第35話 跳ぶな、絶対に跳ぶな
その依頼は、聞いた瞬間から嫌な予感がした。
「荷運び用の魔物が逃げた?」
セインが聞き返す。
町務斡旋所の職員は頷いた。
「はい。バッタ型の魔物です。普段は荷車を引かせるために飼育しているんですが、今朝、柵を壊して逃げまして」
「バッタに荷車引かせるの?」
クリスが訊く。
「引かせます」
「跳ばないの?」
「普段は」
「普段は?」
ピエナが嫌そうな顔をした。
職員は少し目を逸らした。
「……驚くと、たまに」
三人は顔を見合わせる。
「どれくらい跳ぶ?」
セインが訊く。
「かなり」
「かなりって?」
「……かなりです」
「説明を諦めたね」
クリスが言った。
逃げた魔物は、町の西にある草原へ向かったらしい。
三人は現地へ向かった。
見つけるのは難しくなかった。
大きいからだ。
「いた」
セインが指さす。
草原の真ん中。
人の腰ほどの高さがある巨大なバッタ型魔物が、のんびり草を食べていた。
「思ったより普通」
ピエナが言う。
「見た目はね」
クリスが答える。
三人が近づく。
魔物が顔を上げる。
「逃げるぞ」
セインが《粘糸》を伸ばす。
その瞬間。
バッタ型魔物の後脚が沈んだ。
「来る!」
ドンッ。
地面が弾けた。
次の瞬間には、もういなかった。
三人。
「…………」
ピエナが遠くを見る。
「……あそこ」
かなり先。
小さくなったバッタ型魔物が着地していた。
「かなりだな」
「かなりだったね」
クリスが納得した。
三人は走った。
ようやく追いつく。
また近づく。
また跳ぶ。
追う。
跳ぶ。
追う。
跳ぶ。
「これ、捕まらなくない!?」
ピエナが言う。
「着地する場所を絞ればいい!」
セインが周囲を見る。
草原の先に林。
反対側に低い岩場。
「クリス!」
「うん!」
クリスが先回りする。
バッタ型魔物が再び脚を沈めた。
クリスはその向きを見た。
「右に来る!」
「分かるのか?」
「脚の向き!」
セインが右へ走る。
ピエナも追う。
バッタが跳んだ。
今度は予想通り。
着地点へセインが《粘糸》を張る。
「よし!」
バッタが糸に引っかかった。
体勢を崩す。
「今!」
ピエナが飛びついた。
「え?」
セインが言った時には遅かった。
ピエナはバッタ型魔物の背中にしがみついていた。
「押さえた!」
「ピエナ、それ――」
バッタ型魔物が固まる。
背中に何かいる。
見えない。
怖い。
後脚が沈んだ。
セインとクリスが同時に叫ぶ。
「降りろ!」
「え?」
ドンッ。
バッタ型魔物が跳んだ。
ピエナごと。
「ちょっとぉぉぉぉぉぉぉ!!」
声だけが遠ざかっていった。
セインとクリスは空を見上げる。
「……行ったな」
「行ったね」
「追うぞ!」
二人は走った。
しばらくして。
「いた!」
林の手前。
バッタ型魔物が止まっている。
その背中にはピエナ。
全身泥だらけ。
髪にも泥。
服にも泥。
顔にも少し泥。
「大丈夫か!?」
セインが駆け寄る。
ピエナがゆっくり振り返る。
「大丈夫に見える!?」
「泥だね」
クリスが言った。
「見れば分かる!!」
バッタ型魔物がびくっとする。
「ピエナ、声!」
「だって!」
後脚が沈む。
「あ」
「待って!」
ドンッ。
「いやぁぁぁぁぁぁ!!」
また飛んでいった。
セインとクリスは再び走る。
「怒鳴ると跳ぶな」
「たぶん怖がってるんだね」
「逃げたい相手を背中に乗せたまま逃げてるけどな」
「効率悪いね」
かなり悪かった。
二度目に追いついた時。
ピエナの姿はさらに悪化していた。
髪には葉っぱ。
細い枝。
よく分からない草。
なぜか小さな花まで刺さっている。
頭だけ森を一周してきたような状態だった。
セインが止まる。
「……森通ったんだな」
「感想それ!?」
ピエナが怒る。
クリスが髪から葉っぱを一枚取る。
「これ綺麗だね」
「拾わなくていい!」
「花もあるよ」
「飾りじゃないの!」
バッタ型魔物がまたびくっとした。
ピエナがすぐ両手で口を押さえる。
三人。
バッタ。
全員が固まる。
「……今度こそ静かに」
セインが小声で言った。
ピエナが無言で何度も頷く。
「降りられそう?」
クリスが訊く。
ピエナがゆっくり足を動かす。
その瞬間。
バッタ型魔物の背中が震えた。
ピエナが反射的にしがみつく。
後脚が沈む。
「待て待て待て!」
セインが《粘糸》を飛ばそうとする。
《粘糸》。
出る。
次に《吸着》で岩へ固定しようとして――。
「……っ」
胸の奥に引っかかり。
一瞬。
出ない。
「セイン?」
クリスが気づく。
その一瞬で。
ドンッ。
バッタ型魔物がまた跳んだ。
「なんでぇぇぇぇぇぇ!!」
ピエナがまた遠ざかる。
セインは胸へ手を当てた。
「……今、出なかった」
「《吸着》?」
「ああ」
もう一度。
今度は出る。
「使える」
「でもさっきは?」
「出なかった」
クリスの表情が少しだけ真面目になる。
「また、引っかかった?」
「……うん」
今回は明確だった。
遅れたのではない。
一度、発動しなかった。
セインは少し黙る。
だが、遠くから声がした。
「早く来てぇぇぇぇ!!」
「行こう」
「だな」
考えるのは後だった。
三度目に追いついた時。
セインとクリスは走りながらピエナを探した。
「いた!」
クリスが指さす。
バッタ型魔物。
その背中。
ピエナ。
二人は止まった。
「…………」
「…………」
ピエナがこちらを見る。
「何」
セインが言葉を失う。
クリスも真顔だった。
「髪が」
「髪が何?」
ピエナの髪は。
完全に丸かった。
ふわっ。
というより。
ぼんっ。
だった。
立派なアフロ。
セインが数秒考える。
「……増えた?」
「増えてない!!」
「すごく丸い」
クリスが言った。
「何が!?」
「髪」
「だから髪が何!?」
ピエナが自分の頭に触る。
止まる。
もう一度触る。
明らかにいつもの感触ではない。
「……何これ」
「俺たちも今来た」
「途中で何があったの?」
クリスが訊く。
「私が聞きたい!!」
ピエナが叫んだ。
バッタ型魔物が跳ねる。
「声!」
「もう知らない!!」
後脚が沈む。
ピエナが魔物の背中へしがみつく。
「ちょっと待ちなさいよ! 今度跳んだら本当に怒るからね!」
魔物には分からない。
ただ声が大きい。
怖い。
逃げたい。
ドンッ。
「本当に跳んだぁぁぁぁ!!」
セインとクリスは空を見上げた。
「怒るほど遠く行くな」
「面白いね」
「本人には言うなよ」
「うん」
二人はまた走った。
四度目。
ようやく追いついた場所は、小さな村の入口だった。
村人が何人か集まっている。
その中心。
巨大なバッタ。
その背中。
泥。
葉っぱ。
枝。
アフロ。
全部を装備したピエナ。
村人の一人が恐る恐る訊く。
「……旅人さん?」
「違います!」
ピエナが即答する。
村人がさらに困る。
「じゃあ……」
「私も分かりません!」
非常に正直な回答だった。
セインとクリスが到着する。
「ピエナ!」
「遅い!」
「ずっと追ってた!」
「私ずっと乗ってた!」
「知ってる!」
村人たちはますます分からない顔をしている。
ピエナがセインを指さす。
「早くこれ止めて!」
「分かった!」
セインは《粘糸》を広げる。
今度は慎重に。
バッタ型魔物の逃げ道を何本かの糸で狭める。
クリスも反対側へ回る。
「次、たぶん左!」
「任せた!」
バッタ型魔物が跳ぼうとする。
ピエナが低い声で囁く。
「跳ぶな」
バッタ型魔物が止まった。
三人。
村人。
全員が少し驚く。
「……通じた?」
クリスが言う。
ピエナがさらに低い声で言った。
「絶対に、跳ぶな」
バッタ型魔物は動かない。
「怖がってるだけじゃない?」
セインが言う。
「何でもいい!」
今度は声を上げない。
怒りを押し殺した声だった。
その方が怖かった。
セインがゆっくり近づく。
魔物の後脚を見る。
あれだけの距離を一気に飛ぶ。
ただの脚力ではない。
明らかにスキルだった。
「……欲しいな」
ピエナが振り返る。
「今それ言う!?」
「だって便利だろ」
「これ見ても!?」
ピエナは自分を指さす。
泥。
葉っぱ。
枝。
花。
アフロ。
「使い方の問題だろ」
「今その言葉一番聞きたくない!」
セインは思わず笑いそうになった。
だが。
右手を伸ばしかけて。
止めた。
胸の奥。
さっき《吸着》が出なかった。
最近増えた違和感。
そして今。
初めて実際に、スキルが一度発動しなかった。
セインは手を下ろす。
ピエナが気づく。
「……取らないの?」
「ああ」
クリスも見る。
「珍しいね」
「欲しいけどな」
「顔に出てる」
ピエナが言った。
「でも、今増やすのはまずそうだ」
セインは自分の胸を軽く叩く。
「原因分かるまでやめとく」
ピエナとクリスが少し黙る。
「ちゃんと考えたね」
「俺だって考える」
「じゃあ成長した」
「そこまで言うか?」
バッタ型魔物が少し身体を動かした。
ピエナが即座に振り返る。
「跳ぶな」
止まった。
「……ピエナの方がスキルみたいになってるね」
クリスが言った。
「怒圧?」
「そんなスキルない!」
最終的に、逃げたバッタ型魔物は村人たちにも手伝ってもらい、縄でしっかり固定された。
町務斡旋所へ連絡を送り、引き取りを待つことになった。
ようやく魔物から降りたピエナは、その場へ座り込んだ。
「疲れた……」
「今日は移動距離すごかったな」
セインが言う。
「旅じゃないからね?」
「ほとんどピエナだけ先に進んでた」
クリスが言う。
「だから旅じゃないって!」
ピエナは髪へ触れる。
まだ丸い。
「それよりこれ、どうやって戻すの」
セインとクリスが見る。
クリスが真面目に言った。
「似合ってるよ」
ピエナがゆっくり顔を上げる。
セインが一歩離れた。
「クリス」
「なに?」
「逃げろ」
「なんで?」
「いいから」
ピエナが立ち上がった。
「クリス」
「うん?」
「もう一回言って」
「似合っ――」
「待てクリス!」
その日。
バッタ型魔物はもう跳ばなかった。
代わりにクリスが、かなり跳ぶように走って逃げた。
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