第10話 猫じゃない
町を出てから、しばらくは何事もなかった。
東へ続く街道。
その横には林が広がっている。
セインとピエナは並んで歩いていた。
「今朝出たって言ってたよね?」
「王国の勇者?」
「うん」
「じゃあ今日ちゃんと歩けば、もっと縮まるかもな」
「追いつけるじゃん!」
「たぶん」
「じゃあ今日は寄り道しない!」
「昨日も言ってた」
「今日は本気!」
「昨日も本気だっただろ」
「じゃあ昨日より本気!」
基準は増えた。
信用は増えていなかった。
「ニャー」
二人が止まった。
「……今、猫いた?」
ピエナが林を見る。
「いたな」
「ニャーって言ったよね?」
「言った」
「猫じゃん!」
ピエナの顔が明るくなった。
「見に行こう!」
「寄り道しないんじゃなかった?」
「猫は寄り道じゃないよ」
「なんで?」
「猫だから!」
理由にはなっていなかった。
「ニャー」
「ほら!」
「近いな」
「行こう!」
二人は街道を外れた。
今日も予定は弱かった。
◇
「どこ?」
「この辺じゃない?」
ピエナが周囲を見回す。
木。
草。
低い茂み。
猫の姿はない。
「ニャー」
「あっち!」
二人は声のする方へ進む。
「野良猫かな?」
「こんな林にもいるのかな」
「いるんじゃない?」
「何食べるんだろ」
「魚?」
「林に魚いないだろ」
「じゃあ鳥?」
「猫って鳥食べる?」
「知らない」
「ニャー」
「いた!」
目の前の茂みが揺れた。
ピエナがしゃがむ。
「おいでー」
「出てくるかな」
「猫って警戒するから、急に近づいちゃ駄目なんだよ」
「詳しいな」
「可愛いから!」
知識の出どころは曖昧だった。
ガサッ。
茂みが大きく揺れる。
「来た!」
ピエナが笑う。
セインも見る。
大きな鼻。
太い首。
低く頑丈な身体。
左右から突き出した牙。
猫はいなかった。
猪がいた。
「…………」
「…………」
猪型の魔物が二人を見る。
「ニャー」
鳴いた。
ピエナがゆっくり立ち上がった。
「お前かよ!」
猪は答えなかった。
「ニャー」
「二回言うな!」
「ピエナ、下がれ」
「猫じゃないじゃん!」
「誰も猫とは言ってない」
「ニャーって言った!」
「こいつが勝手に言っただけだろ!」
猪が地面を蹴った。
「ニャアアアア!」
「来る!」
「声だけ可愛い!」
突進は可愛くなかった。
◇
セインが横へ飛ぶ。
猪の牙がすぐ横を通った。
「速っ!」
着地。
猪はすぐに向きを変える。
「また来る!」
セインは近くの木を見る。
その幹に手をついた。
《吸着》。
手のひらが幹に張りつく。
足も。
「よっ」
そのまま身体を持ち上げる。
木の幹を数歩登る。
ピエナが目を見開いた。
「もう登れるの!?」
「解除の仕方分かった」
「昨日取れなくなってたのに!」
「ちょっと練習した」
細かい練習は、もう終わっていた。
「セイン!」
「ん?」
「それ、ちょっと気持ち悪い!」
「便利だろ!」
「便利だけど!」
猪が木の下へ来る。
見上げる。
「ニャー」
「可愛い声で見るな」
セインは指先から《粘糸》を出す。
一本。
二本。
三本。
猪の背中と前脚に付着する。
「取った!」
猪が暴れる。
糸が張る。
「うわっ」
今までなら、セインの身体も引っ張られていた。
だが今は違う。
手。
足。
木の幹へ吸着している。
「……動かない」
セインが少し笑った。
「これ便利だな」
「今言う!?」
「今分かったから!」
猪がさらに強く引く。
木が揺れる。
セインの身体は幹から離れない。
「ニャアア!」
「鳴きながら暴れるな!」
「怒ってるね!」
「分かるの?」
「声が大きい!」
「それだけだろ!」
セインは糸を一本、隣の木へ飛ばす。
猪の進む方向を変える。
もう一本。
後ろ脚へ。
猪の身体が少し傾く。
「ピエナ!」
「分かってる!」
ピエナが前へ出る。
両手を向ける。
「そこ押さえてて!」
「押さえてる!」
「動かないで!」
「俺は動いてない!」
「猪!」
「そっち!?」
猪が暴れる。
セインは《粘糸》を引く。
真正面から止めるのではなく、少し横へ。
突進しようとした力が、そのまま身体を傾ける。
猪の足が滑った。
「今!」
「《爆裂》!」
ドンッ!
爆発。
地面が揺れる。
煙が上がる。
「ニャアアアア!」
「まだ鳴くの!?」
猪が煙の中から飛び出した。
「倒れてない!」
「丈夫だな!」
「もう一発いく!?」
「待って!」
猪が再びセインを見る。
木の上。
届かない。
次にピエナを見る。
「え」
ピエナが一歩下がった。
「こっち見た」
「走れ!」
「ええ!?」
猪が突進する。
「ニャアア!」
「可愛くない!」
ピエナが走る。
セインは木から木へ糸を飛ばす。
猪の横腹へ一本。
後ろ脚へ一本。
「ピエナ、右!」
「右!?」
「そっち!」
「分かった!」
ピエナが方向を変える。
猪も曲がる。
その瞬間。
セインが糸を強く引いた。
足がずれる。
身体が横へ流れる。
猪がそのまま木にぶつかった。
ゴンッ。
「ニャ……」
「鳴き方弱くなった!」
「そこ見る?」
猪はふらつきながら立ち上がる。
それでもまだ逃げない。
「元気だね」
「もう一発必要そうだな」
「今度こそ?」
「ああ」
セインは木から降りない。
高い位置から糸を張る。
猪の前脚。
後ろ脚。
首の近く。
動きを止めるのではない。
動く方向を狭める。
「ピエナ!」
「うん!」
猪が踏み込む。
糸が張る。
身体が崩れる。
そこへ。
「《爆裂》!」
今度は真正面。
爆音。
猪の身体が地面を転がった。
しばらく動かない。
「……倒した?」
ピエナが近づく。
「まだ行くな」
「でも動いてないよ」
「さっきも動いてた」
「じゃあちょっと待つ」
二人で待った。
「…………」
「…………」
「ニャー」
「まだ生きてる!」
「鳴いた!」
猪が立ち上がる。
だが今度は、二人を見るなり反対方向へ走った。
「逃げた!」
「追う?」
「いや」
「いいの?」
「襲ってこないならいいだろ」
猪は林の奥へ消えていった。
しばらくして。
「ニャー」
遠くから聞こえた。
「やっぱりお前なんだ」
◇
セインが木から降りる。
手。
足。
順番に《吸着》を解除する。
「もう普通に使えてるね」
「まあな」
「昨日あんなに取れなかったのに」
「解除の仕方が分かれば簡単だった」
「へえ」
ピエナが少し考える。
「ねえ、セイン」
「何?」
「糸出すよね」
「出す」
「壁とか木にくっつくよね」
「くっつく」
「上から糸で捕まえるよね」
「捕まえる」
「…………」
ピエナがセインを見る。
「蜘蛛じゃん」
「違う」
「何が?」
「《吸着》はタコから取った」
「糸は?」
「別の魔物」
「でも蜘蛛じゃん」
「違うって」
「じゃあ今の戦い方何?」
「勇者」
「蜘蛛でしょ」
「勇者だよ」
出どころは違った。
見た目はかなり怪しかった。
◇
二人は街道へ戻った。
「猫じゃなかったね」
「最初から猫じゃなかった」
「でもニャーって言ってた」
「鳴き声がニャーなだけだろ」
「紛らわしい!」
「本人に言えよ」
「もういないじゃん」
「追う?」
「それは嫌」
判断は早かった。
「でもさ」
「何?」
「《吸着》、結構使えるな」
「木に登れるもんね」
「糸引っ張っても身体動かなかったし」
「戦い方、変わったね」
「うん」
セインは自分の手を見る。
《粘糸》。
《吸着》。
一つずつなら、そこまで強い能力ではない。
だが組み合わせると、できることが増える。
「……もっと色々使えそうだな」
「蜘蛛になる?」
「ならない」
「もうなってるよ」
「なってない」
二人は歩き続けた。
東へ。
王国の勇者を追って。
「今日はもう寄り道しないからね!」
「猫がいても?」
「猫なら考える!」
「猪だったけど」
「次は本物かもしれないじゃん!」
反省はしていなかった。
◇
夕方。
二人は次の町へ着いた。
門をくぐってすぐ、セインは近くの店主に声をかける。
「王国の勇者、ここ通った?」
「ああ。今朝出てったぞ」
「今朝!?」
「朝!?」
二人が同時に叫ぶ。
「東へ行ったよ」
セインとピエナは顔を見合わせる。
「もうすぐじゃん!」
「かなり縮まった!」
「明日追いつくかも!」
「いける!」
二人の気分が一気に上がる。
「明日は絶対寄り道しない!」
「今度こそ!」
今日も同じことを言っていた。
実績は、まだなかった。
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