第4話「休日に悪事はできません、と言われた休日」
休日の朝は9時に目が覚めた。始業の鐘が鳴らない日なのに、体のほうが勝手に起きる。
第3条、休日の悪事を禁ずる。つまり今日は、何もしてはいけない日だ。
というわけで私は机に向かって、来週の悪事計画表を作っている。
月曜、ハルトマン嬢の花瓶の水を替えない。火曜、教室の鍵をひとつだけ掛け違える。水曜は空けておく。予備日を取らない計画は必ず崩れる。前世で身につけた知恵のうち、いまも使えているのはこれくらいだ。
「お嬢様。お茶をお持ちしました」
マルテが盆を置いた。廊下を歩いてくる速さが、平日とまったく同じだった。
「マルテ。これ、悪事に見える?」
「計画表に見えます。月曜と火曜のあいだが1行空いておりますが、そちらは」
「水曜は予備日なの。悪事は必ず押すから」
計画は悪事ではない。悪事の手前だ。第3条が禁じているのは悪事であって、その手前ではない。書いていないことは行えない。殿下が自分でそう言った。
「旦那様が大変お喜びでいらっしゃいました。殿下が毎日、車寄せまでお送りくださると。夏至の夜会の席次についても、二度お尋ねがございました」
お喜び。うちの父は、娘が深夜に花壇を掘り返していることを知らない。知っているのは王家の馬車が毎晩この門をくぐるという一点だけで、公爵家としてはそこで話が終わっている。婚約者に国印つきの書類で勤務時間を切られている娘について、この家ではまだ誰も何も訊いていない。席次は二度訊く。娘には一度も訊かない。
……訊かないものなの? まあ、訊かれたら困るのは私なのだけど。
ありがたい職場だ。
「そのお庭に、殿下がいらっしゃっています。生垣のところで、もう15分ほど。玄関へお通ししようとしたのですが、動かれませんでした」
生垣の切れ目に、昼の制服が立っていた。休日である。休日なのに、襟まで留めてある。
「殿下。本日は第3条の日ですが」
「知っている。その条文は私が書いた。それは何だ」
私の手の中の紙を見ている。隠しても遅い。
「計画表です。悪事ではありません。書いていないことは行えないと、殿下がご自分でおっしゃいましたので」
殿下は上着の内から折り目のついた紙を出して、庭の石卓に広げた。羽根ペンがどこからか出てくる。第3条の行の下に、乾いていない字が一行増えた。
『休日の悪事の準備を含む』
「その場で足すのは、ずるくないですか」
「運用だ」
来週ひとぶんの悪事が、折られて内ポケットへ消えていった。1週間ぶん考えた並び順だったのに、紙は畳まれるときに2回しか折られなかった。あれはもう読まれている。
「これから1時間、何もするな。そこに座って、何もしない」
「何もしない、というのは、具体的に何をすればいいんでしょう。手順を教えていただけると助かります」
「何もしないを、する」
東屋に座らされた。殿下は向かいに腰を下ろして、それきり何も出さない。台帳も、鐘も。手ぶらの殿下というものを、私はどう扱っていいのか分からない。これ、監督されているんだよね?
近い。角灯も机も挟まっていないので、顔がそのまま見える。目の下が、薄く沈んでいた。昨日の霜の朝も、その前の雨の夜も、この人は外にいたはずだ。
膝の上で手を組んでみる。指が動く。組み直す。まだ動く。
東屋の柱に薔薇が絡んでいて、枯れた枝が何本か混ざっていた。枯れ枝を残すと、隣の生きている枝まで蒸れる。庭師の籠がすぐそこに置いてある。鋏の柄がこっちを向いている。
気がついたら、私はその柄を握っていた。
「切っていません。枯れ枝が混ざっているのが見えただけです」
「15分だ」
「15分て。1時間のうちの15分ですよ。早くないですか」
「早い」
鋏を戻して座り直した。今度は庭のほうを見ないようにしたのに、目が勝手に東屋の下の水はけを測っている。雨のあと、ここは必ず溜まる。溝を一本だけ引けば——
「掘るな」
「まだ何も掘っていません。見ていただけです」
「膝が向いた」
膝で分かるんだ。
残りの時間で私にできたのは、何もしないことについて考えることだけだった。何もしないって、どうやるの? 手を止めるところまでは分かる。そのあと何をするかが分からない。前世でも有休は取った。取った日に洗濯と買い出しと部屋の片付けを全部やる。月曜にはへとへとで出社している。あれは休みではなく、家でやる残業だ。
つまり私はこの技能を、2つぶんの人生で一度も習っていない。
帰り際、正門まで送った。
門の外に馬がいた。2頭。鞍の横に人が立っていて、私と目が合うと頭を下げる。少し先の木の下にもうひとり、手綱を持ったまま控えていた。
人はいた。
差し入れの話をしたとき、殿下は伝える相手がいないと言った。私はあれを、誰もいないという意味で聞いていた。門の外にはこうして人が立っている。雨の日も霜の日も、彼らはここで待つのだろう。
待つのが仕事の人たちには、交代がある。
花壇まで来るのは、いつもひとりだ。




