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第25話 あと少し、でも寄り道

町へ入って最初に聞いたのは、王国認定勇者の話だった。


「勇者様なら昨日までこの町にいたよ」


宿屋の主人がそう言った瞬間、セインの動きが止まった。


「昨日?」


「そう。昨日の夕方まではいた」


ピエナがセインを見る。クリスも同じように顔を上げた。


三人の間に、同じ考えが走る。


近い。


かなり近い。


「どこへ行った?」


セインが身を乗り出す。


「東だよ。次の町へ向かったはずだ」


「いつ出た?」


「今朝」


「今朝!?」


主人が少し驚いて身を引く。


「お、おう」


ピエナの顔も一気に明るくなった。


「それなら、まだ追いつけるんじゃない?」


「追いつける」


セインは即答した。


根拠はない。


だが、今までより近いことだけは確かだった。


三人は宿を出ると、そのまま町の出口へ向かった。


途中、八百屋の前を通った時だった。


「あら、あんたたちも勇者様を追ってるの?」


店主のおばさんが声をかけてきた。


セインはすぐに足を止める。


「勇者のこと知ってるんですか?」


「昨日ここ通ったよ」


「何してました?」


「何って……うちの荷車が壊れてたのを直してくれたねえ」


セインは素直に頷いた。


「そうですか」


「あと隣の家の子どもが転んだ時も助けてたよ。ずいぶん優しい子だったね」


ピエナが笑う。


「やっぱりいい人なんだね」


「まあ、王国に選ばれるくらいだからな」


セインは特に驚いた様子もなく答えた。


クリスが横から見る。


「もっと気にするかと思った」


「何を?」


「ライバルなんだろ?」


「ライバルだけど、性格が悪いとは思ってない」


セインは普通に言う。


「王国が間違えて選んだだけだから」


ピエナが一瞬黙った。


「そこは本当にぶれないね」


「当たり前だろ」


勇者本人に罪はない。


少なくともセインの中では、問題なのは王国の選定だけだった。


その確信は、今日も恐ろしく頑丈である。


さらに進むと、今度は酒場の前で昼間から飲んでいる男がいた。


「勇者様か?」


聞こえてきた言葉に、セインがまた足を止める。


ピエナが笑った。


「全部拾うね」


「情報だから」


セインは男へ近づいた。


「勇者、ここに来たんですか?」


「ああ。昨日な」


「何してました?」


「魔物倒してた」


「どんな?」


「でかいやつ」


「どれくらい?」


男は両手を広げる。


「これくらい」


大きさの説明としてはかなり弱かった。


「強かった?」


「強かったんじゃないか?」


「見てないんですか?」


「遠かった」


「じゃあなんで知ってるんですか?」


「みんな言ってた」


情報の鮮度が急に落ちた。


ピエナが小声で言う。


「この人からはもういいんじゃない?」


「そうだな」


男はまだ何か話していたが、たぶんもう勇者の話ではなかった。


町の出口が見えてくる。


セインの足取りは自然と速くなった。


勇者は今朝ここを出たばかり。


次の町までは半日ほどだという。


休まず進めば、本当に追いつけるかもしれない。


「今回は真っ直ぐ行けそうだね」


ピエナが言う。


「ああ」


クリスも前を見る。


「どんなやつか、ちょっと楽しみだな」


三人が町の門を出ようとした、その時だった。


「すみませーん!」


後ろから声が飛んでくる。


三人が振り返ると、旅装の男が肩で息をしながら走ってきた。


「少し、お願いしたいことがありまして!」


セインは一瞬だけ街道の先を見る。


東。


勇者はこの先にいる。


今までで一番近い。


それでも、男の次の言葉を待った。


「丘を越える途中で、荷物袋を一つ落としてしまって……」


三人は黙る。


世界を救う話ではない。


魔物被害でもない。


「中身は?」


セインが聞いた。


「帳簿と商売道具です。高価な物ではないんですが、なくなると困るんです」


困っている。


それだけで十分だった。


セインはもう一度だけ街道を見てから、男へ向き直る。


「どこで落とした?」


ピエナがすぐに笑う。


クリスも自然に頷いた。


誰も文句は言わなかった。


三人とも、もうそういう旅の仕方になっていた。


依頼人は旅商人だった。


丘を越える途中、荷車の紐が緩んで小さな袋が落ちたらしい。


「この辺です」


男が示した先には、草の多い斜面と低い木々、少し先に岩場が広がっていた。


「広いね」


ピエナが周囲を見る。


「でも袋なら、転がってても下の方だろ」


セインは斜面を見下ろす。


クリスはすでに先へ進んでいた。


三人で草を分け、岩の陰や木の根元を確認していく。


だが、なかなか見つからない。


「ないね」


「もう少し下まで見よう」


急な場所では、セインが《吸着》を使って岩へ張りつき、少し高い位置から周囲を見渡した。


しばらくして、枝の間に何かが引っかかっているのが見える。


「何かある」


「袋?」


「たぶん」


セインは《粘糸》を伸ばした。


一本を枝へ、もう一本を袋へ絡ませる。


「いけそう」


ゆっくり引く。


袋が枝から外れた。


その瞬間。


ころころ。


「落ちた!」


ピエナが走る。


「そっち!」


クリスが先回りする。


袋は岩に当たり、さらに跳ねて斜面を転がっていく。


もともと探していた物を、今度は自分たちで逃がしていた。


依頼解決とは、時々こういう形で遠ざかる。


クリスが滑るように前へ出て、転がってきた袋を足で軽く止めた。


「取った」


「ナイス!」


セインとピエナも追いつく。


袋を開いて中を見ると、帳簿も商売道具も無事だった。


「大丈夫そうだな」


三人はそのまま丘を戻った。


旅商人は袋を見るなり、大きく息を吐いた。


「助かりました。本当にありがとうございます」


「中身、確認してください」


セインが袋を渡すと、男はすぐに口を開き、中の帳簿や商売道具を一つずつ確かめていく。


「あります。全部あります」


安心したように何度も頷いてから、男は少し申し訳なさそうな顔をした。


「それで、お礼なんですが……正直、今はあまりお金に余裕がなくて」


「別に金じゃなくてもいいですよ」


セインが答えると、男は少し考えてから荷車へ戻った。


やがて持ってきたのは、細長く丸められた一枚の紙だった。


「でしたら、これはどうでしょう」


地面の上で広げる。


三人が自然と集まった。


描かれていたのは、この町の周辺だけではなかった。


いくつもの町を結ぶ街道、森や川、丘陵地帯。細い道まで含めれば、かなり先まで続いている。


セインは地図の上を目で追った。


「これ、王都の方まで載ってるんですか?」


「細かい場所までは無理ですが、主要な道なら載っていますよ」


旅商人が指を置く。


「今いるのがこの辺りです。普通なら、この街道をそのまま東へ進みます」


そこから少し外れた位置に、細い線が一本伸びている。


「ただ、歩きならこっちも使えます。荷車では通りにくいので、商人はあまり使いませんが」


クリスが覗き込んだ。


「こっちの方が短いな」


「そうですね。道は少し悪いですが」


ピエナも地図を眺める。


「こうやって見ると、今まで結構大きい道ばっかり歩いてたんだね」


「知らなかったからな」


セインはそう言ってから、何か思い出したように自分の荷物へ手を入れた。


取り出したのは、以前手に入れた方位磁針だった。


「あ、それ!」


ピエナが声を上げる。


セインは方位磁針を地図の横へ置いた。


針が一定の方向を示す。


地図と見比べ、少し向きを変える。


「地図の向きと合わせれば……」


セインが地図を回す。


街道の向き。


近くの森。


川。


今いる場所。


それまで紙の上に並んでいただけの線が、少しずつ目の前の景色と繋がっていく。


クリスも興味深そうに覗き込んだ。


「これなら、どっちへ進んでるか分かるな」


「ああ。道が分かっても、向きが分からなきゃ迷うことはあるからな」


ピエナが地図と方位磁針を交互に見る。


「前よりずっと歩きやすくなりそう」


セインも頷いた。


以前は、町を出るたびに人へ道を聞き、分かれ道では看板を探し、それでも迷えば勘で進んでいた。


方位磁針を手に入れてから方向は分かるようになったが、それだけでは次の町がどこにあるのかまでは分からない。


今度は地図がある。


どこへ向かえばいいのかが分かり、そこへ進むための方向も確かめられる。


勇者との距離が縮まったわけではない。


今日だって、寄り道をした分だけ向こうは先へ進んでいる。


それでも、三人の旅は以前より少しだけ確かなものになっていた。


再び街道へ戻った頃には、空が少し傾き始めていた。


ちょうど前方から一人の旅人が歩いてくる。


セインはすぐに声をかけた。


「すみません。この先で勇者一行を見ませんでした?」


旅人は少し考え、やがて頷いた。


「ああ、見たよ」


三人の顔が一斉に上がる。


「いつですか?」


「昼前くらいだったかな。もう次の町へ向かってると思うよ」


セインは小さく息を吐いた。


ピエナも地図へ目を落とす。


「また少し離れたね」


「ああ」


クリスが地図を覗き込み、先ほど教えてもらった細い道を指した。


「でも、次はこっち使えるんだろ?」


セインもその線を見る。


「方角も確認できる。今までよりは早く進めるはずだ」


ピエナが笑う。


「じゃあ、まだ追えるね」


「もちろん」


セインは地図を丁寧に丸め、方位磁針と一緒にしまった。


勇者はまた少し先へ行った。


けれど、三人の手元には以前にはなかったものが増えている。


それがすぐに距離を縮めてくれるわけではない。


それでも、次に進む道を選ぶ時には、きっと役に立つ。


「行こう」


セインが言う。


「うん」


「おう」


三人は再び東へ向かって歩き出した。

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