第7話「残業申請書30通、承認1通」
2枚目からは読む、と殿下は言った。
つまり2枚目以降には勝ち目がある。私は夜どおし机に向かって、残業申請書を30通書いた。様式は台帳の後ろから写した。欄は4つある。申請者と日時。悪事の内容。必要な理由。
理由欄を30通ぶん全部ちがう文面にするのに、明け方までかかった。同じ理由を並べると、束ごと突き返される。
翌朝、王宮の執務室へ持っていった。
「30通です。理由欄は全部ちがう文面にしてあります」
「多いな」
殿下は束を受け取って、いちばん上から読みはじめた。読む速度が尋常ではない。1通あたり、たぶん息を1つ吸うくらい。そのたびに右手の印が紙へ落ちる。
却下。却下。却下。
「殿下。もう少し情のようなものを差し挟んでいただけませんか」
「読んでいる。内容がすべて『夜のうちにやりたい』だ」
「それが残業というものの定義ですので、仕方がないかと」
却下。却下。
紙の山が机の左から右へ移っていく。速いというのは、つまり全部読まれているということだ。読まずに判を押す人の手は、もっと軽い音がする。
29通目が右の山に乗ったところで、殿下の手が止まった。
30通目。私は何を書いたか覚えている。最後の1枚は、もう半分やけくそだった。
『夏至の夜会の席次表を書き換える。悪事として最大の効果が見込まれる』
「これは承認する」
「……はい?」
いま承認って言った? 29通たてつづけに落としてきた人が?
「その夜、私も席次表を見ている。19時から執務室だ。来い」
承認欄に、却下ではない印が落ちた。29通と同じ場所に、ちがう色で。赤ではなく、濃い藍。却下の印と承認の印は、色から違う。
承認された残業の中身をもう一度読み返す。読み返して、気づいた。
これ、殿下の残業に私が付き合う日程だ。
「殿下。これは私の残業ですか、殿下の残業ですか」
「両方だ」
答えになっているようで、なっていない。でも殿下はもう次の書類へ移っていた。学園へ出る前に片づける分があるらしい。私は椅子をすすめられたので座って、待つことにした。
待つあいだ、机の端を見た。
日程表が広げてある。左の列が時刻、右の列が用件。前世の私はこういう表を、他人のぶんまで毎日読んでいた。読めば、その人の1日がどう詰まっているかは分かる。表の字は几帳面で、行の高さがぴたりと揃っていた。私の知らない字だ。
6時、書類。7時半、陛下。9時、学園。11時、東の使節。12時、学園。14時、御前会議。16時、南部の陳情。
会議が減っていない。ひとつも空いていない。
そして、その表の行と行のあいだに、細い字で書き足されているものがあった。そこだけが殿下の字だった。
『9時12分 東棟3年教室』
『12時40分 食堂』
『16時55分 中央棟掲示板』
私だった。
私の悪事の時刻が、会議と会議の隙間に差し込んである。使節と学園のあいだ。御前会議の前。どこかの予定を消してそこへ入れたのではない。消された行がひとつもない。もとの予定は全部そのままで、私の時刻だけが後から足されている。
この日程を組んでいるのは、殿下ではない。
じゃあ、どこから出てきたの。この時間。
1日は24時間しかない。答えが合わないとき、私は自分の睡眠から引いていた。引けるものが他になかったからだ。
殿下の日程表には、引いた跡の欄がない。
「ウィンズロウ公爵令嬢。何を読んでいる」
顔を上げると、殿下がこちらを見ていた。私の視線の先を追って、日程表を裏返す。手つきが少し速かった。
裏返した拍子に、机の端の束がずれた。
紙の束だった。厚い。いちばん上の一枚に表書きがある。
『ウィンズロウ公爵令嬢の悪行について』
赤い封蝋。切ってあるものと、切っていないものが混ざっている。
「殿下。それ、私の名前が書いてありますけれど」
「見るな」
「定時内なら受理する、とおっしゃったのは殿下ですが」
「9時からでも見るな」
規定の外から断られた。あの束にだけは、時刻が効かないらしい。
でも、書いてある文字は読めた。私の名前と、悪行について。
私の悪行が文書になっている。王宮の机に、束で積まれている。誰かが書き、封をして、ここへ届けている。しかも、あの厚みだ。
顔が緩みそうになるのを、両手で押さえた。
前世の私の仕事は、紙にならなかった。やった日も、やらなかった日も、机の上の高さは同じだった。
こんど断罪の日に必要になるのは、まさにあれだ。罪状の書かれた紙の束。夜会で読み上げるための。
殿下は封の切られていない一通を上着へしまって、私を見ないまま言った。
「19時だ。遅れるな。門で名を言えば通る」
返事をして、扉まで下がった。下がりぎわに、もう一度だけ束を見た。
私の勤務評定は、思っていたよりずっと分厚い。




