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転生した悪役令嬢ですが、悪事で残業ばかりしていたら、王子が定時で終われとルールを定めてきます  作者: 夜凪 蒼


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第5話「私じゃない誰かが、ちゃんと悪いことをしている」

朝の廊下がざわついていた。


理由は途中の踊り場で分かった。寮の物干しで、ネリー・ハルトマンの制服が切られた。襟から裾まで、刃物で一直線に。


やった。


いや、やっていない。私はやっていない。やっていないのだけど、これは。


「ウィンズロウ公爵令嬢。応接室へお越しください」


呼ばれた。廊下の視線が一斉にこっちへ寄ってくる。悪役令嬢が疑われている。当然だ。私は先週から彼女の帳面に墨をこぼし、靴を隠し、表彰を剥がしかけている人間である。


前世でもこの空気は知っている。誰かがやらかす。犯人はまだ決まっていない。そういう朝は、いちばん怪しい人間のところに全員の目が集まる。あのときの私は、目を伏せて自分の席へ逃げる側だった。


今世は違う。今世の私には、これが要る。


応接室には学園長と舎監、それから王家の紋の入った上着の若い男が座っていた。窓際に殿下が立っている。台帳を小脇に抱えて。隅の椅子にネリー・ハルトマンが浅く腰かけていた。


「昨夜、見回りは0時と1時に入っております」と舎監が言う。「0時には何もございませんでした。1時に、あの状態で」


1時間。犯行の幅が1時間しかない。狭い。……狭いって何を評価してるの、私は?


「私がやりました」


手を挙げた。挙げてから、背筋が伸びた。自白で背筋が伸びる人間がいるだろうか。ここにいる。


「動機もございます。先週から私はハルトマン様の持ち物に手を出しています。帳面、靴、表彰。そこへ制服が加われば、並びとして整います。夏至の夜会で読み上げていただくのに、ちょうどよろしいかと」


「ロザリンド様、違います」


ネリー・ハルトマンが立ち上がった。


「ロザリンド様は昨日、17時の鐘が鳴ってすぐお帰りになりました。正門でお見送りしましたので、わたし、覚えています」


「ハルトマン様。今は黙っていてくださる?」


「でも」


「私にとって不利な証言が要るんです。有利なほうはいりません」


学園長の眉が下がった。王家の上着の男が、書きものの手を止めてこちらを見ている。


殿下が台帳を開いた。


「昨夜0時15分から0時40分。東棟の渡り廊下。ハルトマン嬢の傘を隠している。括弧、雨樋の詰まりを取って戻す」


「殿下」


「0時40分から1時10分。王家の馬車。残業申請書の記入。2枚目。却下」


部屋が静かになった。


「以上が昨夜の記録だ。0時から1時のあいだ、ウィンズロウ公爵令嬢は私の目の前にいた。物干しへ行く時間はない」


嘘でしょう。ちょっと待って。


あの台帳は、私の悪事を1件ずつ数えて断罪の材料にするためのものだと思っていた。深夜2時の花壇。9時12分の墨。16時55分の鋲3本。全部あとで読み上げるために書かれているのだと。


違った。


あれは、私が何時にどこにいたかの記録だ。


書かれれば書かれるほど、私はどの夜も潔白になっていく。90日ぶんの悪事を積み上げたところで、その全部に殿下が「私は見ていた」と署名を添えてしまう。


私の退職が、逆向きに遠ざかっている。積めば積むほど遠ざかる実績って何。


「殿下。恐れながら」


舎監が身を乗り出した。


「公爵令嬢には、どなたかお付けになるべきかと存じます。夜半に外へ出られる方を毎晩どなたかが見ている、という形にしておけば、今回のようなときに疑いがすぐ晴れます」


正論だった。正論すぎて、私以外の全員がうなずいている。


「手配いたします」


王家の上着の男が立ち上がった。丁寧な声で、私に向かって頭を下げる。


「申し遅れました。ヨアヒム・ブラントと申します。殿下の身辺をお預かりしております。人選は本日中に。当家の者でよろしければ2名、寮の勝手口と東門に。記録は日ごとに殿下へ上げさせます」


早い。舎監が言い終わる前から、ヨアヒム様の手はもう動いていた。人選を書きつける手つきだった。


「記録は私が取る」


殿下だった。


殿下は私を見ていない。ヨアヒム様の手元を見ている。人選を書きかけた、その手を。


「殿下、お手の空かない日もございましょう。そういう日だけでも」


「空かない日はない」


ヨアヒム・ブラントは目を伏せて、それ以上は言わなかった。舎監も学園長も、それで話が終わったという顔をしている。終わっていないのは私だけだ。


応接室を出て、廊下の窓から物干しを見た。


切られた制服はもう下ろされていた。竿だけが残っている。襟から裾まで一直線。あれをやった人は、途中で雨樋が気になったりしない。途中で洗って干し直したりもしない。切って、そのまま帰った。


上手い。


悪事というのは本来ああいうものだ。私のように、掘った土をふかふかにして帰ってきたりしない。


つまり、私ではない誰かが、この学園でちゃんと悪いことをしている。


夏至の夜会まで90日と数えたのは、つい先日だ。そのうちの何日かが、もう過ぎている。私の退職はまだ1枚も承認されていない。


その人のことを、私は応援することにした。

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