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転生した悪役令嬢ですが、悪事で残業ばかりしていたら、王子が定時で終われとルールを定めてきます  作者: 夜凪 蒼


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第3話「退職には、上司の承認が要る」

17時の5分前、私は中央棟の大階段の脇にいた。今週の表彰が貼り出されている掲示板。『魔法理論 最優秀 ネリー・ハルトマン』。留め鋲が四隅に打ってある。


1本目を抜く。2本目を抜く。3本目に指をかけたところで、鐘が鳴った。


時計塔の大きいほうだ。学園中の窓を震わせて夕方の空へ抜けていく。


振り向かなくても分かる。


「本日の悪事、終業」


「殿下、あと1本なんです。留め鋲が4本のうち3本だけ抜けた紙って、いちばん格好悪いんですよ。片側だけめくれて風に鳴って。掲示としても悪事としても失敗です」


「明日の9時に抜け。今日のぶんは無効だ」


「明日の9時には彼女が気づいて打ち直しています」


「では明日の9時に、打ち直されたものを抜け」


無限じゃないですか、それ。


私は抜いた鋲を元の穴に戻した。四隅がまた揃う。揃えてから、自分が何をしているのか分からなくなった。悪事を、原状回復している。


殿下は中庭を抜けて正門へ歩いていく。私もついていった。話の途中だし、この人は私の上司ということになっているので。


門の外に、王家の馬車が停まっていた。


「乗れ」


「あの、うちの馬車が門で待っているはずですけど」


「帰した。お前の家の馬車も、17時に帰らせた」


私の実家の馬まで定時で退勤している。


馬車が動き出すと、殿下は膝で台帳を開いた。揺れに合わせて手首だけを浮かせて書く。向かいの席から、逆さまの字を読んだ。


『本日 16時55分 中央棟掲示板 ハルトマン嬢の表彰を剥がす(鋲3本、のち本人が戻す)』


「のち本人が戻す、まで書きます? いりますか、その一行」


「事実だ。書かない理由がない」


事実。事実なんだけど、書かれると悪事の記録が私の勤務評定になってくる。


頁をめくらせてもらった。殿下は止めなかった。一昨日の中庭の頁。


『5時10分〜5時27分 ハルトマン嬢の靴を磨く』


磨きはじめた時刻と、磨き終わった時刻。17分。


「殿下。お願いがあるんですけど」


「申請書の様式は台帳の後ろだ」


「そうじゃなくて。見張りの方のことです」


殿下の羽根ペンが、紙の上で一度だけ浮いた。


「私についている方ですよ。深夜2時とか朝の5時とか、あんな時間に外にいらっしゃるわけでしょう。昨夜は雨になりそうでしたし、一昨日の中庭は霜が降りていました。風邪をひかれたら寝覚めが悪いので、温かいものを差し入れさせてください。人数だけでも教えていただければ」


殿下はしばらく書いていた。それから台帳を閉じないまま顔を上げる。


「伝える相手がいない」


聞き間違いかと思って、もう一度お願いしますと言った。殿下は同じ言葉を同じ速さで繰り返した。


うちの馬車を帰らせた誰かがいて、いまも御者台に人がいる。人はいる。いないのは、伝える相手だけだ。


馬車が轍を踏んで揺れる。殿下は膝の台帳を押さえた。親指の腹が黒い。今朝、私が教室でひっくり返した墨だ。誰も言わないんだ。


窓の外、麦畑の向こうがまだ明るい。日が伸びている。


夏至が近い。


夏至の夜会。ゲームの終盤だ。大広間で王太子が悪役令嬢の罪を並べ、婚約を破棄し、彼女は辺境へ追われる。あと90日。


90日。四半期ひとつぶん。悪くない。


「殿下。夏至の夜会で、私を断罪してください」


書く音が止まった。


「理由を」


「退職したいんです。断罪されて辺境へ追放されたら、私、寝られるんですよ。領地には何の仕事もない。朝も夜もない。悪事もない。それまでの90日はきちんと勤め上げます。夜会で罪状を読み上げていただければ、正式に辞められます。退職金の代わりに辺境の空気をいただく形で」


「夏至の夜会までです。もう数えてあります」と付け足した。


殿下は台帳を閉じた。


「却下」


「……はい? いま却下っておっしゃいました?」


「退職には、上司の承認が要る」


「そんな条文、第4条までにはありませんでしたけど」


「第5条だ。今朝のうちに足した」


また今朝。この人の今朝は何時間あるんだろう。


殿下は折り目の四つついた紙を広げて見せた。第4条の下に、乾いたばかりの字で一行増えている。脇の封蝋はまだ柔らかくて、爪を当てたら跡がついた。王印。国の印が、私の退職願を止めるためだけに、今日で二度押されている。


馬車が公爵邸の車寄せへ入った。降りる前に、もう一度だけ訊いた。


「殿下。ひとつだけ教えてください。なぜ却下するんです」


殿下は台帳を開いて、今日の頁に何か書き足した。それから、私を見る。


「明日は9時からだ」


答えになっていない。


扉が閉まって、馬車は行ってしまった。私は退職願を却下された社畜として、自分の家の車寄せに立っていた。手にあるのは、まだ1枚も承認されていない残業申請書が1枚。私の1週間ぶんは、走っていった馬車の台帳の中にある。


昨夜は雨になりそうだった。一昨日の5時は霜。あの人は、伝える相手がいないと言った。


あと90日。


90日ぶん、この人は自分で外に立っているつもりでいる。


なんで却下するの。

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