第27話「——以上の罪の時刻、被告は私と共にいた」
「——以上の罪の時刻、被告は私と共にいた」
広間の音が、そこで全部落ちた。
顔を上げた。罪により、のあとに来るのは追放とか廃嫡とか、そういう語のはずだ。
「殿下。お言葉の意味を測りかねます」
宰相閣下の声だった。
「被告の罪状は、ただいま読み上げたとおりにございます。そこへ婚約者であられる殿下の私記を差し挟まれても」
「私記ではない」
殿下は台帳を卓へ置いた。
「王印つきの勤務規定に、就業時間外の悪事は上司が代わって記録すると定めてある。これはその紙が書けと命じている記録だ。私的な覚え書きであれば、閣下が先日わざわざ王印の使用を数え上げられることもない」
閣下の口が閉じた。
私はあの日、小広間でそれを思っただけで黙っていた。黙っていたぶんが、いま卓の上に置かれている。
「加えて、ただいま私が承認した退職には一行ついている」
殿下が承認の紙を持ち上げた。さっき書き足した、あの一行だ。
『効力は、本夜会の閉会をもって生ずる』
「閉会まで、被告はまだ勤務中である。私はまだ上司だ。上司が部下の勤務記録を読むのは職務にあたる」
そういうことか。
退職が通った人間を、通した当人が勤務中のまま卓に置いておく? そんな運用、どこの職場にもない。
前世で一度だけ見たことがある。引き継ぎのために最終出社日を延ばされた人の、あの顔だ。
殿下が台帳を開いた。
「読み上げられた罪のうち、寮の勝手口の件。23時40分。被告は王宮の西回廊にいた。私の正面だ。窓辺の椅子で何もしていない。そのあと王家の馬車で公爵邸の門まで送り、門に着いたのは0時20分。門番が見ている」
「お待ちください。被告本人が、すべて自分の仕事だと申しております」
「認めたのは着手だ。第2条、17時に鐘を鳴らし、以後の悪事は無効とする。深夜2時も1時半も0時15分も鐘のあとだ。着手のほうは括弧で閉じてある。土は耕され、朝食は味見して戻されている」
広間のどこかで、笑いをこらえた音がした。
殿下は頁をめくっていく。私がどこにいて、何をしていたか。
『19時8分 西回廊 窓辺。日が落ちるまで外を見る』
『19時24分 鐘楼の上を鳥が通る。目で追う』
『22時51分 眠る。18分』
やめてください。
罪の時刻を潰すために、私が何もしていなかった時間が配られていく。鳥を目で追った回数まで。
「殿下。その台帳は、私がお預かりして整えたものでございます」
ヨアヒム様だった。声はまだ丁寧だ。
「整えました頁から、定時後の記載は割愛してございます。いま読み上げておられるのは、殿下が後から書き起こされたもの。記憶は証拠とは申せません」
正しい。この方はいつも正しい。
壁ぎわで、文箱の蓋が開く音がした。
マルテが卓まで来て、紙の束を置く。置いて、一歩下がる。
「却下印の押された残業申請書でございます。90通」
通数だけ言って、あとは黙っていた。
閣下が束を取って、理由欄をめくっていく。
『雨。明朝でよい』
「……これが、被告の所在を証すとでも」
「所在ではない。この束が証すのは、いま読んでいる台帳が本物だということだ」
殿下は束のほうを見ずに言った。
「却下の理由だ。日付と時刻が、読み上げた夜と揃っている。申請書は最初から二部あり、控えは私が、本紙は被告が持つ。90通は今日までウィンズロウ家を出ていない。ヨアヒムが手にしたのは台帳一冊だ」
「別々の手にあった二つが、同じ夜を同じ時刻で指している。後から作って揃えることもできない。理由が1通ずつ違う」
膝に載せて重いと思った紙が、いま別の仕事をしている。
「……もう一通ございます。被告ご本人の手による申告が」
閣下が卓の一枚を指した。私の字の、23時20分の紙だ。
「その紙に印がない。受理も却下もされていない。私の手を通っていないからだ。その時刻も、被告は西回廊にいた」
自分で書いて出した罪を、上司に突き返された。
殿下は告発状の束のいちばん上から一通を抜いて、角を閣下のほうへ向けた。
「寮の勝手口の件が書いてある紙だ。届いた日を私が角に書き入れてある。件の起きる前の晩だ。起きていないものを、先に書いて送った者がいる」
閣下が紙の角を見た。
「もうひとつ。先日、閣下は夜間に王太子が単身で学園へ入った回数を数え上げられた。あの数と、この台帳の夜の数は同じだ。私の日程を持つ者にしか数えられない」
閣下が顔を上げた。ヨアヒム様のほうを。
ヨアヒム様は板を抱えたまま礼をして、扉から出ていった。誰も追わなかった。
殿下は最後の頁まで読んだ。全部の夜が、時刻つきで広間に置かれた。
止めたかった。止めれば、この人の毎晩が公にならずに済む。
止まらなかった。
読み終えて、殿下が台帳を閉じた。
「以上が、被告の勤務記録である」
顔を上げると、こちらを見ていた。
「ロザリンド」
名前だけで呼ばれた。家名も、公爵令嬢も、ついていない呼び方だった。
台帳には毎晩のことが全部書いてある。書いていないものが1つだけある。この人がなぜそこにいたのか、それはどの行にもない。
読み上げられたのは時刻と所在だけだ。それなのに、広間の誰も何も言わない。
窓の外で、どこかの鐘が鳴った。
閉会には、まだ間がある。




