第9話「告発状は3通目です」
所在申告書は、自分で様式から作った。
時刻の列、場所の列、行動の列。17時から翌朝9時までを30分ごとに割って、全部埋めた。夕食。入浴。それから机。最後に就寝。就寝の欄には『就寝(推定)』と書いた。寝ているあいだの所在を自分で申告するのは、原理的に無理がある。
30分の枠がひとつも空いていない。これで文句はないはずだ。
王宮の執務室の前で、ヨアヒム・ブラント様が出てきて書類を受け取った。
「お預かりします、公爵令嬢。殿下へお渡ししておきます」
「ご本人にお渡ししたいのですが」
「いま東の使節の方々とご一緒です。あと4分で出てこられます」
4分。分単位で把握されている。なんで4分って分かるの。
待つあいだ、私は廊下に立って、この人の手が動くのを見ていた。
使いの者が来る。ヨアヒム様が受け取る。封を切り、通す分と止める分に分ける。門番が指示を仰ぎに来る。ヨアヒム様が答える。日程表を挟んだ板が運ばれてくる。ヨアヒム様が1行書き換えて返す。
王宮の門の通行証も、ここで1枚ずつ数えられて配られていた。殿下の1日のかたちが、この廊下で決まっている。
便利な人だ。仕事を持ってくる人はいくらでもいる。仕分ける人が、この王宮にはひとりしかいない。
「ヨアヒム様。先日の見張りの件ですけれど」
「2名の手配でしたら、いつでも」
「殿下は、伝える相手がいないとおっしゃったんです。ヨアヒム様がここにいらっしゃるのに」
ヨアヒム様は封を切る手を止めずに、少しだけ首を傾げた。
「私がお預かりしているのは、殿下の手の届く範囲までです。書類と日程と、人の出入り。夜のことまでは伺っておりません」
丁寧な声だった。丁寧すぎて、断られたのか慰められたのか分からない。
扉が開いて、殿下が出てきた。
「申告書を読んだ」
早い。ヨアヒム様が渡してから、たぶん1分も経っていない。
「30分ごとに割ってあります。前世の勤怠表より精度が高いです」
「就寝、推定、とある」
30分ごとに割った表から、殿下が拾ったのは『推定』の2文字だった。中身のほうには、一度も触らない。
「そこは自己申告の限界です」
「つまり、申告では足りない」
嫌な予感がした。
殿下は折り目のついた紙を取り出して、廊下の窓枠の上で広げた。第7条の行に、二重線が引かれる。その下に新しい一行が伸びていった。
『第7条を改める。就業時間外、ウィンズロウ公爵令嬢は上司の視界にあること』
「視界」
「そうだ」
「それはもう勤務ではありません。監視です」
「これは仕事ではない」
言い返そうとして、言葉が出てこなかった。
仕事ではない、というのは否定の言葉のはずだ。監視ではない、でも、管理でもない。ではいったい何なのかというと、この人は続きを言わない。言わないまま紙を畳んで、内ポケットへ戻した。
そこで、ひとつ腑に落ちたことがある。
17時の鐘のあと、私はいつも王家の馬車に乗せられてきた。うちの馬車は帰されている。あれを私は、定時退勤の徹底なのだと思っていた。上司が部下を家まで押し込んで、確実に終業させているのだと。
違った。あれは17時から公爵邸の門までのあいだ、私を視界に入れておくための時間だ。条文になる前から、この人はもう運用していた。
「殿下。今日の17時以降、私はどこにいれば」
「私の見えるところだ。場所は毎日変わる」
「行き先は事前に教えていただけます?」
「教える」
意外と融通が利く。
殿下は次の用へ歩いていった。ヨアヒム様が板を抱えて後ろにつく。廊下の角を曲がるところで、殿下だけが先に扉の中へ入り、ヨアヒム様は扉の外に残った。
残った人のところへ、別の使いが封書を届けた。
私は階段を降りかけていた。降りかけて、背中で聞いた。さっきの、丁寧すぎる声だ。
「告発状は3通目です。夜会までには揃いますよ」
足が止まった。
告発状。
表書きに『ウィンズロウ公爵令嬢の悪行について』とあった、あの束。誰かが書いた紙が封をされて王宮へ届いている。あの厚み。あれが3通目まで来ている。そして夏至の夜会までに揃う予定になっている。
揃う。揃うというのは、数が足りて、使える形になるということだ。
つまり夜会で読み上げられる。罪状として。
胸の奥が鳴った。前世で、出したことも忘れていた申請が通ったときの音に似ている。
殿下は却下しかしない。第5条を盾に、私の退職を90日ぶん止め続けるつもりでいる。でも、罪状のほうが先に揃ってしまったら? 上司の承認が要るのは退職のほうで、断罪ではない。
誰かが私の退職の書類を、私の代わりに整えてくれている。
階段を戻って、廊下の角から顔を出した。ヨアヒム様が封書を胸の内へしまうところだった。赤い封蝋。通す分の山にも、止める分の山にも入らなかった。私に気づくと、丁寧に礼をする。
「何かお忘れものでしょうか、公爵令嬢」
「いいえ。お仕事のお邪魔をしました」
私は深く頭を下げた。
どうか夜会までに、全部揃いますように。




