第24話「却下印90通、理由は全部ちがった」
夜、父の書斎に呼ばれた。
入るのは久しぶりだった。前がいつだったかも思い出せない。娘が深夜に花壇を掘り返している家の父として、この人が私を呼ぶのは手続きが要るときだけだ。
机の上に、夜会の席次表が広げてあった。
やっぱり席次だ。
「夏至の夜会で、断罪が行われると聞いた」
「はい。王命が下りております」
「ロザリンド。お前はそれを望んでいるのか」
顔を上げた。望んでいるか。そこを訊かれるとは思っていなかった。
「望んでおります」
「そうか」
父は席次表から目を離さない。望むかと訊いておいて、答えの中身には用がないの? いや、どちらの答えでも手続きが同じなだけか。
やがて父は、席次表の上へ指を置いた。ウィンズロウ家の並びのところだ。
「断罪を受けるなら、家を出ろ。家名は残す。お前の名は帳から外す。手続きは夜会の翌朝だ」
「承知いたしました。お手続きに要るものがございましたら、先に揃えておきます」
即答した。
即答できたのは、前世で退職の話をさんざん聞いてきたからだ。辞める人間は、辞める前に籍が動く。動かしておかないと、残る人が困る。困らせないのが辞める側の最後の仕事である。
父は私の顔を見なかった。席次表を見ている。家の名がどの列に載るか、載った名の隣が誰か、そこだけを見ている。
私の夜のことは、今夜も訊かれなかった。
訊かれないから、私も言わなかった。深夜2時の花壇も17時の鐘も、毎晩門をくぐる馬車の中身も、この家では一度も話題になっていない。数えられていたのは馬車の回数だけだ。
家を出るのに、説明が1行も要らない。こんなに手際のいい退職手続きは、前の職場にもなかった。
書斎を出るとき、父は私の名前を呼ばなかった。呼ばれたのは、入ったときの一度きりだ。帳から名を外す相談をしたあとで、その名を口に出す人はいない。
部屋へ戻ると、卓の上に文箱が出ていた。蓋が開いている。
「お嬢様。こちらを」
マルテが紙の束を抱えて立っていた。厚い。
「何それ」
「お嬢様がお出しになった申請書でございます。却下印の押されたぶんを、日付の順に揃えてまいりました」
前にも一度、数えたことがある。あのときは束の背を指の腹で押して、思っていたより厚い、と思っただけで戻した。いまは両手で持たないと崩れる。
「何通あるの」
「90通でございます」
90通。
明け方までかかったあの夜のぶんも、毎晩1通ずつのぶんも、全部ここにある。私の夜が、紙の高さになって手の中にある。
前世では、どれだけ遅くまで働いても机の上の高さは変わらなかった。ここでは変わる。却下されたぶんだけ、きちんと厚くなる。
束を膝に載せて、いちばん上をめくった。
理由欄。
『雨。明朝でよい』
次。
『昨夜4時間。今夜は寝ろ』
次。
『夕食を摂っていない。厨房へ寄れ』
次。
『風が強い。東棟の渡り廊下は使うな』
次。
『昨日と同じ内容。片方は明日に回せ』
次。
『今日は何も起きていない。休め』
めくる手が、そこで遅くなった。
私はこの束を、判を押すだけの紙だと思っていた。毎晩ちがう一行が入っているのは、几帳面な人の癖だと思っていた。
却下の理由が、規定の話をしていない。いちばん下の1枚に『規定に書いてある』とあるきりで、あとは第4条とも第5条とも出てこない。書いてあるのは雨と睡眠と夕食と風向きだ。
残りぜんぶ、私の身体の話だった。
前世の私は、いつも理由を書かされる側だった。なぜ必要か、なぜ今日でなければならないか。何行も書いて出して、返ってくるのは番号のついた定型文である。
ここでは逆になっている。理由を書いていたのは、却下したほうだった。
夜の見張りを断る理由が、私にはずっと分からなかった。休日に生垣のところへ立つ理由も、朝5時の花壇で欠伸をしている理由も分からなかった。
分からないまま、毎晩ひとつずつ渡されていたわけだ。
膝の上が重い。紙が90通ぶん重いのではなくて、90回ぶん重い。
「マルテ。これ、私が持っていていいものなの」
「お嬢様のお手元の紙でございます。控えは殿下がお持ちでございます」
「そう」
「お預かりしたままにいたします。お部屋を移られるときに、紛れますので」
マルテは束を受け取って、いつもの速さで蓋を閉めた。声の温度が、朝の献立を言うときと1つも変わらない。この人は昔からそうだ。朝の献立を運んでくるのも、学園の鐘が動いた日を告げたのも、同じ声だった。
私は窓のところへ行った。生垣の切れ目に、今夜は誰も立っていない。
明日も申請書を書くだろう。書けば却下される。却下の理由には、明日の天気か私の食事のことが書いてある。
あの束が、もう増えなくなる日のことを考えた。
考えたところで、私は退職したい。したいのに、膝の上の重さが手のひらから抜けない。




