがクリスを見る。
少しだけ目を細めた。
「兄ちゃん、剣使うん?」
「うん」
「強そうやな」
「そう?」
「うん」
たったそれだけだった。
なのに、クリスもヴァイスを見る目が変わった。
セインは二人を交互に見る。
「何?」
「別に」
クリスが答える。
老人が咳払いした。
「お前さんら、斡旋所から来たんじゃろ」
「そうでした」
セインが依頼書を出す。
「祈り場の近くで地面が崩れてるって」
「ああ」
老人は立ち上がり、壁から古い地図を取った。
「この山には昔から小さな空洞が多い。昔は中へ入れた場所もあったが、今はほとんど埋まっとる」
「中へ?」
セインが地図を見る。
「洞窟みたいなものですか?」
「そんな立派なもんじゃない。細い穴や、地下の隙間じゃ」
老人の指が、山の数か所を示す。
「最近崩れたのはこの辺りじゃな」
「最近?」
ピエナが反応する。
「前からじゃないんですか?」
「亀裂は前からある。ただ、ここしばらく妙に増えた」
セインたちが地図を見る。
その横から。
「へえ、やっぱこの辺なんや」
ヴァイスが覗き込んだ。
セインが顔を上げる。
「お前もそこに用があるのか?」
「まあな」
「何しに?」
「人に会いに」
「もう会ってるじゃん」
ピエナが老人を見る。
「せやで」
「じゃあ目的終わってるじゃん」
「せやな」
「軽いな!」
老人が苦笑する。
「こやつも昔の山について聞きに来たんじゃ」
セインの表情が少し変わる。
「なんで?」
ヴァイスが首を傾げた。
「なんでやろ」
「自分で来たんだろ!?」
「セレナに行ってこい言われてん」
三人が止まった。
「……セレナ?」
セインが聞き返す。
「知っとるん?」
ヴァイスの顔が、ぱっと明るくなった。
「銀髪で、赤い目で、口悪い女だろ」
「それ本人の前で言うたら怒られるで」
「知り合いなの?」
ピエナが尋ねる。
「仲間や」
三人の空気が変わった。
ヴァイスはそれを見ても、茶を一口飲んだ。
「へえ」
「へえ、じゃないだろ」
セインが構える。
「お前もあいつと同じ側か」
「同じ側っちゅう言い方がよう分からんけど、まあ同じとこにはおるな」
「何を探してる?」
「知らん」
「知らない!?」
「ワシ、そのへん興味ないねん」
「じゃあなんで来たんだよ!」
「セレナが行け言うから」
「断ればいいだろ!」
ヴァイスが真顔になる。
「怒るやん」
一瞬。
静かになった。
ピエナが訊く。
「……怖いの?」
「めっちゃ怖いで」
「仲間なんだよね?」
「仲間やから怖ないとは限らんやろ」
妙に説得力があった。
セインは構えたまま言う。
「でもお前、セレナより強いんじゃないのか?」
ヴァイスの眉が上がる。
「なんでそう思うん?」
「なんとなく」
クリスが答えた。
ヴァイスがクリスを見る。
「兄ちゃん、やっぱおもろいな」
「僕?」
「うん」
ヴァイスは立ち上がった。
「セレナとはな、一回ちゃんとやってみたいと思っとる」
「仲間なのに?」
「強いやん、あいつ」
笑う。
「強い奴とは戦いたいやろ?」
「いや」
セインが即答した。
「そら残念や」
「普通はそうだと思うよ」
ピエナも続ける。
ヴァイスは気にしていなかった。
むしろ、三人を順番に見た。
「で」
嫌な予感がした。
「君ら、セレナとやったん?」
「少しだけな」
「勝った?」
「途中であいつが帰った」
「ほお」
ヴァイスの笑みが深くなる。
「ほな、そこそこやるんやな」
「何が言いたい?」
「ちょっとやろか」
「なんでそうなる!?」
ピエナが叫んだ。
家の外へ出たのは、ヴァイスが老人の家の中で戦おうとしたからではない。
セインたちが全力で止めたからだった。
「家壊れたら怒られるやん」
「最初から外行けよ!」
「せやな」
「本当に軽いなこいつ!」
老人は家の入口から見送っている。
「壊すなら山の方でやれ」
「止めてくれないんですか!?」
セインが振り返る。
「若いもん同士、元気でええのう」
「そういう問題!?」
結局、少し離れた開けた場所まで移動した。
ヴァイスは二本の短剣を抜く。
刃を軽く回した。
「別に殺し合いしたいわけちゃうからな」
「十分危ないんだけど」
ピエナが言う。
「死んだら次戦えんやろ?」
「基準がおかしい!」
クリスは剣を抜いていた。
いつもの笑顔。
ただし。
目だけが違った。
「クリス?」
「この人、かなり強いよ」
セインがヴァイスを見る。
まだ何もしていない。
「分かるのか?」
「うん」
ヴァイスが嬉しそうに短剣を構えた。
「ほな」
一歩。
「行こか」
消えた。
「っ!」
クリスが横へ動く。
キンッ!
剣と短剣がぶつかった。
「うわ」
ピエナが目を見開く。
ヴァイスがもう一方の短剣を振る。
クリスが身体を反らす。
刃が鼻先を抜けた。
クリスの剣。
ヴァイスが受ける。
クリスが手首を返す。
《衝撃》。
ドンッ!
ヴァイスの身体が後ろへ飛ぶ。
「入った!」
セインが叫ぶ。
ヴァイスは地面を滑りながら止まった。
胸元を押さえる。
「いったぁ……」
普通に痛そうだった。
「……効いてる?」
ピエナが言う。
ヴァイスは顔を上げる。
笑っていた。
「ええやん」
クリスがわずかに眉を動かす。
「痛いんでしょ?」
「痛いで」
「じゃあなんで嬉しそうなの?」
「ええの貰ったから」
「変な人だね」
「よう言われる」
セインが《粘糸》を飛ばす。
「クリス、一人でやるな!」
糸がヴァイスの腕へ。
「お」
ヴァイスが引かれる。
そこへピエナ。
「少し離れて!」
小さめの《爆裂》。
逃げ道側へ爆発を置く。
ヴァイスが爆風を受け、体勢を崩す。
「うわっ!」
「今!」
クリスが踏み込む。
剣。
短剣。
火花。
さらに《衝撃》。
今度はヴァイスが腕で受けた。
「ぐっ……!」
押し飛ばされる。
「効いてる!」
ピエナが言う。
「このまま押すぞ!」
セインは糸を増やす。
ヴァイスの逃げ道へ張る。
さらに《鋭化》。
糸へ刃を与える。
しかし。
二つを同時に動かす。
糸の位置。
張力。
そして鋭さ。
別々に意識しなければならない。
「……っ」
一瞬、鋭さが落ちた。
ヴァイスの目がそこを見る。
「なるほどな」
セインが眉を寄せる。
「何が?」
「それ」
ヴァイスが糸を指す。
「二つやろ?」
セインの動きが止まりかける。
「なんで分かる?」
「見たら分かる」
「何が?」
「動き」
ヴァイスが短剣で糸をいなす。
「糸動かすんと、切れるようにするん。別々に考えとるやろ」
「……!」
「一個の技に見えへんもん」
セインは答えられなかった。
その通りだった。
《粘糸》を動かす。
《鋭化》を乗せる。
二つを同時に使っているだけ。
「セイン!」
ピエナの声で我に返る。
ヴァイスがもう目の前にいた。
「戦闘中に考え込んだらあかんで」
「しまっ――」
ヴァイスが拳を握る。
短剣ではない。
拳。
クリスが割り込んだ。
「危ない!」
剣で拳を受ける。
次の瞬間。
轟音。
「っ!?」
クリスの身体が吹き飛んだ。
「クリス!」
地面を何度も転がり、ようやく止まる。
セインとピエナが固まった。
ヴァイスも自分の拳を軽く振る。
「おー、結構溜まっとったな」
「……何した?」
セインが低く訊く。
「何やろな」
「答えろ!」
「敵に技教える奴おらんやろ」
セインが黙る。
どこかで聞いたような話だった。
クリスが起き上がる。
「いたた……」
「大丈夫!?」
ピエナが駆け寄る。
「うん。でも今の……」
クリスはヴァイスを見る。
「さっきまでより、急に強かった」
「正解」
「僕たちが攻撃した後だ」
ヴァイスの笑みが少し深くなった。
「兄ちゃん、ほんま勘ええな」
セインも気づく。
《衝撃》。
《爆裂》。
自分たちの攻撃。
ヴァイスは避けられるものまで、何度か受けていた。
「攻撃を受けることに意味があるのか……?」
「さあな」
ヴァイスは答えない。
だが否定もしない。
クリスが剣を構え直す。
「じゃあ、当てすぎない方がいいかも」
「攻撃するなってこと?」
ピエナが言う。
「違う。適当に当てない」
クリスの目が細くなる。
「この人、攻撃を受ける時と避ける時を選んでる」
ヴァイスが笑った。
「やっぱ君ええなあ」
次の瞬間。
二人が同時に踏み込んだ。
速い。
短剣。
剣。
足。
肩。
視線。
互いに相手の動きが始まる前に、次の場所へ移る。
セインには、何を見ているのか分からない。
クリスが右へ。
ヴァイスも右へ。
クリスが止まる。
ヴァイスも止まる。
二人が同時に笑った。
「気持ち悪い」
ピエナが言った。
「俺もそう思う」
「聞こえとるで!」
「僕まで!?」
二人から同時に抗議が飛んできた。
「戦いながら聞いてるの!?」
ピエナが叫ぶ。
ヴァイスがクリスの剣を短剣で受け流す。
「兄ちゃん」
「なに?」
「戦うん好き?」
「別に」
「もったいな」
「そう?」
「こんだけ見えとんのに」
クリスが少し考える。
「楽しい時はあるよ」
「ほらな!」
「でも旅の方が面白い」
「……変わっとんなあ」
「あなたに言われたくないと思う」
ヴァイスは笑った。
その笑いの隙へ、セインの糸が脚を取る。
「捕まえた!」
「おっと」
ピエナが手を向ける。
「今度は直接当てない!」
爆発。
ヴァイスの横。
爆風だけで体勢を崩す。
「なるほど」
ヴァイスが感心する。
「もう学んだん?」
「これ以上あんたに渡したくないからね!」
「ケチやなあ」
「敵に言われたくない!」
セインが糸を引く。
クリスが剣を向ける。
三方向。
ヴァイスは一瞬止まった。
そして。
「うん」
短剣を下ろした。
三人も止まる。
「……何?」
「もうええわ」
「は?」
ヴァイスは楽しそうに笑っている。
「君らおもろい」
「それだけ?」
「それだけ」
「戦い始めた理由もそれだけだったよな!?」
「せやで」
セインは頭を抱えたくなった。
ヴァイスは短剣を腰へ戻す。
「特に兄ちゃん」
クリスを指す。
「またやろな」
「嫌だよ」
「即答やん」
「痛かったから」
「そこはしゃあない」
次にセインを見る。
「あと君」
「何だ」
「糸のやつ、もったいないで」
「……二つに見えるってやつか?」
「そうそう」
ヴァイスは自分の指を二本立てた。
「二つのこと同時にやろうとしとるから、二つ分動いとる」
次に指を一本にする。
「一個で済むなら、その方が楽やろ?」
セインが黙る。
「まあ、できるか知らんけど」
「知らないのかよ!」
「ワシの能力ちゃうし」
「じゃあ偉そうに言うな!」
「でも二つに見えるんはほんまやで」
ヴァイスは笑う。
そして山の方を見る。
「さて」
「どこ行く?」
「帰る」
「山は?」
「話聞けたし」
「何を聞きに来たんだ?」
セインがもう一度尋ねる。
ヴァイスは少しだけ考えた。
「昔、この辺の地下に穴があった。それで十分や」
「何を探してる?」
「それはワシもよう知らん」
「本当に?」
「ほんまほんま」
軽い。
だが。
そこだけは妙に嘘を言っているようには見えなかった。
「セレナに聞いた方が早いで」
「答えてくれると思うか?」
「無理やろな」
「じゃあ言うな!」
ヴァイスが笑った。
「ほなな」
「待て」
セインが止める。
「何?」
「お前たち、何者なんだ?」
ヴァイスは少しだけ振り返った。
いつもの軽い笑顔。
「そのうち分かるんちゃう?」
そして歩き出す。
数歩進んでから、また止まった。
「あ」
「まだ何かあるのか?」
「セレナに会ったら、ワシがちゃんと仕事しとった言うといて」
「自分で言え!」
「信じてもらえへんねん」
「普段何してるんだよ!」
「いろいろや」
「絶対何もしてないだろ!」
笑いながら、ヴァイスは山道を下っていった。
三人はその背中を見送る。
ピエナが最初に口を開いた。
「……変なの増えたね」
「ああ」
「強かったね」
クリスが言う。
セインが見る。
「お前、楽しそうだったぞ」
「セインもじゃない?」
「俺は違う」
「途中からすごい顔してたよ」
「能力のこと考えてただけだ」
そこで。
セインは止まった。
能力。
ヴァイスの言葉が戻ってくる。
二つに見える。
《粘糸》。
《鋭化》。
今まで何度も一緒に使った。
糸を出す。
鋭くする。
そのたびに二つを別々に意識する。
だから負担も二つ分。
「……一個で済むなら」
セインが呟く。
ピエナが見る。
「何?」
「《粘糸》と《鋭化》」
セインは掌を開く。
細い糸が伸びる。
もう片方へ意識を向ければ、そこへ《鋭化》を乗せられる。
いつもそうしてきた。
「別々に使ってるから重いなら……」
そこで言葉が止まる。
そんなことができるのか。
そもそも。
スキルは一つずつ存在するものだ。
《粘糸》は《粘糸》。
《鋭化》は《鋭化》。
だが。
《簒奪》で手に入れた二つを。
もし。
「最初から一つとして使えたら?」
ピエナが瞬きをする。
「そんなことできるの?」
「知らん」
「知らないんだ」
クリスが笑う。
「じゃあ試せばいいね」
ピエナがクリスを見る。
「その結論になると思った」
「でも今まで、できるか試したことないんでしょ?」
「……ない」
セインは自分の胸へ手を当てた。
《粘糸》。
《鋭化》。
二つのスキル。
今までは、どう使うかばかり考えていた。
だがもし。
理解することで。
二つを一つとして扱えるとしたら。
「やってみる価値はあるな」
セインは笑った。
ピエナが少し嫌そうな顔をする。
「その顔すると大体何か危ないことするよね」
「今回は大丈夫だ」
「前も聞いた気がする」
「広いところでやる」
「場所の問題じゃない!」
クリスが頷く。
「僕もそう思う」
「お前はどっちの味方だ!」
三人の声が山に響いた。
その足元。
古い地図には、いくつもの地下の空洞が記されている。
そして。
セレナに続き、ヴァイスまでがそれを調べ始めている。
何を探しているのか。
まだ分からない。
ただ一つ。
偶然ではないことだけは。
少しずつ、はっきりし始めていた。
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